はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江33観音5-4

2010-06-07 17:18:00 | 寺社遍路
遠江33ヶ所観音霊場巡り5-4回目        2010/05/28


    3.1k  1.5k  5.5k  0.9k  2.9k  0.9k  5.5k  4.7k  1.4k
金谷駅-26番-25番-23番-21番-20番-19番-27番-28番-菊川駅
    45   22   1:21  15   37   11   59   60  14 

 歩行距離     26.4k
 総時間      8時間07分
 歩行時間     5時間44分
 平均歩行時速   4.6k

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   27番 慈眼寺へ(法印さん)

 次の札所は国道1号やJR東海道線を越した菊川市西片の永宝寺の中にある慈眼寺だ。
今歩いてきた道を国1の八坂ICまで戻るのだが、先ほどとは道を変えて歩く。
途中に「遠江国二十番 子安観音道と彫られた石塔も建っていた。更に国1歩いていると、国道横の逆川(掛川城の横を流れている川)を挟んで神社があった。しかし鳥居は国道側にある。どうなっているのかと覗き込んでみると、狭い沈下橋状の残骸が残っていた。
大水が出て壊れてしまったのを、そのまま放置してあるようだ。確か四国の沈下橋で流されないように板を紐で結んで岸の杭に縛ってあった橋があったが、ここもそんな対処をした方のが良いかな、など余計な事を考えながら歩く。

               

 今日は朝から道勘(?)が冴えていて順調に来ている。今もT字の交差点で少し迷ったが左に曲ると直に寺の案内があった。古い書体で「瀧之谷永寶寺」と書かれた大きな看板の下に何やら手作りのお地蔵さんが建っている。チョット看板や石塔とそぐわないが子供達の作品か?

           

 この寺は三つある溜池(上池・中池・下池)の下池の畔にあり、時季になると蛍が飛び交う自然豊かな場所だ。
寺の入口は民家の門のような感じだが大きな看板があるので間違いはない。別の看板には小児疳虫封・病気平癒・金神除など色々書いてある。

          

それにしても金神除ってなんだ? 金の神様を除けたら貧乏になってしまうのに? 家に帰り調べてみたがよく解らなかったが「金神は年・月に応じて、坐(ま)す所を移し、そこを侵せば凶事が起るとされ、その障(さわ)りを除くのが金神方除です」という記述があった。また墓を作るとき家の地鎮祭の時と同様に金神除をするとあるので、鬼門にいる悪霊を追い払う儀式なのかもしれないな。
やっぱり金運を除けるお払いじゃなかったんだ。   当りまえか。
看板には更に「易占運命鑑定」として結婚・恋愛・家相なども書いてある。こんな札所は初めてだったので、何かいかがわしさを感じながら境内に入っていった。

          

アレ??? 観音堂や本堂らしき入口にしめ縄を張ってある。神社でもないのに何故だ。よく解らない寺だ。

          

お参りをしていると有髪で羽織袴の男性が出てきて
「ご苦労様です。私はこの寺の別当をしていて地元では「法印さん」と呼ばれている者です」と自己紹介をしながら話しかけてきてくれた。
またまた聞いた事はあるが理解していない言葉が出てきた。本当は質問してみたかったが話の腰を折っても悪いので知ってるような顔をして聞いていた。
(別当=本官のあるものが別の役職を兼ねる場合に、それを補佐する役職。神社に属しつつ仏教儀礼を行う僧侶のこと)
(法印=山伏や祈祷師(きとうし)の異称。僧に準じた医師・絵師・儒者等に与えられた称号)

「この寺は真言宗を名乗っていますが、明治までは修験道のお堂で山伏達の修行する場所だった。それが明治の廃仏毀釈で修験道は禁止される事になり、危機感を持った山伏はお堂を神社や仏教に宗旨替えをした。なかでも真言密教は修験道と似ていたこともあり真言宗になったお堂が多い」
「札所めぐりの始めは、山伏が修行のため全国を渡り歩くとき泊ったお堂が札所になった例が多い。だから貧乏寺が多くて、ご開帳をして人を呼び寄せて喜捨を受ける。また地元も泊り客で儲けるようになった。だが毎年やっては有難味が薄いので、33の札所が年を違えてご開帳をするようにしたので御開帳が33年毎という寺が多い」
確かに遠江の札所も33ヶ寺のうち19ヶ寺が33年毎のご開帳だった。中々説得力がある。
「しかし最近作る観音めぐりは観光化してしまい大型バスが入れるような大寺でなければ、なれなくなってしまった」そういえば昭和に出来た遠州33観音は大寺が多い。

話をしていると中年の女性が入ってきた。法印さんは「いらっしゃいませ」と言って本堂に入っていった。どうやら参拝客でなく「易占運命鑑定」の方の客のようだ。もっと話を聞きたかったが仕方ない、諦めるとしよう。

 境内を眺めていると庫裏から出てきた女性が「どちらから来られたのですか」と聞いてきた。
「旧の大井川町から来ました」
「そうですか、大井川といえば、この横の池は大井川用水の水ですよ」
「エッ!大井川から隧道か何かで、ここまで来ているのですか」
「サーそれは解らないけど大井川の水である事は確かです。農家の人は用水の使用料を払っていますから」フーンそうなんだ。それじゃさっき見た田圃の中で水が湧き出している管があったが、あれも大井川からの水だったんだ。この札所では色々な事が聞けた。別れ際に
「この辺りは夜になると蛍が舞って綺麗ですよ。一度見に来てください」と言ってくれた。

          

境内の隅に「野猿施設の利用について」と書かれている。横には頑丈そうな野猿があったが頑丈な鎖で縛られていて乗ることができない。残念だ。オット野猿を知らない人がいるかな。
野猿とは橋の代用品で、川を渡るのにロープを張りかごを乗せ、自分の力で綱を引っ張って向こう岸に渡る原始的な乗物です。と書いてあった。

          

    28番 正法寺へ


 池の横を通って次の札所に向かう。途中田圃の中に何ヶ所も太い管から勢いよく水が噴出していた。これが大井川用水の水だろう。大井川の本流には水が少ないが、こんな使われ方をしているとは知らなかった。

          

 又軽い峠を越えて新幹線のガードを潜り。JR東海道線の踏切を渡って今日最後の札所正法寺に着いた。

          

入口に槇の木を誘引して門の様にした下を通って境内に入ると左手の梵鐘の下が大きな灰皿のような蓋をした穴があいている。そこには何やら書いた木札が置いてある。きっと鐘の音響をよくする装置の事だろうと読んでみると「この梵鐘は平和・長寿の鐘と言います----」なんだつまらない。

               

 今日のゴール菊川駅にはJRの線路の北側を辿っていく。今日は道勘が良くて一度も迷わなかったのは、遠江の道に慣れてきたのか? そんな事はないな。今日はたまたま分かりやすいだかったのだろう。慢心を避けるためそう思うことにした。

           

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