〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉
さて、懸案の「真の贈与」に付いての私の理解はなかなか深まらないが、『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』の章「童話について」の中でもまた、「贈与」に関して次のようなことが論じられていた。
山男の日常は、全面的に自然に依存している。作為的に自然に挑戦したり、改変したりはしない。一木一石にいたるまで、それぞれの中に神が宿り、その神との交感、交流を通じて山男は生きている。その謙虚さが維持されて、はじめて自然は山男をあたたかく包んでいてくれる。人間がそのように生きようとするならば、そこに絶対的に要請されるものは贈与の精神であるが、この市場原理が横行している現実世界で、そのような精神を貫くことは死を意味することになる。
本格的な純粋贈与を人間以外の生物は人間にしてくれている。どのようなエゴも捨て、花を咲かせ人間を楽しませてくれる。人間はその花にたいし、何一つ与えることはしない。
仏教の厳しい修行というものは、その贈与への御礼、感謝を教えてはいるが、普通の人々にそんことの実現は不可能である。
〈『宮沢賢治の声 啜り泣きと狂気』(綱澤 満昭著、海風社)160p〉本格的な純粋贈与を人間以外の生物は人間にしてくれている。どのようなエゴも捨て、花を咲かせ人間を楽しませてくれる。人間はその花にたいし、何一つ与えることはしない。
仏教の厳しい修行というものは、その贈与への御礼、感謝を教えてはいるが、普通の人々にそんことの実現は不可能である。
さて、私は先に少しだけ「贈与」についてわかった気がしたのだが、ここに来てまた後ずさりしてしまった。その一つの原因は、「仏教の厳しい修行というものは、その贈与への御礼、感謝を教えてはいる」である。それはもちろん、私は「仏教の厳しい修行」をしたことがないし、今後もまずあり得ないだろうからである。とはいえ、「普通の人々にそんことの実現は不可能である」と続いていたから、普通の人の一人である私はこのことについては棚上げしておくことにした。
そしてもう一つの原因は、ここの論理がよく解らないからだ。
まず「人間がそのように生きようとするならば」についてだが、この「そのように」とは「山男のように」という意味になるはずだから、「人間がそのように生きようとするならば……そのような精神を貫くことは死を意味することになる」の意味は、「人間が山男のように生きようとするならば、そこに絶対的に要請されるものは贈与の精神であるが、そのような精神を貫くことは死を意味することになる」という意味になる。そこで私は、ますますこの論理が解らなくなってしまう。
そもそも「贈与」とはなにか。そこで、広辞苑によって「贈与」の意味を確認すると、
【贈与】①金銭・物品などをおくり与えること。
であった。そこで次に、もう一度「人間がそのように生きようとするならば……そのような精神を貫くことは死を意味することになる」を私なりに言い換えてみると、
作為的に自然に挑戦したり、改変したりはしない。人間がそのように生きようとするならば、そこに絶対的に要請されるものは「ものなどをおくり与える」精神であるが、そのような精神を貫くことは死を意味することになる。
となり、人間の方が自然に対して「贈与」することになってしまって矛盾が起こるのではなかろうかと、私は迷路にはまってしまったからだ。その一方で、いみじくも「本格的な純粋贈与を人間以外の生物は人間にしてくれている。どのようなエゴも捨て、花を咲かせ人間を楽しませてくれる」とあるように、「人間以外の生物」が「どのようなエゴも捨て、花を咲かせ」て「人間を楽しませてくれる」「本格的な純粋贈与」こそが、「真の贈与」にかなり近いのではなかろうかと私は思ってしまったのだった。
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************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈はじめに〉
………………………(省略)………………………………
〈おわりに〉
〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間) 143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと 146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等 152
《註》 159
《参考図書等》 168
《さくいん》 175
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