みちのくの山野草

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『宮澤賢治名作選』の出版の経緯

2019-02-21 08:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 さて、前々回の〝新国劇で上演、大当たり〟において、
 そして、この時の花巻訪問が、次のベストセラー『賢治名作選』の出版に繋がったようだが、そのことについては後ほど。
と前触れをしたが、今回はそのことを投稿したい。

 さて、甚次郎は賢治の「訓へ」どおりに実践し、その生活記録『土に叫ぶ』を出版できたので、賢治の墓前にその報告をするために吉田コトと佐藤しまの二人を帯同して、昭和13年11月に花巻の宮澤家を訪れているという。そして賢治詩碑の前で3人で、「雨ニモマケズ」を大声で詠んだという。また、賢治の生家である「宮澤商會」にも行き、そこで政次郎から『国譯妙法蓮華経』の「順六拾九号」を貰ったというし、その晩はそこに泊めてもらったともいう。
【Fig.1 当時の「宮沢商会」】

             <『月夜の蓄音機』(吉田コト著、荒蝦夷)より>
 その折の11月14日に、
 清六氏より車中にて先生の詩の説明やら宮澤賢治選集の發行やらを打合せて、有名な六原青年道場を見学し更に盛岡の母校を訪ね、母校の學生四百と先生方に私の十二年と宮澤先生について三時間あまり語り…(投稿者略)…
             〈『村塾建設の記』(松田甚次郎著、実業之日本社)110p〉
と甚次郎は述べているから、この時に「宮澤賢治選集」、つまり『宮澤賢治名作選』の話が出たということになろう。
 なお、この件については帯同した吉田コトの方が詳しく語っていて、
 政次郎さんと話していると「賢治が書いたもの、いっぱいあるけど、誰も認めてくれなくてよ」ってさびしそうに言うのよ。「どのくらいあるのか」って甚次郎さんが尋ねたら「行李いっぱいあんだ」って。「そんなにあるなら、賢治先生の本、作るべ」って甚次郎さんが言ったら、政次郎さん「ありがてえ」ってほんとうに涙ぐんでよろこんだ。
            <『月夜の蓄音機』(吉田コト著、荒蝦夷)より>
ということで、これが切っ掛けとなって『賢治名作選』が出版されることになったのだそうだ。
 ただし、この当時の甚次郎は講演に出掛けたりしなければならないので多忙だったから、甚次郎はなかなか花巻に行けなかった。そこで、甚次郎から助けてくれないかと頼まれたコトの方が代わって花巻に足繁く通うことになったというこも、コトは同書で言い添えていた。

 その際に吉田コトが花巻で行ったことに関しては、
  賢治の原稿が入った行李を初めて開いたときは、私しかいなかった。あと、清六さん。二人で見たの。政次郎さんもいたけれど、口を挟むだけで原稿は読まなかったな。正確にはもう思い出せないけど、行李に三つくらいあったんじゃないかな。行李のフタ、こう並べて、一つずつ原稿を見ていった。清六さんが先ず読んで「いいなー」とか「こりゃダメだな」って言って私に渡す。私もわからないながらも「あ、これはいい」とか「こっちはダメ」って(笑)。そして、行李のフタに「いい」原稿と「よくわからない」原稿と「ダメ」な原稿と、三つに分けました。…(投稿者略)…
 いいものだけ「もう一回見てみんべー」って見直しました。またそこで抜くものは抜いて、ひとつの行李にいいものをまとめて「いいべがねー、これで」ってことになったんです。
            <同>
と同著には書かれている。こうして清六とコトが選び出した”いい”作品群から作られたのが、昭和14年3月7日発行の「松田甚次郎編『宮澤賢治名作選』(羽田書店)」
【Fig.2 『宮澤賢治名作選』】

となるのだろう。

 それにしても、どうして『宮澤賢治名作選』の前に”松田甚次郎編”が付いているのだろうか。同じくコトの証言を基にすれば、
 さて、原稿は選んだものの「誰の名前で本を出すか」ってことになった。賢治はまだ無名だったわけよ。政次郎さんと清六さんは「賢治の名前で出しても一冊も売れないんでねか」なんて心配してた。そこで、甚次郎さんの名前で出すことになった。甚次郎さんは今でいえばベストセラー作家でしょう。だから、賢治の名前で売るのではなくて、ベストセラー作家の甚次郎さんが尊敬する人の本だってことで売ろうとしたのね。羽田書店から本が出たのは昭和一四(一九三九)年三月だった。この『宮澤賢治名作選』も売れに売れた。
            <同>
という。たしかに、賢治の作品を選ぶためにわざわざ花巻に訪れていたコトと清六が選んだ賢治の作品集を、『土に叫ぶ』の出版社である羽田書店から出すことになったこと、及び清六、政次郎そしてコトの3人が思いついた松田甚次郎の名前を使おうというアイディアは自然の成り行きだったのだろう。そこでコトが新庄鳥越にいる甚次郎に、名前を使いたいと花巻から電話でお願いしたならば、甚次郎は「あー、いいよ」と快諾したということも『月夜の蓄音機』の中でコトは言っている。
 それは、先の”宮澤賢治と私(『宮澤賢治研究』)”で触れたように、甚次郎は
 今にして拙著による多くの読者が宮澤先生の全集の発行がどこであるとか、単行本がないかとか、何かしら研究がないか等といふて来るけれども、直に返答が出来なくて残念であつたが。
            <『宮澤賢治研究』(昭和14年9月発行)>
と、『土に叫ぶ』の読者から宮澤賢治のことについてこのようにしばしば尋ねられて残念に思っていたと述懐しているわけだから、コトからのこの願いにはおそらく甚次郎は二つ返事で引き受けただろうことが想像できる。
 なお、『賢治名作選』の発行は昭和14年3月7日だから、『宮澤賢治研究』へ甚次郎が「宮澤先生と私」を寄稿した頃は少なくとも『賢治名作選』の出版計画はかなり進んでいたはずである。にもかかわらず、「宮澤賢治先生と私」の中に”直に返答が出来なくて残念であつたが”という断り書きはしていても、賢治の名作選の出版が進捗しているなどということは一切触れていない。このことは甚次郎の人となりを如実に表すもので、奥床しくて律儀な甚次郎に私はなおさら好感を持ってしまう。
 また、
【Fig.3 『宮澤賢治名作選』の奥付】

の印紙の印を見てもらえばおわかりのように、印鑑は「宮澤」である。したがって、松田甚次郎が選者になってはいるものの、『土に叫ぶ』の場合と同様に松田甚次郎には印税がびた一文も入らなかったことになる。改めて、甚次郎の清廉潔癖さが容易に窺える。そしてそれは恩師宮澤賢治に対する松田甚次郎の尊崇と敬愛のなせる業なのであろう。

 先にもあったように、この『賢治名作選』も売れに売れたという。それは例えば次のことからも容易に覗える。古谷綱武は昭和16年9月20日に盛岡の岩山で行われた「賢治の祭り」に出席しているが、それに関して次のようなことを書いているからである。
 その案内状が、また實に、よい文章であつた。その案内状のなかで、私が今でもまだはつきりとおぼえていることは、會の次第を書いた最後に、持参すべきものとして、賢治名作選とかお辨當とか懐中電燈とか、そのようなものの名前の書いてあるいちばん終わりに、「くれぐれも厚着を忘れぬこと」という一行のあつたことである。
            <『宮澤賢治研究』(古谷綱武著、日本社)237p>
 そしてその案内状は以下のようなものであったという。
   賢治の祭りの案内
 二十一日は賢治さんの九度目の御命日です。…(投稿者略)…わざわざお出で下すつた古谷氏の賢治についてのお話をどんなにか私たちを歡ばすことでせうし、賢治子供會の歌や紙芝居や踊りの至純さは、まこと天のものです。一同の所感は聖なるわれらの賢治の想ひにつらなつて、明日への決意を新たに心を呼び起こすでせう。十時惜しくも會は閉ぢられ、この悠久なる自然にしみじみ打たれ乍ら歡喜し山を下るわけであります。
 一、持参すべきもの、賢治名作選、電池、お辨當、湯呑、手帳、鉛筆、ジャケツ、それに会費五十銭御用意下さい。厚着はくれぐれも忘れぬこと。…(以下投稿者略)…
            <同237p~>

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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