はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大谷嶺

2016-11-02 15:25:32 | 低山歩き
歩行記録   H28-10-31(月)
歩行時間:4時間20分   休憩時間:1時間15分   延時間:5時間35分
出発時刻:7時45分     到着時刻:13時20分
歩  数: 10、296歩(推定距離7.3km)    GPS距離3.0km
行程表
 大谷崩P 0:20> 扇の要 1:20> 新窪乗越 0:50> 大谷嶺 0:40> 新窪乗越 0:50> 扇の要 0:20> 大谷崩P

 安倍奥の大谷嶺に土曜日・日曜日と天候の状態が余り良くないので見送り、月曜日(31日)に行ってきました。
天気を待ったせいで出発時の天気はバッチリ、富士山もクッキリ見えています。
今日は大谷嶺のピストンだけなので、私の足でも上り3時間下り2時間半の5時間半ぐらいでは歩けそうです。
それなら8時に歩き出しても2時前には戻ってこれそうなので、新東名は使わず国1バイパスで行くことに。

 
                大崩駐車場                      工事現場の展望台から

 ここが駐車場かな?と悩みながらもゲート前の広場に車を止めると、後から来た車がゲートあげて登っていく。
私も後に続こうとすると 「一般車はここから立入禁止です」 と言われてしまった。 
どうやらここから先は工事関係者だけが通行できるようです。
それにしても時間は7時40分なのに1台の車が停まっていない、という事は平日からなのか、それとも人気のない山なのか。
いや人気が無いってことは無いだろう。静岡市民なら大谷嶺は知らなくても大谷崩れの名前は知ってると思う。

 工事現場の箱番の前にトイレや展望台を作ってくれてあった。展示されている写真と同じアングルで写してみたが、大谷嶺は
左から1つ目と2つ目の鞍部に少し盛り上がった辺りがそうだそうです。 ???

 
                 扇の要                                   残っていた紅葉

 扇の要の名前からは、幾条かの沢が集まり、そこから1本の沢になる場所をイメージするが、ここは林の中で全然そんなイメージは
湧いてこない。北アルプスの涸沢カールと比べようとする事自体が無理な話なのだ。

 紅葉は少しは期待しながらも多分遅いだろうと覚悟はしていた。
案の定この辺りの紅葉は “散り始め” 状態は過ぎていて、所々に名残の紅葉があるだけだった。

 
                 水 場                                       アザミ

 水の流れに樋を設け、コップまで準備をしてくれてあった。登山に水分は取り過ぎという事ないそうなので1杯よばれた。
美味しいかって? ウーン不味くはないがおいしいかどうかは・・・・・・・・・・・・・

 
           前をみれば新窪乗越(左鞍部)                      後ろを振り返れば安倍東山稜の稜線

 前方は雲一つない空が広がっている。この調子で行けば大谷嶺の頂上から富士山が見えるかもと期待が湧いてきた。
後ろを振り返れば安倍東山稜の稜線が見えているが、どれ一つとして山名は分からない。一つでも登ったことがあって、山名が
分かればもっと愛着が湧くだが。

 ガレ場状態の中々厳しい上りを歩いていて昔を思い出した。
実は半世紀以上前にここを歩いた事がある。高体連の夏か秋の合宿で1日目に扇の要に露営し、翌日は大谷嶺、八紘嶺、梅ヶ島へ
縦走した。当時の重くかさ張るテント、炊事用具などを背負った縦走は厳しく、乗越への登りと倒木の多かった稜線歩きには閉口した。
あの頃のザックはキスリングという縦長のザックと、スターリンという横長のザックだったが、そのザックの先端が倒木に引っかかり、
何度も転倒した覚えがある。
ようよう八紘嶺に着くころになると 「東海道線から乗り換える学校は、終電車に間に合わなくなるので、このまま休まず梅ヶ島に行き、
路線バスで静岡駅に行ってください」
と案内されてしまった。
たしかその時は御殿場高校と伊東高校か下田高校が対象になって、最後の最後まで絞られてしまった。
終電車に間に合った電車の中で “前衛の山でこんな状態なら、更に奥の南アルプスは行きたくない” と話をした覚えがある。
ただそんな思い出の中に “怖かった” という思いではない。

 ここ2年ほど前からブログ仲間のあやさんの影響を受けて、志太の低山歩きから安倍奥等にも興味を抱き、少しづつ歩き出した。
そこで思い出の八紘嶺から大谷嶺を歩いてみる気になり 『安倍山系』 調べてみると、この区間を “みどりの道” と表現していた。
みどりの道が何を表現しているのか分からないが雰囲気的には易しそうな道に感じる。
だが怖いもの見たさなのか更にブログを検索していくと、危険度について何も触れてない記事や、かなり頻繁な箇所に “痩せ道” 、
 “崩落” 、 “脆い” 等の言葉が出てくるものもある。

 恐怖心は人によって違うので仕方ないが、怖がりの私としてはそんな言葉を見るだけで恐怖心が湧いてきてしまう。
例え半世紀前に感じなかった恐怖心も、歳と共に強くなってきているので、八紘嶺と大谷嶺は諦めの境地だったのですが・・・・

 それが私の愛読している “賢パパさん” と “ittaさん” の先週のブログに、相次いで大谷崩れが登場したのです。
そうなると今年行かなければチャンスはなくなると猛然と燃えてきました。更にittaさんの 「現地判断で撤退しても」 のアドバイスに
そうだ縦走ではないのだから怖かったら、その時点で引き返せばよい、と気づき兎も角行ける所まで行ってみようと出かけてきました。

        
                      新窪乗越                              新窪乗越から大谷嶺への入口

 後ろから熊除けの鈴の音が聞こえてきたが、何とか追い抜かれないで新窪乗越に到着。
ここでしっかり疲れを取ってから難所に挑もうと20分近くも休憩してしまった。
鈴の音は男性2人組で山伏往復だと、後からきて先に出発。さらに下から女性の声が聞こえてきたので重い腰を上げて出発する。

  
           最初の小手試し(渡った後で写す)                        ホットした所にリンドウが

 登りだして直ぐに右が大谷崩れに落込んでいる所が出た。ウーンこれが最初の小手試しの場所だろうと慎重に通る。
その時は渡り終わった所に咲いていたリンドウを座り込んで写す余裕があった。
だが、これから先はもっと怖い所が出てくるのだろうと気を引き締める。
 (実際はこれが良くないのですよね。慎重になるのは良いが、自ら恐怖心を培養しているようなものだ)

              
              ウワー!痩せ尾根だ                          近づいて見たら

 最初のピークを越えて下りだすと、次のピークへの痩せ尾根と、崩壊場所の崖の縁を通る道が見てきた。ウワー! 嫌だな。
どうやらあそこが今日の最終地点か、など考えながら痩せ尾根に近づいて見ると・・・・・・・・
なんだー 右は崩れているが左はどうと言った事のない木の生えた斜面だった。これなら小笠丘陵の方が怖いと余裕をもって通過。
サー次は崖の横の道だと身構えながら行くが、道は林の中の安全な道が続く。やっと(?)崖の縁に出たがどうと言う事はない。
2つ目のピークに着いたが、さっき見えた崖っぷちの怖そうな道はなかった。多分巻道が林の中を通っていたのだろう。

 三つ目のピークはピークと言えないような小さなもので、越したと思ったら登りだし上には山頂表示らしきものが見えてきた。
とすると最初に出合った所が最大の難所なのだろう。アー良かった。

 
                 大谷嶺山頂                                 大谷嶺山頂

 10時40分に標高2000mの大谷嶺に到着。
駐車場から3時間で到着と言う事は想定通りだったが、想定はゆとりを持った時間の積りだったので、少々ガッカリ。
天気は晴朗で眺めは最高。だが景色を見る前に山頂にある筈の三等三角点を探してみるが見当たらない。
地理院の “基準点成果等閲覧サービス” によれば、この山頂の1999.78mの所に 「行田山」 という三等三角点がある事になっている。
それが安倍山系にこんな事が書いてあった。 「三等三角点『行田』は、昭和40年代に前半に消滅したと考えられている。」 とある。
三角点は無くなれば直ぐ立て直す物だと思っていたので、消滅したままの筈はない、きっと今はある筈だと探したのだが、結局
見当たらなかった。では三角点の横にある白い杭に 「大切にしましょう三角点」 とあるのは一体何なんだ。

 山名表示は山梨県早川町の建てた立派なものがある。「南アルプス連峰 ▽△山(2000m) 早川町」 とあるのだが山の字の上の
二文字が見ずらく削られていて判読できない。
ブログなどにはここに 「行田」 とあったとあるが、地理院の三角点名は “行田”で、設置場所は  “山梨県甲斐 ■南巨摩郡硯島村
大字雨畑 字南■■・■行田” となっているのを見ても多分間違いないだろう。
早川町とは昭和に入り周辺六ヶ村が合併して誕生したようだ。硯島村とは雨畑硯名前で知られている硯石が取れたからだろう。

 山梨県側ではこの山の事を “行田山” と呼び、静岡県側では大谷崩れの上にある山として “大谷嶺” と呼ぶようになったのだろう。
そんな事を知らない静岡県人の登山者が、行田山では間違っていると思い “行田” の二文字を削ってしまったのではないか。
このままでは静岡県民の民度が疑われてしまう。できる事なら削られた場所に “行田” と再度彫り直してもらえないだろうか。
そして静岡県側の景色を見るのに邪魔にならない所に 「安倍奥山稜 大谷嶺(2000m)」 なんて標識があればうれしいのだが。
                                                                つづく