***** 大嘗祭 No.28 *****
「蘇我氏(崇仏派)」と「物部氏(排仏派)」
との争いを決定づけたのは、
敏達天皇の時代に出された
「仏教禁止令」だったと言われております。
仏教に対して中立的な立場を取っていた敏達天皇が、
なぜ「仏教禁止令」なるものを発令したかと言えば、
蘇我氏の「仏教崇拝」を認めた敏達天皇の振る舞いが、
「疫病の流行を引き起こしたのではないか」
という物部氏の批判を考慮したからでして、
結果として蘇我氏の寺や祀っていた仏像が
焼き払われる事態にまで発展しました。
しかしながら、その後も疫病が収まる気配は見えず、
人々の間では逆に「仏像を燃やしたことが原因」
という噂で持ちきりになったのだとか……。
つまり、このときの状況を整理してみますと、
疫病流行の原因が「仏教」ではなかった
可能性も浮かび上がるわけですね。
ちなみに、この後の奈良時代も含めた
約100年の間には、およそ40回以上も
疫病のパンデミックが発生したと聞きます。
特に、735年に始まった天然痘の流行時には、
藤原不比等の4人の息子などが相次いで死亡するなど、
政治の中枢部をも巻き込む大惨事を招いたのでした。