<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>
八咫の鏡を託された豊鍬入姫命が、
大和の笠縫邑に安置されていた鏡を携え、
まず最初に向かったのが丹後の国(真名井神社)です。
それから一旦、大和の国に戻ってきたのち、
ご自身の家系に所縁の深い紀伊の国、
そして吉備の国へと鏡を安置し、
再び大和の国に入り、その役目を倭姫命に引き継ぎました。
これらの経路をたどっていきますと、
豊鍬入姫命が目指したのは、
その昔、天孫族(イスラエルの民)が、
日本に渡来した際に上陸したであろう地点
と重なっていることに気づきます。
そしてそれらはすべて、 海人族(先住民族)の拠点であり、
倭姫命が最終地と定めたのも、
伊勢(磯部)という海人族の聖地でした。
豊鍬入姫命・倭姫命の巡幸というのは、
自らの祖先神を祀った土地を巡る慰霊の旅です。
八咫の鏡という天津神のご分霊を、
天津神とは毛色の異なる霊域に運び入れる役目は、
海人族の血を引く皇女でなければ無理だったのでしょう。