たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

海人族の聖地

2016-01-17 11:33:06 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

八咫の鏡を託された豊鍬入姫命が、

大和の笠縫邑に安置されていた鏡を携え、

まず最初に向かったのが丹後の国(真名井神社)です。

それから一旦、大和の国に戻ってきたのち、

ご自身の家系に所縁の深い紀伊の国、

そして吉備の国へと鏡を安置し、

再び大和の国に入り、その役目を倭姫命に引き継ぎました。

 

これらの経路をたどっていきますと、

豊鍬入姫命が目指したのは、

その昔、天孫族(イスラエルの民)が、

日本に渡来した際に上陸したであろう地点

と重なっていることに気づきます。

そしてそれらはすべて、 海人族(先住民族)の拠点であり、

倭姫命が最終地と定めたのも、

伊勢(磯部)という海人族の聖地でした。

 

豊鍬入姫命・倭姫命の巡幸というのは、

自らの祖先神を祀った土地を巡る慰霊の旅です。

八咫の鏡という天津神のご分霊を、

天津神とは毛色の異なる霊域に運び入れる役目は、

海人族の血を引く皇女でなければ無理だったのでしょう。


二つのカギ

2016-01-08 11:00:13 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

一説によりますと、倭姫命が伊勢に到着した際、

7匹の鮫が川を遡上(そじょう)して、

倭姫命を「とある場所」へと導いたそうです。

7匹の鮫と聞いて思い出すのは、

伊雑宮の御田植祭に関する伝承ですが、

その「とある場所」こそが伊雑宮でして、

実は謎の巡幸地とされている「磯宮」は、

伊雑宮である可能性も考えられるのですね。

 

倭姫命の巡幸ルートから外れ、

伊勢市内からも離れた伊雑宮の近辺には、

なぜか倭姫命に関する言い伝えが多数残り、

伊雑宮からほど近いところには、

倭姫命のお墓とされる場所も存在します。

また伊雑宮は、五十宮と記すのが正しく、

伊雑宮の別読みである「いぞうのみや」は、

「いそうのみや(五十宮)=磯宮」 だという話もあります。

 

伊雑宮には、磯宮の「磯」と五十鈴の「五十」という

内宮を示す二つのカギが秘められていました。


海の神様

2016-01-06 11:02:49 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

海人族の上陸地となった伊勢湾周辺には、

「海の神様」を祀る神社がたくさんあります。

縁結びで有名な神明神社(石神さん)は、

もともと海難除けの神様ですし、

志摩国一の宮である伊射波神社(いざわじんじゃ)は、

海岸のすぐそばに鳥居を構えています。

 

そして、伊勢神宮・別宮である伊雑宮も、

実は地元の人たちの間では、

海の神様として信仰されている場所で、

漁業関係者だけに授与される

「磯守」というお守りがあるのだとか。

これを身につけて海に入るのが、

近隣の漁師や海女の風習となっているそうです。


隠された歴史

2015-09-04 10:19:19 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮・御師の家 いぞうぐう・おしのいえ>

 

伊雑宮のある磯部町の資料には、

石棺(倭姫の遺跡)が発掘された年を、

倭姫宮が創建された大正12年ではなく、

大正13年だと記してあるそうです。

また、かつて伊雑宮の式年遷宮は、

内宮の遷宮に先駆けて行われていたと聞きますが、

現在伊雑宮の遷宮が執り行われるのは内宮の約1年後。

さらには、伊雑宮が関係する諸々の行事では、

国旗や国歌を使用しないという話もあります。

 

伊雑宮にまつわる諸々の史実に触れますと、

国家神である天照太御神がご鎮座する本宮を、

どうしても内宮にしておかなければならない

抜き差しならぬ理由があるよう。

そのためには、伊雑宮を内宮の別宮扱いにし、

倭姫の史実を隠す必要があったのでしょう。

実際にごく最近まで、伊雑宮の近くに住む人々でさえ、

倭姫や内宮に関する話を表立って話題にはできなかったそうです。


大成経事件

2015-09-03 10:13:30 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<千田寺跡 ちだじあと>

 

伊雑宮の歴史を紐解きますと、

大正時代の石棺持ち去り事件以前にも、

実にたくさんの苦難が発生しております。

最もよく知られているのが、

大成経事件と呼ばれる出来事でして、

これをきっかけに、伊勢神宮の「本家争い」が勃発し、

神道家や僧侶、伊雑宮の神職などが処罰されました。

 

また、その前後の時期には、

伊雑宮の遷宮を訴願した神職が流罪になったり、

「伊雑宮が神宮の本宮である」との主張をし続けた

中村兵太夫という人物が毒殺されたりと、

不穏な出来事が相次いだという記録もあります。

逆に考えれば、それだけ伊雑宮というお宮が、

いかに「国にとって重要な場所であるか」を

示唆しているともいえそうです。

 

【大成経事件(たいせいきょうじけん)とは】

1679年(延宝7年)、「アマテラスを祀る社は伊雑宮であり、

内宮は星神ニニギ、外宮は月神ツキヨミを祀る」という説を唱えた書物、

先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)が発刊され、

庶民の間で話題になったが、後に偽書との疑いで関係者が処罰された。


倭姫の石棺

2015-09-02 10:09:00 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

大正12年、伊雑宮のほど近くにある千田寺跡から、

鏡や勾玉などが入った石棺が発掘されました。

何でも愛知の豊川稲荷で木材が必要となり、

千田寺の楠を提供するため根元を掘り返したところ、

突如としてこの石棺があらわれたのだとか。

 

伊雑宮は倭姫と縁の深い場所ですから、

「これこそ倭姫の遺跡に違いない」と、

村中大騒ぎになったそうですが、

すぐに役人(特高警察)がやってきて、

宝物を根こそぎ持ち去ってしまったとのこと。

 

その後、村人にはかん口令が敷かれ、

事件についての話をする人はなくなり、

それらの出来事と時を合わせるかのように、

内宮の近くに倭姫宮が創建されたという経緯があります。

 

ちなみに、一昨年行われた千田寺跡の整備事業により、

石棺が発掘された遺跡周辺も、

詳しい調査をする前に埋め立てられてしまいました。

唯一残っているのが、伊雑宮の御神田入口に立つ石碑です。

実はこの石碑、そのとき掘り出された

石棺の底の部分だといわれています。


古代の縁

2015-07-24 13:14:26 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

古くは磯宮と呼ばれていたお宮が、

いつ頃「イザワの宮(イザヤの宮)」に

変わったのかは定かではありませんが、

御田植祭の様子を見ておりますと、

内宮や外宮の祭典とは、

かなり雰囲気が違うことに気づきます。

 

年間を通じて行われる神宮関連祭事の中で、

主に氏子が中心となって運営されるのは、

ほんの一部のお祭りのみ。

道教の影響を強く受ける神宮祭典と比べると、

古代ユダヤの名残を色濃く残す御田植祭は、

私たちに不思議なインパクトを与えます。

日本人や古代イスラエルの人々はもちろん、

現代のユダヤ人にとっても、

磯部の地が特別な場所であることを、

暗示しているからかもしれません。


我は有りて有る者なり

2015-07-14 21:37:22 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊勢内宮の地下に安置されている

ご神体・八咫の鏡(やたのかがみ)の裏面には、

ヘブライ語で”我は有りて有る者なり”

という意味の言葉が書かれているそうです。

この言葉は出エジプト記の中で、

ヤハウェがモーゼに告げた文言でして、

仮にこの言い伝えが真実であるとすれば、

伊雑宮のみならず、皇室と古代イスラエルとの関係も、

非常に濃厚になってまいります。

 

まあこればかりは、 一般人が確認する術がないため、

真偽のほどはわかりませんが、

実は大正時代、伊雑宮の近くにある倭姫の墓所から、

鏡、鉾、勾玉などのご神宝が発掘されたという噂が…。

倭姫巡幸の際、最後にたどり着いたのが、

伊雑宮だったとも言われていますから、

もしかすると、この発掘で見つかった鏡にも、

ユダヤ人や古代イスラエルを暗示する

何らかの証拠が刻まれているのかもしれません。


ヤハウェの導き

2015-07-13 00:00:00 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

高天原に最初に姿をあらわしたとされる

「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」は、

その後に出現した、

高御産巣日神(たかみむすひのかみ)

神産巣日神(かみむすひのかみ)とともに、

造化の三神とも呼ばれる宇宙の根源神です。

ユダヤ教の唯一神である「ヤハウェ」は、

日本における天之御中主神のような存在で、

一説によりますと両者は同一の神様

(厳密にいえば同じ系列)なのだとか。

 

天之御中主神に対する

高御産巣日神(たかみむすひのかみ・男性原理)と

神産巣日神(かみむすひのかみ・女性原理)との関係は、

「イザナギ、イザナミ」=「アダム、イブ」 の

陰陽関係にも置き換えられます。

古代イスラエルの人たちが、

まるでヤハウェに導かれるかのように、

日本に渡り、伊雑宮の地にたどり着いたのも、

決して不思議なことではないのかもしれません。


ハエャーハエ

2015-07-11 15:44:10 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊雑宮(および内宮)に祀られている天照太御神は、

男神であり「イエス・キリストだ」という噂があります。

それはゴンバウチワに書かれている太一の文字が、

イエス・キリストを意味する文字であるという説や、

御田植祭のメイン行事である竹取り神事での所作が、

磔になったイエスの姿を示しているという説など、

諸々の推論から来ているのですが、

伊雑宮の歴史や成り立ちの古さを踏まえれば、

「伊雑宮=イエス」と結論づけるのは、

少々無理があるのかもしれません。

 

もし、伊雑宮とユダヤ人(古代イスラエル)が関係するなら、

やはりイエスというより古代ユダヤの流れのほうが強く、

「天照太御神とヤハウェの母性を重ねた」のが正解なのでしょう。

御田植祭の中で「ハエャーハエ・ハエャーハエ」

と掛け声をかける場面がありますが、

これは「主は生きておられる」という意味の、

「ハィヤハウェ」から来ているのだとか。

いずれにせよ、伊雑宮という小さな神社には、

唯一神という狭い定義では収まりきらない、

真の神様が鎮まっているのだと思います。


贖いの祭

2015-07-10 15:35:05 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

モーゼの時代に造られた契約の箱(アーク)の蓋は、

ヤハウェの御座になっており、

「贖い(あがない)の座」と呼ばれています。

ちなみに、アークの蓋の上には、

ケルビムを模した天使(2羽の金細工の鳥)が

乗せられているのだとか。

 

もし、伊雑宮の御田植祭に登場する女装の男児が、

イエス・キリストを暗示し、男児の乗った小舟が、

契約の箱を示しているとするなら、

西洋の人たちにとっては一大事ですね。

 

イエスの罪状板をご神体とする伊雑宮に、

磔の十字架の象徴であるゴンバウチワを立て、

契約の箱を意味する小舟の上に、

イエス・キリストに扮した男児が乗る…。

 

ある説によりますと、罪状板だけではなく、

十字架も契約の箱(十戒板)もマナの壺もアロンの杖も、

すべて伊勢神宮周辺に集まっていると聞きます。


契約の小舟

2015-07-09 15:30:55 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

伊雑宮の御田植祭では、御神田に浮かべた小舟の上で、

女装をした男児が太鼓を叩く光景が見られますが、

実はこれ「ノアの方舟」あるいは「契約の箱」を、

暗示するご神事ではないかとも言われております。

 

ちなみにノアの方舟といいますのは、

旧約聖書の「創世記」の中に出てくる、

ノア(アダムより数えて10代目の子孫)と、

ノア一族を洪水による滅びから救った舟、

およびそれにまつわる伝説のこと。

 

また、契約の箱(別名・アーク)といいますのは、

モーゼの時代(イザヤの時代より700年くらい前)に、

神の啓示により作られた箱を指し、

その中には「マナを納めた金の壺」「アロンの杖」

「十戒を記した石板」が納められていたそう。

 

その後、「マナの壺」と「アロンの杖」の所在がわからなくなり、

最終的に契約の箱自体も行方不明に…。

これらの経緯から、現在では契約の箱のことを、

失われた聖櫃(The Lost Ark)とも呼んでいます。


男神

2015-07-08 15:30:16 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

巷でまことしやかに噂されている内容のひとつに、

「天照太御神は男神だった」という話があります。

その理由としてあげられるのは、

・ 世界各地で信仰される太陽神のほとんどが男神である

・ 天照太御神が身につけているご装束が男装束である

・ 外宮の神として招かれた豊宇気毘売神は女神である

などなど。

 

また、それに関連して言われているのが、

伊雑宮の御田植祭で神の依り代となる女装の男児は、

「女神に変えられたイエス」を象徴しているという説です。

そして「ナザレのイエス ユダヤ人の王」と記された

イエスの罪状板が、伊雑宮のご神体として、

納められているという都市伝説もあります。

 

【イエスの罪状板】

イエス・キリストがゴルゴダの丘で磔にされたとき、

十字架(聖十字架)の上に取りつけられていた板のこと


イザヤの宮

2015-07-07 12:50:55 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

<伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

もともと伊雑宮の正式な神紋は、

籠目紋/六芒星/ダビデの星(ユダヤのシンボル)で、

以前はお宮の中でもこの籠目紋が見られたそうです。

ただある時期、何らかの理由で撤去されてしまい、

今は伊雑宮の門前にある剣道場の前に、

籠目紋の彫り込まれた灯篭が、

2基ほど残っているだけです。

 

また、地元の人たちは伊雑宮のことを、

「いぞうぐう」とか「いそべさん」とか呼びますが、

神宮内での正式な伊雑宮の読み方は「いざわのみや」。

少々難解なこの読み方にも、

実はヘブライ語が深く関連しており、

一説によりますと、伊雑宮のイザワは、

古代ユダヤ(イスラエル)の預言者「イザヤ」を指すのだとか。

伊雑宮とはつまり、イザヤに関わるお宮という意味なのですね。


エデンの東

2015-07-06 12:39:52 | 伊雑宮・風宮式年遷宮

 <伊雑宮 いざわのみや / いぞうぐう>

 

エデンの園のエデンという単語は、

シュメール語で「平地」「平原」 「草原」

などを意味する言葉だそうです。

仮に、エデンの園が日本だとすれば、

エデンの園の東の地というのは、

日本国土の東に位置する平らな場所のこと。

古代の日本の地形(当時の日本は伊勢付近が東端)や

「東=太陽が昇る場所」という暗示を考慮すると、

エデンの東は天照太御神の鎮まる

伊勢の地以外には考えられません。

 

ちなみに、伊勢という地域は、

「剣」との縁が深い場所でもあります。

垂仁天皇の時代、皇女である倭姫が、

三輪山の麓にあった皇居から、

八咫鏡(やたのかがみ)とともに、

草薙剣(くさなぎのつるぎ)を

お祀りしたの場所が伊勢ですし、

また、伊勢神宮の各お宮では現在も、

「剣払大麻」という変わった形のお札が配られています。