みちのくの山野草

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「自分の生命など、いつでもくれてやる」?

2020-01-27 16:00:00 | 『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』より
〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉

 では今回は最後の章「徴兵を巡る問題」からである。
 ここで目を引いたのは、次の記述であった。
 世界が、人類が平和で幸福でなければ、自分の幸福などありうるはずがないという信念を賢治はもっていた。
               〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)175p〉
 そしてこの記述は、「農民芸術概論綱要」の「序」の中の例の、
    世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。………①
に対応するものだと、私は思った。

 実はこの「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」に関しては、以前〝凡人から見た天才賢治(ぜんたい幸福)〟で取り上げたように、〝①〟は、
    世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない………①′ 
で考えるしかないし、この〝①′〟は普通は論理的には成り立たないのではなかろうかと私は主張した。そして、この〝①〟は法華経信者賢治が折伏する際の心構えであったと私は考えている。 
 そこでこの度、綱澤氏から「世界が、人類が平和で幸福でなければ、自分の幸福などありうるはずがないという信念を賢治はもっていた」と説明して貰うと、〝①〟はこのように解釈すればいいのかと、私はいままでのモヤモヤが大分すっきりした。そうか、「論理」ではなくて「信念」と考えればいいのだと。だから、「折伏する際の心構え」という解釈もそれほど間違ってはいなかったのだと私は安堵したのだった。

 そして、この本もやっと終わりに辿り着いたかなと思った時に、再び私のモヤモヤはまた増してしまった。それはこの章の最後の記述、
 世界、人類すべてが平和に、そして幸福になるならば、そのためならば、自分の生命など、いつでもくれてやるという高貴な精神は、近代の平和主義やヒューマニズムなどをはるかに超えたものである。
               〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)196p〉
によってだ。とりわけ、「自分の生命など、いつでもくれてやるという高貴な精神」という一言にだ。もう少し詳しく言うと、「自分の生命など、いつでもくれてやる」という行為は、私にはかえって暴力的な行為に映るからだ。そしてまた、自分の命を粗末にするような人が他人の命をはたして尊重できるのだろうかという不安が私には付きまとうからだ。到底「高貴な精神」ではあり得ないし、どちらかというとその真逆な精神であるのではなかろかとさえも思えるのである。
 言い換えれば、誰にもできそうにもないことを高々と言うことが素晴らしいのではなくて、それを実践し続けることの方が素晴らしいのではなかろうか。そのようなことを実践をし続けることもなく、(まして一度の実践さえもせずに)誰もできそうにもないことを声高に言ったからといって、はたしてどれだけの真実や価値があるというのだろうか。だから私は、賢治精神を高々と掲げながらも、それを実践しない人を私は誉め讃えることはしない。まして、賢治精神を高々と掲げる人たちが逆に、賢治精神を実践しようとする人たちを徹底的に叩きのめすということが少し前に実際にあった<*1>ことを知っている私はなおさらにそう思う。

 というわけで、私のモヤモヤは幾ばくか晴れたかなと一時思ったのだが、また元に舞い戻ってしまった。がしかし、いずれこのモヤモヤは遠からず晴れるであろうことを期待して、このシリーズを終えたい。

<*1:投稿者註> このことに関しては、以前の投稿『三陸被災地支援募金を押し潰した賢治学会幹部』をご覧頂きたい。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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