桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

登山の記52・平標山、仙ノ倉山②

2006-06-08 22:48:31 | 旅行記

山頂には私が一番乗りだった。山頂ではまた見事な光景が広がっていた。上越国境の山々がすべて見渡せる。山座同定ができればもっと素晴らしいのだろうが、その時はまだ私にはどれがどの山であるか区別が付かなかった。

他の先生が登ってくるまでにしばらく時間がありそうなので、一番近くにいる先生に、仙ノ倉山まで往復してくると告げて、荷物を置き、登山道を東に進んでいった。尾根筋ながら風はほとんど無く、眺めは相変わらず素晴らしい。斜度もなだらかで、私は小走りで登山道を駆けていった。

地図には、平標山から仙ノ倉山まで1時間かかるとあったが、私は20分ちょっとで着いてしまった。先生方を待たせると悪いので、山頂にいた人に頼んで写真を撮し、周囲をちょっと眺めてすぐに引き返した。平標山より仙ノ倉山の方が標高が高いので、眺めもなおさら素晴らしい。特に谷川連峰、武尊山、苗場山の姿が印象的であった。

平標山に戻ると、先生方が既に一杯やっていた。私は山では飲まないので、コーヒーを入れて飲んだ。S藤先生が作ってくれたキムチ鍋が、毎度のことながらとても美味しかった。私達は、木道用の材木に座ってお昼にしたが、その陰にはうっすらと雪が残っていた。きっと今年の初雪の残りなのだろう。この紅葉も近いうちには終わってしまうだろうと思われた。

名残を惜しみつつ山頂を後にした。今度は山頂から西の尾根をたどって下山する。尾根道は眺めも良く、なだらかで快適な道だったが、松手山というところを過ぎると急に斜度を増し、下っても下ってもなかなか登山口にたどり着けなかった。いい加減飽きた頃にようやく家並みと、三国小学校の校舎が見えてきた。最後の力を振り絞って下りきったところが登山口であった。

I塚先生は定時制の先生なので、先に帰った。残った私達は、温泉で汗を流して帰った。ちなみに昨年、学校の遠足では、この時とは逆のルートをたどった。私はこの時と同じルートを強く押したが、聞き入れてもらえず、結局飽きるほど長い下りを逆に登り、体力を消耗したところへ、尾根筋の強風がさらに追い打ちを掛け、悪天候も重なって結局途中で引き返す、ということになってしまったのは実に残念であった。

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登山の記51・平標山、仙ノ倉山①

2006-06-06 21:01:56 | 旅行記

前任校には「低山友の会」という山登りのグループがあり、定期テストの時には一緒に休みを取り、近郊のあまり高くない山に日帰りで登り、帰りに温泉に入ってくる、という気楽で楽しい山行を行っていた。私が加わるまでに、苗場山と八間山に登ったが、いずれも雨やガスの中の山行だったそうだ。私が平標山に登ったのは、そのツアーに参加させてもらって3回目の時である。(1回目は4月の小野子山、2回目は7月の会津駒ヶ岳。平標山には高校3年の遠足で登ったのだが、山頂には行っていない。)

10月の中間テストの中日。その日は朝から雲一つ無い素晴らしい天気で、山行も快適で素晴らしいものになることが予想された。しかし、寒さは結構なもので、登山口に着くと辺りには真っ白に霜が降りていた。気温0度。山頂での寒さが気にかかった。

初めは林道歩きが続く。林道が終わるとブナの林の中を登るやや急な登山道に入る。この辺りから陽が射し始めたのだが、何しろ素晴らしい紅葉である。空は真っ青に澄み渡り、稜線に出てからの眺めの素晴らしさに胸が躍った。しかし、道はきつさを増し、私はさほど気にはならなかったのだが、他の先生方はかなり大変そうで、既に息の上がっている先生もいた。ただ、紅葉の素晴らしさはその疲れを吹き飛ばすほどのもので、皆元気を振り絞って登り続けた。

ひょっこり目の前に小屋が現れた。きつい登りもここまで。あとは木道歩きになる。小屋の裏側に出ると、予想通り素晴らしい光景が広がっていた。谷川連峰や三国連山が見事に紅葉し、真っ青な空とのコントラストは見事と言うほかない。低山友の会の山行では、これまでで一番良い天気ということで、今回から参加した私とS藤先生は、晴れ男・晴れ女と称賛された。

小屋からは木道が続く。景色は素晴らしかったが、単調な登りで、斜度はさほどではなかったものの、私はかえってこちらの方がへばった。それに、登っても登っても山頂に近づかないのである。木道の整備は、環境保護の面では致し方のないことかも知れないが、やはり味気なさは否めない。

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登山の記50・富士山(2,3回目)

2006-06-04 21:20:51 | 旅行記

富士山のはその後2回登った。いずれも前任校の富士登山ツアーに参加してのものだった。

前任校には夏休み中に希望者を募って富士山に登る、という珍しい企画が4年間ほど続けて行われた。そもそもは山岳部の顧問の先生が考えて生徒に呼びかけたことから始まるのだが、毎年100人以上の参加者があったのは驚きであった。

私はそのうち2回目と3回目(私が富士山に登るのも2回目と3回目だった)に参加した。たまたまこの回は引率できる教員が少なく、暇をもてあましている私に白羽の矢が立ったのであった。

ツアーの内容はほとんど同じだが、仮眠を取るのが2回目はバスの中だったのに対し、3回目は8合目の山小屋だった。前者は夜中に出入りする者が多く眠れない者が多く、後者は慣れない山小屋でやはり眠れない者が多く、睡眠不足で登り、高山の環境に慣れず、体調を崩す者が何人も見られた。特に、日頃から鍛えているはずの運動部員が山頂で吐いたり、横になったまま動けずにいる一方、いつもは青白い顔をした帰宅部の者が平気でいたりと、日頃の様子と山頂での様子が異なる生徒がたくさんいたのは驚いた。我々教師は、バス泊の時はやはり眠れなかったが、山小屋泊の時は別室だったので、ぐっすり眠れ、高地順応もできた。

天候は2回とも大変よく(私が行かなかった1回目と4回目は天候にあまり恵まれなかったそうだ)、見事なご来光を拝むことができた。特に前回の時は8合目から、雲間にのぞくご来光を眺めただけだったので、2回続けて見ることができたのは実によかった。

そして、何と言っても楽しかったのは、日頃接している生徒と一緒に登れたことである。親しくしている生徒の持ち物が妙に本格的なので聞いてみると、父親が県の山岳会の大幹部だったり、日頃からだらしなく、生活面で注意ばかり受けている生徒が真剣な表情で登っていたり、普段口から先に生まれてきたのではないかと思えるほどうるさいヤツが、高山病になりかけてずっと無言だったりと、日頃見られない生徒の様子がうかがえてとても面白かった。

下山してからのビールがこの上なくうまかったのは言うまでもない。管理職は参加していないので、こんなことも平気であった。生徒から「酒飲みましたね?」と指摘されるのがちょっと恥ずかしい程度だった。

生徒と登山するなんてもう絶対無いだろうな、と思っていたが、現任校では毎年遠足という名の登山がある。不思議な巡り合わせである。ちなみに前任校の富士登山は現在では行われていない。

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登山の記49・富士山(1回目)②

2006-06-02 20:43:42 | 旅行記

日が昇ってゆっくり小屋を後にした。これがよかった。なぜなら、山頂でご来光を見るために、山頂は大変込むことを後で知ったからである。

登山道は比較的空いている。夏は登山道が混雑すると聞いていたが、全くそんなことはない。よって、高度が上がるに連れて息が苦しくなってきたが、すぐに立ち止まって休むことができた。

ともかく、まだこの頃は山に登り慣れていなかったから、とにかく足が動かない。そして3,000メートルを越え酸素も薄く、とにかく息苦しい。しかし、同行者がいたし、何しろ良い天気で風もない。あとは山頂に立ちたいという一念だけで登っていった。

9合目の小屋に、当時流行していたタレントショップがあった。酒井法子のノリピーグッズを売る店である。計画当初富士山行きを誘おうと思っていた友人のS原への土産に、ノリピーグッズを買っていこうとも思ったが、何しろ貧乏旅行の上、ノリピーグッズはいずれも結構な値段だったので、買うのはやめた。

少し登っては休み、を繰り返すと、石造りの鳥居が見えてきた。それをくぐると山頂だった。建ち並ぶ小屋の一つに入り、メニューの中で一番安いうどんを食べた。味は学食のうどん並み、値段は学食の2倍以上だったが、温かいものを食べられるのはありがたかった。1本300円(8,9合目の小屋では250mlの缶で300円、山頂の小屋では300mlの缶で300円だった)のポカリスウェットが美味しかった。

その後私達は火口を一周することにした。雲一つ無い空、しかも無風の最高の天気である。左回りに火口を周り、最高点の剣が峰に着いた。ここには今はなき富士山測候所があった。その前で写真を撮したが、私は結局その写真をもらわずにいるうちに、A葉も私も写真のことを忘れてしまった。

山頂からの眺めは素晴らしかったのだが、残念なことに、当時の私は山頂から見える山々の名前を全く知らなかった。おそらく、南アルプスから北アルプス、八ヶ岳等の山々を一望できたはずなのだが・・・

火口を一周して、山頂の郵便局からスタンプを押した葉書を出した。そこにあった公衆電話から、S原に電話をした。S原はまだ起きたばかりだった。「メシ食い行こうぜぇ。」と話すと、「行くよ~」との返事。「いま富士山の山頂にいるから、行くまでにしばらくかかるよ~」とは話すと、「ふざけるなよ~」との返事。A葉と二人で笑った。

下山は速かった。人は少なく、天気も良かったので、5合目までほとんど駆け下りた。1時間半くらいで下りてしまったと思う。車に着いて荷物を下ろし、ふと手を髪にやってみると、がさがさである。そう、下山の時に舞い上がった土埃が髪にこびりついたのである。帰りに温泉にでも入りたかったが、そんな情報もなく、仕方がなくそのまま帰った。金がなくなったので高速を八王子で下り、一般道で帰った。途中で初めて食べたリンガーハットのチャンポンが美味しかった。

帰ってシャワーを浴びると、髪から赤黒い水がしたたり落ちた。富士山の赤い砂と同じ色だった。

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