みちのくの山野草

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凡人から見た天才賢治(ぜんたい幸福)

2015-09-10 08:30:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 この頃の私は、
   欲張れば不幸になる。
ということを心掛けている。言い換えれば、
   欲張らなければ案外自分は幸せ。
ということであり、実際それで結構満足している。さてそれではこの場合の「幸せ」とはどのようなことを意味しているのだろうかということを私なりに考えてみたところ、
   幸せ=幸福
が成り立つということに落ちついた。

 そこで次に、賢治がいうところの、
    世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。……①
についてだが、この場合の「幸福」とはさてどのような意味なのだろうか。まずは『広辞苑』によれば
    幸福=心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ。……②
とある。
 そして次に、そもそも賢治が云うところの「ぜんたい幸福」という用語はどんな幸福のことなのだろうか。さしずめ漢字で表せば「全体幸福」となると思うが、管見故かそのような用語を私は知らない。せいぜいこれに近い用語としては「全体の幸福」というそれがあり、この「全体の幸福」にしてもそれはきわめて多義的であるということだから、この際の考察には馴染まないだろう。となれば、凡人の私はとしては〝①〟は
    世界全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない……①′
として考察するしかない。

 そしてもう一つ確認しておきたいことが、「幸福」と「幸せ(しあわせ)」の違いである。広辞苑では前掲のように
   幸福=しあわせ……③
という意味もあるとしているが、私は少しニュアンスが違うと思っている。ちなみに、同じく『広辞苑』によれば、
   幸福=心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ。
   幸せ=幸福。好運。さいわい。また、運が向くこと。
となっているから、いつでも等式〝③〟が成り立つわけではないことをそれこそ『広辞苑』自身が語ってる。ちなみに前者の場合には、自分の心の中で決まるが、後者は他との関係で決まるというそれぞれのニュアンスの違いもあるだろう。

 となればこの〝①〟に関する考察においては、誤解を避けるためには〝②〟は使わずに
   幸福=心が満ち足りていること。また、そのさま……④
でいけばそれを防げることがわかる。

 ではこれで準備ができたので、改めて
    世界全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。……①′ 
について考えてみよう。さて、この〝①′〟はどんなことを意味するか? 〝④〟によって〝①′〟は、
    世界全体が心が満ち足りているようにならないうちは個人の幸福はあり得ない。
と書き換えられるし、さらに丁寧に言い換えれば
    世界全体が心が満ち足りているようにならない限りは、個人の心が満ち足りていることはあり得ない。
となる。
 そして私は気付く。このような論理は普通は成り立ち得ないことに。なぜなら、一つには「個人の心が満ち足りているか否かは」その人個人の心の持ちようであり、その持ちようは周りから規制されるものでもなければ規制できるものではないからである。また一方で、「世界全体が心が満ち足りているか否か」を判定できるような人物も組織も存在し得ないことは、凡人から見た場合これまた明らかだからである。別な言い方をすればこの場合、全世界の構成員の誰もがもれなく心が満ち足りていることが、「世界全体幸福」であることの意味になってしまうのだから、〝①′〟は
 全世界の構成員の誰もがもれなく心が満ち足りているようにならない限りは、個人の心が満ち足りていることはあり得ない。
ということになり自家撞着があることに気付く。おのずから〝①′〟も自家撞着があるということが導かれる。そう、全世界の構成員の誰もがもれなく心が満ち足りているような状態にならなくとも、ある個人の心が満ち足りていることがあることは誰でも知っているだろうからだ。

 よって私のような凡人から見た場合、〝①′〟は単なる言葉の遊びにすぎず、おのずから〝①〟もまた同様であるとならざるを得ない。なにも、賢治が言ったことだからといって全てを真に受けなくても良いのであって、賢治はこのような文章を作って自分は楽しんでいるのであり、また一方で私のような凡人をからかってるのだと言えるのではなかろうか。そして、この〝①〟についてのこれ以上の高尚な論考は、あとは賢治研究家に任せましょう。なおそうしたとしてもその際に大事なことは、どのような解釈が〝可能〟かということではなくて、どのような解釈がより〝蓋然性が高い〟かということであろう。可能性ならいくらだって存在するからである。
 一般にそうであるように、賢治が語っていることもいろいろな解釈が可能であろう。しかし、凡人の私から見れば、素朴に素直にそれを解釈してもいいのに、賢治の場合に限ってはどういうわけか必要以上に高尚な解釈がなされているような気もしている。賢治のことだからということで、素朴な解釈や素直な理解、常識的な見方は軽視されているような気がしてならない。

 とまれ、今まで賢治のことを少しく調べてきて知ったのだが、もちろんそれは当たりまえのことでもあるのだが、賢治もあの時代に生きた一人の普通の人間であったという側面が少なからずあったということを知った今の私は、賢治を庶民的な感覚で見直すことも、常識的な解釈で理解してみることも案外無駄ではないのだと思えるようになってきたのである。
 そして一方で、「ぜんたい幸福」とはどんな幸福のことをいうのか、どう定義するかということを疎かして〝①〟について考察、論議してもその結果は実り少ないものとなるということを覚悟せねばなるまい。しかも、それを疎かにしているということが実態なのかもしれない。

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「世界がぜんたい幸福」とは如何 (辛 文則)
2015-09-15 03:45:15
  鈴木守様 / 辛 文則

  ご無沙汰申しておりました。暫くぶりで先生のブログ拝読し、小生が、この四十年来、「なんともはや難有い々々々」という因縁から、「ああでもないか、こうでもないか…」と思量而非思量を重ねてきた、代表的な賢治の「玄妙不可思議なる〈賢治の語用道取〉」について言挙げなされているので、逸ぴつ一筆申しあげます。
  その「難有い問題」とは、「〈世界がぜんたい幸福〉を〈世界全体が幸福〉と書き換えて考察を加えるのは妥当化か否か?」という問題設定です。
  結論から書くと、小生の問題意識の懐き方からすると、「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という、ごく坐りの宜しい」常道的な現代日本語文〉に書き直してしまうと、〈十四歳的知能力〉によっても、「そんなバカな!」という結論をしか導きだせないとしか申せません、ね。
  というのも、「如何なるか幸福?」という問いを立て、「千金子慾の達成」「万乗君慾の実現」「俗界寵児慾の成就」といった俗世的三大慾の現成は幸福と不幸との何方をもたらす可能性が大きいいか?、などと小学生に問いかけたなら、どんな応答が返ってくるかなどと想像してみるのは。譬えば、「世界全体を支配する権力と金力と名声を自分のものにしたがる徒輩をどう感じるか?」などと。全体主義だとか独裁主義だとかいったオゾマシイ我利私慾が連想されるだけで、…。時おり、「宮澤賢治は全体主義的ファッショだった!」という荒唐無稽な主張を耳にすることがありますが、〈田中智学底八紘一宇主義〉は兎も角として、「吾等が問題と作すに足り得る賢治遊子」の場合には。
  つまり、小生の如きヘソ曲りにとっては、「世界がぜんたい幸福」という〈玄妙な日本語文〉の限りに於いて考察し得る、「賢治の道(い)う幸福とは如何なるか?」と思惟思量を加えてみることにしか、…。
  先ず、この坐りのヨロシクナイ賢治流日本語文に遭遇した時の小生が考えたのは、「この文脈での〈世界〉というボキャは〈個外世界〉と〈個人内世界〉の何れなるか?」 、なのでした。こじそれが、「個人外世界の幸福」についての見解なら、「世界全体が幸福」と書き直して、すでに言及した議論に対(むか)い合うという仕儀に。
  で、「個人内世界での全体性」に対うということになると、自己矛盾同着葛藤の自己克服問題としての仏教哲学問題に対うということに。例えば、〈哲学者としての谷川徹三〉は、「吾が哲学の師は西田幾太郎と田辺元の二人だけである」と書いていますが、『宮澤賢治像』や『新渡戸稲造像』や『内村鑑三像像』や『谷川徹三像』なども作っている無教会主義基督者だった高田博厚の最高傑作と小生が観じている西田幾太郎の〈道破〉に擬えるなら「絶対矛盾の自己同一(という全体性)」というのはいかがでセウカ。
  たとえば、単なる絶望やメランコリアを因縁とするソレではなく「自家撞着的懊悩の果ての自棄自死」を、〈不幸の極み〉と考え、左様な身心状態からの解放を〈悟達という幸福〉と見立てて遊ぶ、というのは。
  で、改めて、〈農民芸術〉あるいは〈百姓芸術〉とは限らず、「如何なるか、人間にとっての芸術の効用は?」、と問い直して遊ぶと、…。たとえば、送籍者漱石が、その『草枕』で問いかけている〈難有い問題〉はまさに、日清日露戦争という字だ井時代閉塞の状況下での、「芸術の〈百姓(ひゃくせい)〉にとっての効用性」であったと読めると考えるに至っています。で、この二十数年来、漱石の『草枕・四』 での「ターナーのサラドの涼しい色」という文彩と、賢治の『不貪慾戒』での「タアナナアの欲しりそうな上等なさらどの色」というレトリックとを関係づけて遊んで来ている次第です。
  因みに、今此処で用いた〈百姓〉という語用は、「〈ひゃくしょう〉と音読して〈農民〉と意読す」るそれではな、「〈ひゃくせい〉と読んで〈庶民・平民〉と解す」る、〈本来の面目〉の方です。たとえば、〈昭和〉という年号の典拠になった「百姓昭明、万邦協和。」(『書経』)という古道でのそれです。中国や韓国朝鮮では今日での〈百姓〉という漢語は〈庶民〉の意味のようです。網野善彦氏の『歴史を考えるヒント』によると、〈日本国〉でも中世までは〈フツーの人々〉の意で用いられ、〈農民〉の意味で定着したのは江戸時代以後ということだとか。 
  それが、今や、差別語として、教科書やジャーナリズムどころか辞書からまで消えつつあると。〈大日本帝国ニッポン〉に於いて、〈百姓〉という語の本来の意味に興味を対けた〈人人:にんにん・モナド的t一個人〉が最も多くなったのは、〈一九二六年時点〉つまり〈大正一五年・昭和元年時点〉だったというのは、…。「文化歴史を勿忘草紫苑」という心意気の持ち主であったなら尚更に。
  またまたナガナガと失礼いたしました。
                   2015,9,15 3:44
返信する
もちろん「否」です (辛様(鈴木))
2015-09-15 07:05:37
辛 文則 様
 お早うございます。
 ご無沙汰しておりました。
 さてこの度の「世界がぜんたい幸福」に関する投稿のコメントありがとうございました。

 仰るとおり、「〈世界がぜんたい幸福〉を〈世界全体が幸福〉と書き換えて考察を加えるのは妥当か否か?」と問われれば、それはもちろん「否」です。書き変えないもので考えるべきでしょう。

 さりながらそうであれば、私にとっては、「羅須」とは何かという問題とそれ程違いがなくなってしまいます。そのことをあれこれ穿鑿・推測することは面白いとは思うのですが、今になってしまえば「羅須」とはこれだと断定することはもはや誰にも、そして永久にできないはずです。その「羅須」と「ぜんたい幸福」はほぼ同様な構図に置かれていると私は思っておりますので、「凡人から見た天才賢治」という視点では考察の対象に馴染まないと思います。
 言い方を換えますと今回の投稿は、その意味が文章として客観性を持ち得るそれに近いものであればどうなるかということを言いたかっただけです。またそこまでが私の能力の限界であり、それ以上のことを追及することにはあまり興味もございませんし、現時点では意味もないと単純な私は勝手に決めつけております。
 まさに、〈フツーの人々〉の意で用いられたそれこそ〈百姓〉、〈庶民〉の感覚で賢治を眺めてみたいと、一度眺めてみる必要があると思うこの頃です。
 
 末筆ながら、アトリエの完成等のためにお忙しいと思いますので、どうぞご自愛下さい。
                                                  鈴木 守
返信する
〈羅須地人〉という名の裏には? (辛 文則)
2015-09-15 19:21:20
  鈴木 守 様 / 辛 文則

   早速の返信難有うございます。やっとのこと、新アトリエ・オーディオ棟、昨日から〈建て前(棟上げ・柱立て)〉に入りました。今日までの二日間で、二階屋根の骨組みまで進みました。それにしても、二十年前の木造耐震構造とはけた違いの耐震構造で安心しています。震度七の烈震に襲われれば潰れるでしょうが、震度六強程度では、室内の建具は倒れても構造が破砕することはない、と。まあ、「五十年以上は確実に」と〈孫子の代〉に想いを馳せて。
  ところで、この度の旧棟取り壊しに伴う大片づけで思わぬ父の遺物が出てきました。彼が、西洋レコード評論家〈野村あらヱビス〉の『名曲レコード事典』の案内で昭和十二年から、「日本コロムビアから日本蓄音機に社名が変わった昭和十六年頃」,まで、毎月、旧俸給の半分を投じて収集于していたSPレコードアルバムの一部、五十枚ほどのSPレコードが出てまいりました。小生が中学校時代から高校二年生の頃まで舐めるように聴き込んだ、バッハやモーツァルトやベートーヴェンの名曲ばかりです。父吾が癡地父が購入してから八十年、小生が聴き込んでから五十数年年の有時経歴が過ぎ去ってしまった訳です。
  賢治が日本ポリドール社からSPレコードを買い始めたのは、羅須地人協会を興した頃ですからおよそ九十年の有時が過ぎたことに。野村長一が、〈あらヱビス〉名で、ベートーヴェンの第九の全曲録音初録音SPの録音表評を書いたのが大正十三年、関東大地震の翌年だったそうで、それが日本最初のレコード評論家(野村光一の方が一年早いという説も)の誕生だった訳ですし、賢治が〈第九合唱〉にのめり込むことも出来た訳ですね。
   因みに、〈第九合唱〉は、〈フリーメーソンリー(自由の石工)〉思想の譬喩的表現であることを賢治は嗅ぎつけていたんでしょうかしら。新渡戸稲造や内村鑑三そして夏目漱石、高村光太郎ら白樺派の人々、そして、野村長一や松本竣介はその辺りの事情に関心を懐き、或る程度は通じていたようですが、斎藤宗次郎や藤原嘉藤正治そして賢治がどうだったかという〈プロブレマティーク(問題設定)〉の書巻には管見にして寡聞故にb遭遇してはおりません。因みに、賢治SPバカ時代と辛文人のSPバカ時代は僅か十年ほどの時間差しかないというのは、……。尚、吾父が岩手師範学校美術選科に入学し、〈白楊会〉なる、二十二歳ほどの佐藤俊介も賛助出品していた洋画研究会に入会したのは、賢治と稲造が亡くなった昭和八年のことでした。  そんな、〈大日本帝国・大正昭和時代文化史kぁっ子〉への〈勿忘草紫苑の花瓣〉の標の為にも、そのSPレコードの再生音響を奈良市奈良して鳴るらしてみたいと考えています。幸い、小生が使っている四十れ箇年前に購入したレコードモーターの〈テクニクすスSP10Ⅱ〉には78回転ポジションがついていますし、レコードアームの新旧二本もSP音拾いに使えます。問題は、カートリッジですが、どういう訳か、今日、LP再生どころかSP再生も数寄者の間でブームになっており、ネットで、一万円弱から十数万円の代物まで容易に手に入るご時世です。「野村胡堂記念館でのように非電気式蓄音機で聴きたい」などというゼ委託贅沢を言わなければ、…。
    さて、前置きが長くなりましたが、このここ「」投稿で問題にして遊びたいのは〈羅須地人協会〉という名の裏に、「賢治が蔵したかもしれない意味の深み」の推論言語ゲームについてです。固より、実体論的実証を求める向きには何の意味(センス)も価値(ヴァリュー)もないでしょうが、〈思想求道探求言語ゲーム〉という視座から観るとソコソコに興味深い〈論料〉になるのかもしれませんし、〈賢治という単独者〉は左様な〈言語ゲーム〉が嫌いではなかったように観じられて仕方がないものですから。
  先ず、〈羅須地人〉という四文字語のですが意味解釈には様々あるようですが、小生は、〈地人〉という語の意味hは確定して好いと考えています。つまり、斎藤宗次郎を内村鑑三に結びつけた、鑑三があえ著した『地人論』という地理学研究書からとっている、と。つまり、守先生も自覚していらっしゃるように、「如何なる羅須という名は?」という問いに尽きる訳ですよね。
  固より、〈羅須〉という名は〈地人〉と関係づけないで考えるのは無謀ですよね。で、賢治は、〈羅〉という語をどんな意味で用いているかを調べてみるのはいかがでしょうかしらん。小生が想起出来るのは、「友一人、同士一人ナシ」と道破している言説での「羅(うすもの)を着たその人たち」しか想い浮かびません。で、〈羅を着た漢(をとこ)〉と来れば、〈羅漢〉つまり「声聞(しょうもん)もしくは縁覚(えんがく)なる仏道求道者」ということになりましょうか。どちらも、「六道の〈天(神)〉」の上位に位置づけられる、〈空海密教の十界〉にの於いて、〈菩薩界〉の下位に置かれる修行者ですね。まあ、「羅漢とは声聞の別名である」、と。
  此処で、小生が重視したいのは、「〈釈迦仏教(原始仏教)〉は〈天(神)〉を超克否定した宗教である」という点です。その特質を最もつよく継承したのが「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し…」(『臨済録』から『無門関』へ」という流れを与む禅仏教ということになりますね。当然ながら、「神の実在性を否定する禅仏教」は、「現人神を建てたい大日本帝国主義「」にとっては厄介千万という次第で〈廃仏毀釈〈〉という政策が。で、その権勢に背反して立ち上がり撤回させたのが島時地島地黙雷であり、その黙雷が思想的後継者に選んだのが姫宮大等改め島時大等だったという有時経歴が。如何なる因縁で黙雷・大等父子が盛岡の地に到来し、明治三十五年の盛岡中学校での島地大等講演によって、十四歳の小野清一郎が私淑するに至り、その懇請で願教寺夏季仏教講話会が始まり、小学生の賢治もその講話を聞くことになったという因縁話や如何、と。その時代周辺の白堊校生徒に、原抱琴、鈴木卓苗、米内光政、金田一京助、野村胡堂、板垣征四郎、及川古士郎、石川啄木、内田秋皎、小野清一郎などなどという名が並び、その後に、ポツリとけんっじ賢治宮澤賢治の名が。小生にとっては、その後に、松本竣介と舟越保武の名を続けたい訳ですが。
  で、最後に、須(すべか)らく、〈須〉という漢字を白川静老師の『字通』に索ね求めると、〈用いる〉という語義が最もシンプルかと。という次第で、小生としては、「羅(うすもの)を用いる地人たち」というごくシンプルでワカリヤスイ解釈を。譬えば、「神の名を用いて人殺しを楽しむ徒輩は嫌いだ「」といった』思想の表現としての〈語用(言語ゲーム)〈〉と見立てて遊ぶ文遊理道樂は如何でセウかしらん。
      2015,9,15にて、〈文遊理道樂遊民洞〉の洞      (よ)みし道(ことば)による遊樂でございます
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上棟お目出度うございます (辛様へ(鈴木))
2015-09-16 10:46:34
辛 文則 様
 新アトリエ・オーディオ棟の上棟お目出度うございます。竣工が待ち遠しいですね。
 そうですか、父上様の宝物が見つかったのですか。
 それからうっかりしていました、賢治が日本ポリドール社からSPレコードを買い始めたのは、羅須地人協会を興した頃だったのですね。つい、それは花巻農学校勤務時代からだとばかり思っていました。

 ところで「羅須」の件ですが、仰るとおり、
〈思想求道探求言語ゲーム〉という視座から観るとソコソコに興味深い〈論料〉になるのかもしれませんし、〈賢治という単独者〉は左様な〈言語ゲーム〉が嫌いではなかったように観じられて仕方がないものですから。
と思います。賢治は結構そうやって楽しんでいたと思いますし、私のような凡人を煙に巻いてほくそ笑んでいると思います。
 ただし、今回の辛さんの「羅須」論については、私にとっては難解で格調が高すぎますので、悶々と苦しんで理解に努めようと思っております。
 現時点で申し述べたいことは一つだけ、
 明治三十五年の盛岡中学校での島地大等講演によって、十四歳の小野清一郎が私淑するに至り
ということを今回初めて認知したことです(以前既にこのことは辛さんがコメントに書いていたのかも知れませんが)。あの小野がこのことで大等に私淑することになったのですか。人生って巡り合わせですね。
                                                               鈴木 守
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