桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

シルクロード・その5

2005-02-07 20:52:13 | 旅行記
いよいよ敦煌へ向かって出発する日、まずは西門を訪れる。ここがシルクロードの出発点、あるいはゴールとされた場所である。私はこれから出発するシルクロードへの思いをはせながら、門の西の方へ向けてカメラを向けた。門の下の広場には、3年前に訪れた時にその開幕に立ち会った石碑を懐かしく見た。一緒に訪れた先生の名前が刻んである。そして隣にはこの4月にも開かれた同じイベントを記念する新しい石碑もあった。

午後は西安で最も訪れたかった碑林を訪問する。3年前はほぼすべての石碑に拓本が貼られ、それはそれで石碑の保護にもなるし、文字を見やすくするのに役立ってはいたのだろうが、やはり本物の碑面が見られなかったのはかなり残念だった。ところが、今回訪れてみると、何とすべての石碑が、拓本をはがされて碑面を見せていたのである。もちろん表面はガラスで覆われて触れることはできなかったが、碑側や碑陰は触ることができた。ガラスで覆われていても、碑面の文字ははっきりと見ることができた。曹全碑は1800年前、顔眞卿や歐陽詢の碑は1200年前に刻みつけられた文字を、碑によっては摩滅が見られるものの、はっきりと見て取ることができて大いに感動した。

シルクロードに入る前からこんな感動を得ることができたので、これから後の旅に対する期待がますますふくらんできた。そんな思いを抱きつつ、夕刻の西安空港から敦煌行きの小さな飛行機に乗り込んだ。あの有名な敦煌に行く飛行機がどうしてこんなに小さな飛行機なのか不思議に思えたが、敦煌に着いてそれがよくわかった。敦煌の空港はとても小さいのである。ジャンボジェット機などはとても離着陸できない。ターミナルビルも、日本の地方空港のそれよりも遙かに小さく、しかも平屋建てである。ビルの上には日本の映画「敦煌」のタイトルをそのままデザインした看板が掲げられている。入口には、伊秉綬が臨書した隷書作品の「敦煌」が刻みつけられている。日本の映画「敦煌」の文字を書いたのは日本のさる著名な(私はその人の研究は高く評価するが、書は全く評価しない)書家だが、その文字が目立つ看板に、中国ではこちらの方がずっと有名なはずの伊秉綬の文字が目立たない看板にされているのはどうも納得できなかった。

敦煌の空港は町からかなり離れており、バスで敦煌の町に向かったが、途中ですでに鳴沙山を初めとする砂の山が見え始め、西域に来たんだ、ということを実感した。敦煌へ来る途中の機上からも砂漠を見下ろしたが、やはり間近で見る砂の山の方がインパクトがある。

敦煌の町もとても小さいものであった。大きなロータリーを中心に四方に道路が延びているだけである。ホテルは郊外にあるバスターミナルの近くにある割と新しいホテルだった。しかも2階建てである。西安で泊まったホテルに比べてその違いに驚くとともに、その設備が心配されたが、これは問題がなかった。食事もかなり美味しくて、ツアー客向けながらかなり良いホテルだと思われた。

それにしても暑い。着いたのは6時過ぎだったと思うが、日向では日差しが眩しく、肌がじりじりと焼けてくる感じがする。同じツアーの女性達は長袖を出して着ている。私はまだ若かったし、その時すでに山登りで十分に日焼けしていたから、日焼けぐらいしたってかまわない、と思っていた。

夜は敦煌賓館という、敦煌一のホテルの中で行われる民族舞踊を見に行った。参加したのはT夫妻と私を含め8人くらいだったと思う。まずまず面白かったが、やはり後日トルファンで見た民族舞踊ほどのものではなかった。

明日は莫高窟へ行く。今回の旅のメインである。ここではさすがにNHKの衛星放送は入らないので、本など読みながら眠りに就いた。

コメント
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