歩行記録 H28-11-6(日)
歩行時間:7時間40分 休憩時間:1時間50分 延時間:9時間30分
出発時刻:6時00分 到着時刻:15時30分
歩 数: 31、232歩(推定距離23.2km) GPS距離16.5km
行程表
本栖湖P 0:20> パノラマ台入口(本栖隧道前) 0:50> 烏帽子岳 0:15> パノラマ台 0:50> 中之倉展望地(分岐・峠) 0:55>
中之倉山 0:25> 佛峠 0:25> 湖畔車道合流(憩いの森キャンプ場) 0:15> 竜ヶ岳登山口 1:05> 端足峠 0:55> 竜ヶ岳
1:05> 湖畔車道 0:20> 本栖湖P
超ミニ岩場 佛石?
五千円札(千円札)の展望台が立入禁止なのに、どうやって写真を写したかって?
深く追及はしない。 自己責任ですよ。自己責任!
展望台までの道はハッキリしていたが、そこを過ぎると踏み跡が薄くなってきた。早速本栖湖側に下る鉄枠の横の踏み跡に
向ってしまったが、よく見ればこれはモノラックのレールだった。
オッといけないと向きを右に移動して、尾根筋についている踏み跡を下る。
踏み跡は時折薄い所もあるが、一番高そうな所を歩いていていれば、また踏み跡は出てくるので特段の不安はない。
写真のような岩場紛いの場所もあって楽しみながら歩く事が出来る。
佛峠と書かれた標識はここまでにもあったが、ここの標識の先にはお地蔵さんが立っていると見紛うような石があり、てっきり
ここが峠かと思ったら仏とは関係ないただの石だった。
パノラマ台を過ぎてから人に会っていない。紅葉の時季の日曜日、しかも展望も良く歩きやすいコースなのに何故だれもいない
のか? パノラマ台では何人もいたが、そこから先は展望のない長い下りが続くので人気がないのだろうか。
しかし少し我慢すれば “お札の展望台” があるし、ここまで歩けば湖畔に下ることもできる。勿体ないなー。
標識1 マムシグサ 標識2
ここのコースの標識は、写真のような標識が建っているが、中には “登山道” とあるだけの物もある。
それでもあれば、ここが登山道だと確認できるが、やはり前後の行先が書いてある方のが安心する。
石割ブナ?
石の間に根を下ろして成長した木は今までにも見た事があるが、写真のように水平の石の間に根を張って伸びた木は初めて見た。
この石割ブナの場所も自然林の中の尾根道で歩いていて気持ちが良い。
そう云えば今日は歩き出してから全て自然林の中を歩いている。これが静岡県なら植林された造成林のオンパレードだ。
この違いは県民性か?それとも終戦時の県の方針の違いか?
そうか戦時中に空襲で被災した都市の多い静岡県は、復興のため木材の需要が多く、植林できる場所は所構わず植林したのだ。
一先ずそうしておこう。
共同アンテナ? 中之倉山
朝が早かったので大分腹が減ってきた。時間的には中之倉山にはまだ着きそうもないので、丁度見えてきたピ-クに着いたら
昼飯にしよう。なんて思って歩いてピ-クに着くと、少し上にも次のピークが見える。エーイ序だと次を目指すことに。
ピークに近づくと踏み跡が尾根を外れて左側に続いている。ここで間違えてもたかが知れていると踏み跡を辿っていくと、木の間から
パイプを組んだ枠が見えてきた。何だろうと近づくとどうやらテレビの共同受信アンテナの様だった。
だが、アンテナがVHFの長いアンテナなので今は使っていないのかもしれない。
前方を透かして見ると竜ヶ岳が見え、その横に半分隠れた富士山が見えていた。
9時40分中之倉山に到着。標高1247m三等三角点 “中之倉” が設置されている。ここにも白い杭は無い。
展望も効かない山頂で、今までの標識に中之倉山と書かれてなかったのが理解できる感じだ。
この印象も薄く人気もなさそうな山で昼飯とした。
モグラの道案内 本栖湖への分岐
中之倉山から10分も下ると、踏み跡は左に下る向きになった。少し心配で尾根筋を見たが急斜面の下りで踏み跡らしきものもない。
左の踏み跡の周囲には、猪が蚯蚓を捕食して掘返した跡が、まるで道案内のように続いていた。
この山以外でも山道を歩いていると道沿いに猪が掘返した跡を見かけるが、踏固められた固い場所を何故掘返すのだろうか?
人が歩くと人の匂いがして蚯蚓が多い? 聞いたことはないな。でも何故だろう?
山頂から20分ほどの所に、本栖湖畔にある “いこいの森キャンプ場” の分岐に出たが佛峠はまだ先だった。
一瞬ここから下ろうかと思ったが、佛峠の “佛” の文字が気にかかる。文字も旧字体なのだから昔からの峠で、石仏が祀ってあると
思う。なら行かなければ後悔をしそうだ。
雨ヶ岳の階段 佛 峠
分岐からまた10分も歩くと峠らしき鞍部が見えた。鞍部の先は急な上り坂になっていて階段が見えている。
あの階段を上るのは嫌だなーと感じながら下ると、杭の道標に 「佛峠」 とあった。アー助かった。
杭には左が “本栖湖ニ至ル” 、右に “釜額ニ至ル”(かまびたい) 、北の尾根側に “佛峠 標高1130米” と書いてある。
そして正面の階段側はと見たが行先は書いてなかった。いつもならこの先は何処かな?と思うだけで終ってしまうが、今回は事前に
ittaさんのブログで得た予備知識がある。この階段の先は雨ヶ岳に通じているので、雨ヶ岳から端足峠に出て竜ヶ岳に向えば、車道を
歩かないコースが設定できるようだ。
そのブログを読んだときは一瞬その気になってしまったが、すぐ冷静になり、雨ヶ岳に行かなくても竜ヶ岳に登れるか不安な者が、
考えるだけでもおこましいコースだと気がつきました。
さて問題の石仏だが付近を探したが見当たらなかった。実は竜ヶ岳を下って湖畔で出会った地元の人に佛峠のことを聞いたら
「佛峠の付近は、昔は金が取れたので人が集まってきて、この辺りは 「本栖千軒」 と云うほど賑わっていた。」 と教えてくれた。
“本栖千軒” とは聞いたことがあるが再度調べてみると
「富士山では金(黄金)が採れた。それもかなり大量にだ。
俗に、「富士金山」 と呼ばれたのは、甲斐と駿河の国境、本栖湖の西にある山々だ。ここには竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山、長者ヶ岳、
天子ヶ岳と、山々が峰を連ねている。この峰はさらに本栖湖の北に回り込む御坂山地につながっているが、じつはこの両山岳地帯の
古生層に、砂金の大鉱床が眠っていたのである。
全盛時にはかなり景気も良かったようで、金掘りの家が1000軒もひしめきあっていたといわれているのが、「本栖千軒」と呼ばれた
金山だ。」(富士山の秘密がわかる本)
成程と納得できる話と共に、こんな説もあった。
「千年以上も前から、甲斐の古道に発展した本栖の宿場、「本栖千軒」。 この古道は、源平の富士川の合戦の際、武田信義らの
甲斐源氏一族も利用したといわれています。 そもそも、本栖という地名は人々の生活の根拠地の意味があり、往還の宿場として
栄えていた歴史を物語ります。 夏でも涼しいので、生鮮魚介類を運ぶ「魚みち」として明治以降まで賑わいました。」
サー貴方ならどちらの説をとりますか、私なら・・・・・・・・・・・
ついでに 「本栖」 の語源については、こんな話もありました。
「富士山の噴火で下部村に避難していた村人が、噴火も治まったので村に戻ってみると、湖には魚が泳ぎ、山には獣がいるのを
見つけ、ここに住みつく事を決意し、元の巣に帰ってきたので、村の名も「本栖」と改めた。」 のだそうです。
峠の話がとんでもない方向に行ってしまったのでこの位で止めます。ともかく峠には “佛” を示す物は見当たらなかった。
少し黄葉 何でしょう?
峠を下りだすと先程の分岐の標識から下ってきた道に合流した。ここには何の標識も無く、これではこちら側から登ると佛峠には
行きつけないかもしれないな(尤も地図を持っていればそんな心配はないだろうが)。
今日も紅葉には恵まれなかったが、この辺りには黄葉が少し残っている感じだ。でも左程の物ではない。
道に落ちていたこの標識?は、ここまでも何カ所かにあったが一体何なんでしょう? 鳥、月(日)、富士の三題噺の道しるべなのか?
何かの行事で使った物だろうが、意味が分からなければゴミでしかない。主催者は行事が終われば片づけるべきだ。
佛峠の標高が1130mとあったが、本栖湖の水面は900m。となると230mの下りなのだが、いささか飽きてしまった。
途中のまだ成長していない桧林に 「赤松 11600本 昭和44年4月30日植付」 とあったのを見つけ、付近を見回しても細い桧が植林
されているだけ。変だなーと思い桧林の中をよく見ると直径30cm以上はありそうな松の木が所々に生えている。
昭和44年なら既に50年近く経っているのであの松がそうだろうか? それにしては1万本も植えたのに少なすぎる。多分植林した
赤松は殆どが枯れてしまったので桧を植え直したのだろう。いや成長した赤松を伐採した跡に桧を植えたのだろうか。
などと暇っ潰しなことを考えながら下った。
いこいの森キャンプ場 車道合流
ようやく建物の近くに来た。道が何本かあるが下りなら標識が無くても湖に出さえすれば車道に出るので困る事はない。
だがここを佛峠に向かう時は悩むというより困るだろうな。あの家に人がいれば聞く事も出来るが、いないとなるとどうするだろう。
こういう所はたとえ地図を持っていてもどうしょうもないだろうから、一周コースを歩くなら時計の逆回りの方がよさそうです。
写真に写っている家の間を下ってきたのだが “いこいの森キャンプ場” に人影はなかった。レンタサイクル用の自転車が何台も
置いてあるので廃業とは思えないが、この紅葉の時季の休日に休業とも考えられない。
(後でHPを確認したらしっかり営業していました。)
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今回で終わらせる予定が、妻から 「温泉に行こう」 と誘われて袋井の温泉に行くことに。なのでお後は “つづき”です。
歩行時間:7時間40分 休憩時間:1時間50分 延時間:9時間30分
出発時刻:6時00分 到着時刻:15時30分
歩 数: 31、232歩(推定距離23.2km) GPS距離16.5km
行程表
本栖湖P 0:20> パノラマ台入口(本栖隧道前) 0:50> 烏帽子岳 0:15> パノラマ台 0:50> 中之倉展望地(分岐・峠) 0:55>
中之倉山 0:25> 佛峠 0:25> 湖畔車道合流(憩いの森キャンプ場) 0:15> 竜ヶ岳登山口 1:05> 端足峠 0:55> 竜ヶ岳
1:05> 湖畔車道 0:20> 本栖湖P
超ミニ岩場 佛石?
五千円札(千円札)の展望台が立入禁止なのに、どうやって写真を写したかって?
深く追及はしない。 自己責任ですよ。自己責任!
展望台までの道はハッキリしていたが、そこを過ぎると踏み跡が薄くなってきた。早速本栖湖側に下る鉄枠の横の踏み跡に
向ってしまったが、よく見ればこれはモノラックのレールだった。
オッといけないと向きを右に移動して、尾根筋についている踏み跡を下る。
踏み跡は時折薄い所もあるが、一番高そうな所を歩いていていれば、また踏み跡は出てくるので特段の不安はない。
写真のような岩場紛いの場所もあって楽しみながら歩く事が出来る。
佛峠と書かれた標識はここまでにもあったが、ここの標識の先にはお地蔵さんが立っていると見紛うような石があり、てっきり
ここが峠かと思ったら仏とは関係ないただの石だった。
パノラマ台を過ぎてから人に会っていない。紅葉の時季の日曜日、しかも展望も良く歩きやすいコースなのに何故だれもいない
のか? パノラマ台では何人もいたが、そこから先は展望のない長い下りが続くので人気がないのだろうか。
しかし少し我慢すれば “お札の展望台” があるし、ここまで歩けば湖畔に下ることもできる。勿体ないなー。
標識1 マムシグサ 標識2
ここのコースの標識は、写真のような標識が建っているが、中には “登山道” とあるだけの物もある。
それでもあれば、ここが登山道だと確認できるが、やはり前後の行先が書いてある方のが安心する。
石割ブナ?
石の間に根を下ろして成長した木は今までにも見た事があるが、写真のように水平の石の間に根を張って伸びた木は初めて見た。
この石割ブナの場所も自然林の中の尾根道で歩いていて気持ちが良い。
そう云えば今日は歩き出してから全て自然林の中を歩いている。これが静岡県なら植林された造成林のオンパレードだ。
この違いは県民性か?それとも終戦時の県の方針の違いか?
そうか戦時中に空襲で被災した都市の多い静岡県は、復興のため木材の需要が多く、植林できる場所は所構わず植林したのだ。
一先ずそうしておこう。
共同アンテナ? 中之倉山
朝が早かったので大分腹が減ってきた。時間的には中之倉山にはまだ着きそうもないので、丁度見えてきたピ-クに着いたら
昼飯にしよう。なんて思って歩いてピ-クに着くと、少し上にも次のピークが見える。エーイ序だと次を目指すことに。
ピークに近づくと踏み跡が尾根を外れて左側に続いている。ここで間違えてもたかが知れていると踏み跡を辿っていくと、木の間から
パイプを組んだ枠が見えてきた。何だろうと近づくとどうやらテレビの共同受信アンテナの様だった。
だが、アンテナがVHFの長いアンテナなので今は使っていないのかもしれない。
前方を透かして見ると竜ヶ岳が見え、その横に半分隠れた富士山が見えていた。
9時40分中之倉山に到着。標高1247m三等三角点 “中之倉” が設置されている。ここにも白い杭は無い。
展望も効かない山頂で、今までの標識に中之倉山と書かれてなかったのが理解できる感じだ。
この印象も薄く人気もなさそうな山で昼飯とした。
モグラの道案内 本栖湖への分岐
中之倉山から10分も下ると、踏み跡は左に下る向きになった。少し心配で尾根筋を見たが急斜面の下りで踏み跡らしきものもない。
左の踏み跡の周囲には、猪が蚯蚓を捕食して掘返した跡が、まるで道案内のように続いていた。
この山以外でも山道を歩いていると道沿いに猪が掘返した跡を見かけるが、踏固められた固い場所を何故掘返すのだろうか?
人が歩くと人の匂いがして蚯蚓が多い? 聞いたことはないな。でも何故だろう?
山頂から20分ほどの所に、本栖湖畔にある “いこいの森キャンプ場” の分岐に出たが佛峠はまだ先だった。
一瞬ここから下ろうかと思ったが、佛峠の “佛” の文字が気にかかる。文字も旧字体なのだから昔からの峠で、石仏が祀ってあると
思う。なら行かなければ後悔をしそうだ。
雨ヶ岳の階段 佛 峠
分岐からまた10分も歩くと峠らしき鞍部が見えた。鞍部の先は急な上り坂になっていて階段が見えている。
あの階段を上るのは嫌だなーと感じながら下ると、杭の道標に 「佛峠」 とあった。アー助かった。
杭には左が “本栖湖ニ至ル” 、右に “釜額ニ至ル”(かまびたい) 、北の尾根側に “佛峠 標高1130米” と書いてある。
そして正面の階段側はと見たが行先は書いてなかった。いつもならこの先は何処かな?と思うだけで終ってしまうが、今回は事前に
ittaさんのブログで得た予備知識がある。この階段の先は雨ヶ岳に通じているので、雨ヶ岳から端足峠に出て竜ヶ岳に向えば、車道を
歩かないコースが設定できるようだ。
そのブログを読んだときは一瞬その気になってしまったが、すぐ冷静になり、雨ヶ岳に行かなくても竜ヶ岳に登れるか不安な者が、
考えるだけでもおこましいコースだと気がつきました。
さて問題の石仏だが付近を探したが見当たらなかった。実は竜ヶ岳を下って湖畔で出会った地元の人に佛峠のことを聞いたら
「佛峠の付近は、昔は金が取れたので人が集まってきて、この辺りは 「本栖千軒」 と云うほど賑わっていた。」 と教えてくれた。
“本栖千軒” とは聞いたことがあるが再度調べてみると
「富士山では金(黄金)が採れた。それもかなり大量にだ。
俗に、「富士金山」 と呼ばれたのは、甲斐と駿河の国境、本栖湖の西にある山々だ。ここには竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山、長者ヶ岳、
天子ヶ岳と、山々が峰を連ねている。この峰はさらに本栖湖の北に回り込む御坂山地につながっているが、じつはこの両山岳地帯の
古生層に、砂金の大鉱床が眠っていたのである。
全盛時にはかなり景気も良かったようで、金掘りの家が1000軒もひしめきあっていたといわれているのが、「本栖千軒」と呼ばれた
金山だ。」(富士山の秘密がわかる本)
成程と納得できる話と共に、こんな説もあった。
「千年以上も前から、甲斐の古道に発展した本栖の宿場、「本栖千軒」。 この古道は、源平の富士川の合戦の際、武田信義らの
甲斐源氏一族も利用したといわれています。 そもそも、本栖という地名は人々の生活の根拠地の意味があり、往還の宿場として
栄えていた歴史を物語ります。 夏でも涼しいので、生鮮魚介類を運ぶ「魚みち」として明治以降まで賑わいました。」
サー貴方ならどちらの説をとりますか、私なら・・・・・・・・・・・
ついでに 「本栖」 の語源については、こんな話もありました。
「富士山の噴火で下部村に避難していた村人が、噴火も治まったので村に戻ってみると、湖には魚が泳ぎ、山には獣がいるのを
見つけ、ここに住みつく事を決意し、元の巣に帰ってきたので、村の名も「本栖」と改めた。」 のだそうです。
峠の話がとんでもない方向に行ってしまったのでこの位で止めます。ともかく峠には “佛” を示す物は見当たらなかった。
少し黄葉 何でしょう?
峠を下りだすと先程の分岐の標識から下ってきた道に合流した。ここには何の標識も無く、これではこちら側から登ると佛峠には
行きつけないかもしれないな(尤も地図を持っていればそんな心配はないだろうが)。
今日も紅葉には恵まれなかったが、この辺りには黄葉が少し残っている感じだ。でも左程の物ではない。
道に落ちていたこの標識?は、ここまでも何カ所かにあったが一体何なんでしょう? 鳥、月(日)、富士の三題噺の道しるべなのか?
何かの行事で使った物だろうが、意味が分からなければゴミでしかない。主催者は行事が終われば片づけるべきだ。
佛峠の標高が1130mとあったが、本栖湖の水面は900m。となると230mの下りなのだが、いささか飽きてしまった。
途中のまだ成長していない桧林に 「赤松 11600本 昭和44年4月30日植付」 とあったのを見つけ、付近を見回しても細い桧が植林
されているだけ。変だなーと思い桧林の中をよく見ると直径30cm以上はありそうな松の木が所々に生えている。
昭和44年なら既に50年近く経っているのであの松がそうだろうか? それにしては1万本も植えたのに少なすぎる。多分植林した
赤松は殆どが枯れてしまったので桧を植え直したのだろう。いや成長した赤松を伐採した跡に桧を植えたのだろうか。
などと暇っ潰しなことを考えながら下った。
いこいの森キャンプ場 車道合流
ようやく建物の近くに来た。道が何本かあるが下りなら標識が無くても湖に出さえすれば車道に出るので困る事はない。
だがここを佛峠に向かう時は悩むというより困るだろうな。あの家に人がいれば聞く事も出来るが、いないとなるとどうするだろう。
こういう所はたとえ地図を持っていてもどうしょうもないだろうから、一周コースを歩くなら時計の逆回りの方がよさそうです。
写真に写っている家の間を下ってきたのだが “いこいの森キャンプ場” に人影はなかった。レンタサイクル用の自転車が何台も
置いてあるので廃業とは思えないが、この紅葉の時季の休日に休業とも考えられない。
(後でHPを確認したらしっかり営業していました。)
**********************************************************
今回で終わらせる予定が、妻から 「温泉に行こう」 と誘われて袋井の温泉に行くことに。なのでお後は “つづき”です。