桑の海 光る雲

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「モスモス」のこと・その4

2005-02-25 18:21:04 | アート・文化
大賞をもらったのが93年1月の7号でした。8号では採用されず、と言うか、ぴんとくるテーマではなく、言論の自由相談室と伝言板への投稿で、案の定採用されませんでした。

言論の自由相談室では、「モスモス」の1,2号だけ持っていないのでどうすればいいか、という質問を送ったところ「コピーならお譲りできます」という回答が編集部からありました。コピーでは仕方がないのであきらめましたが、何とこの1,2号と「モヌモヌ」は後日思いもよらないことから入手できることになるのです。

9号の「たこンナーレ」は、テーマ発表の段階でぴんとくるものがあり、水色の下敷きにボンド絵、という構想がすぐ浮かびました。出来上がりも上々で、これは掲載されるんじゃないか(このころはこういう予想もだいたいつくようになってきていました。)
と思っていたところ、掲載と相成りました。大賞は逃しましたが、大賞作品もボンド絵で、同じことを発想するヤツもいるんだなと思いながら、届けられた「モスモス」を眺めました。

さて、その年の9月だったと思います。ある日の夜、「モスモス」編集部から突然の電話を受けました。「モスモス」に関しての座談会を、何人かの投稿かをお招きして行いたいので、ついてはぜひご参加いただきたい、ということでした。当日はバイトが入っていたのですが急遽後輩に替わってもらい、期待と不安を抱きながら新宿・箪笥町のモスバーガー本社へ向かいました。

あのモスバーガー本社ということで、どんなすごいビルかと思いきや、意外とこぢんまりとしたビルに驚きつつ(モス本社の方済みません!)、休日ということで社員のほとんどいないビルの中に入っていくと、モダンなデザインの会議室のようなところに招じ入れられました。集まったメンバーは5人。そして2人のスタッフが司会をしながら、投稿者や「モスモス」に登場したことのあるメンバーが、「モスモス」に対する思いなどを話しました。

その場で何が話されたか、私が何を話したかは、全く覚えていません。メンバーには、栗かのこさんと、9号で「後藤の歌謡界」にモデルとして登場した後藤一章さん、投稿していないけれど、「モスモス」にいろいろと意見を寄せている大阪の男性(この人は「モスモスサーカス」にも出ています)がいたのを覚えています。

1時間ほどで座談会は終わったと思います。その後懇親会ということになり、ホールへ出ると、もう一室で座談会を行っていたグループの人たちも出てきました。こちらは私のグループよりも若い人たちばかりでした(私も当時20代前半だったのですが、なぜか年長組でした。)。この中には、大賞受賞経験者のくろこふさんや、小賞常連のさくらさんがいました。さくらさんは手や腰をくねらせるようにして現れ、一見して「こいつは変わったヤツだ」と思わせる人でした。他にも何人かいたのですが、福岡から、確かその年から運行されだした「のぞみ」に乗って日帰りするという女の子がいたのを覚えています。

その後、会場を移して懇親会になりましたが、今思い出しても不思議な不思議な懇親会でした。料理はモスのメニューいろいろで、モスチキンの好きな私は、そればかりパクついていたと思います。その場で、やはり9号で募集されたアップルパイの歌のCDが流れ、皆で歌ったりしたのですが、座談会参加者はみんなあまり楽しそうでなく、休日なのにネクタイを締めて出社しているスタッフだけが気まずそうな顔をしながら歌ってたような気がします。

「モスモス」の編集者は、後で聞いたところによると、デザインや出版の方面でも有名な方が多く、当日もそういう方が何人も来ていたようなのですが、何しろ座談会参加者はみんな素人の方ばかりだったし、みんな自分の世界を持ってる人たちばかりで、話もほとんど弾まず、大阪の人(この人はデザイン系の仕事をやっている人だったらしい)がスタッフと楽しそうに話しているだけでした。私も、実は近くに住んでいたくろこふさんと少し話しただけで、結局あまり盛り上がらないうちに、約1時間の懇親会は終わりました。

懇親会の会場には、「モスモス」のバックナンバーや、「モヌモヌ」、大西重成氏の作品などが展示してありました。私がおそるおそる「この『モスモス』のバックナンバー、いただいてもいいんでしょうか?」と尋ねると、「いいですよ」の返事。座談会参加者の手が一斉に伸びました。特に「モヌモヌ」は、1都3県でしか配布されなかったので、貴重品です。皆入手できて嬉しそうでした。私は念願の1,2号が手に入り満足でした。

その後、各種プレゼント(今思うとけっこう高額な品々だった。バブル時代の名残だろうか・・・)を頂戴し、皆帰途につきました。
福岡から来た女の子は、午後6時ののぞみに乗ればその日のうちに帰れる、と、かなり高額の交通費を手に急いで帰っていきました。私も、なんだか不思議な夢を見たような気分で、高速バスの出る東京駅へ急ぎました。

座談会の様子は「モスモス」に掲載されることもなく、その内容がどういう形で「モスモス」に反映されたのかはよくわかりません。あのメンバーがどういう基準で選ばれたのかもよくわかりません。それ以前に、この座談会と懇親会がどういう目的で開催されたのか、結局何もわからないままでした。でも、あの「モスモス」のためだからこそ、こんな会でもよかったんじゃないか、と考えてます。「モスモス」という小冊子の存在にも、そこに収められた各種投稿作品や連載作品、さらには大西さんの作品にも、この座談会と懇親会で感じた「空気」が流れていたように思います。

「モスモス」に関する、ごく一部の人しか知らない話を今日は書いてみました。


コメント (1)
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