みちのくの山野草

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「賢治宛の露からの来簡」ありや?

2019-02-20 18:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 以上で思考実験は終了するが、こう推論してみれば、客観的な理由も根拠もないままになぜ露がとんでもない〈悪女〉にされたのかの切っ掛けの説明がつく。言い換えれば、有力な次のような仮説〝ⓗ〟がここに立てられる。
 高瀬露が〈悪女〉にされるようになった「切っ掛け」は伊藤ちゑとの見合いであり、しかも賢治はちゑと結婚しようと思っていたのだがそれをちゑから拒絶されたことである。……ⓗ
 とはいえ、この仮説の実証は容易ではない。このことを裏付けてくれそうな証言も資料もまず思い付かないからだ。ただし一つだけその方法論として私が思い付くのは、昭和52年頃になって突如「新発見」であるとかたって『校本全集第14巻』が公にした、一連の「昭和4年の露宛と思われる書簡下書」があるが、これに対応する「賢治宛の露からの来簡」が実在しているというのであればそれを用いる方法である。

 ところで、同巻はその「新発見」の際に、
 本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが
と『校本全集第14巻』の34pで述べているが、残念ながらそこにはその根拠も理由も明示されていないから私だけのみならず、一般読者〈*1〉にとっても全く判然としていない。さりながら、それらが全くなくてそう嘯いて活字にするようなことを『校本全集』がするわけがないはずだから、そこには何らかの典拠があってのこと。
 というのは以前、賢治が「下根子桜」で一緒に暮らした千葉恭に関するあることについて、どうして「賢治年譜」にその記載がないのかと私が関係者に訊ねたところ、『それは一人の証言しかないからです』という回答だったし、それはもちろん尤もなことだ。そこでこの回答の論理に従えば、当然、「書簡下書」だけで判然としているなどと言えるはずがない。
 すると私に考えられることは唯一、前述したような「賢治宛の露からの来簡」が存在していて、その「内容」に基づいて同巻は「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定したということである。
 もしそうであったとしたならば、先の仮説〝ⓗ〟の検証のためのみならず、こちらの「判然としている」の根拠という観点からも「賢治宛の露からの来簡」の果たす役割は大きいと言える。となればその存在や如何?

 その後(平成27年10月11日)、私は盛岡のとある会合で宮澤賢治の血縁のA氏と同席できた。私は小心者であるが、一世一代の勇気を振り絞ってずばりお願いをした。
 賢治の出した手紙はお父さん(政次郎)宛を含め、下書まで公になっているのに、賢治に来た書簡は一切公になっていない。賢治研究の発展のために、しかも来年は賢治生誕120年でもあり、そろそろ公にしていただきい。
と。するとA氏からは、
 来簡は焼けてしまったが、全くないわけではない。例えば、最後の手紙となった柳原昌悦宛書簡に対応する柳原からの書簡はございます。
という意味の、極めて核心を突く重大な意味合いを持つご返事を頂いた。それはこのご返事からは、やはり、
    賢治宛来簡はないわけではなかった。今でもある。
といういことがこれで100%確かなものとなったからである。
 一方で、「新発見」の書簡下書252cは「高瀬あてであることが判然としている」と『校本宮澤賢治全集第十四巻』が昭和52年に活字にしたからには、何らかの根拠があったからであろう。しかも、
 にもかかわらず同巻はさらに推定を重ね、
…推定は困難であるが、この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか。
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)…(筆者略)…
⑶、高瀬より来信(…(筆者略)…暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)…(筆者略)…
⑸、賢治より発信(下書も現存せず。いろいろの理由をあげて、賢治自身が「やくざな者」で高瀬と結婚するには不適格であるとして、求愛を拒む)
              〈『校本宮澤賢治全集第十四巻』28p~〉
と、続けて⑹、⑺の「推定」も書き連ねている。
             〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)130p~〉
わけだから、まずは、現在所蔵している賢治宛来簡を公にする義務と責任があるのではなかろうか。
 なんとなれば、
 『校本全集第十四巻』が「新発見」の書簡下書の宛先は高瀬露であると実名を初めて公表し、さらに「推定」⑴~⑺も活字にしてしまったから、「露は賢治にとってきわめて好ましくない女性であった」と一般読者等に受け止められてしまう公表の仕方になってしまった。そこでこの「公表」が切っ掛けとなって、それまで巷間言われてきた先程の「宮沢賢治と結婚したかつた〈悪女〉」が実はこの高瀬露だったのだと読者から決めつけられて、〈悪女・高瀬露〉が一瀉千里に全国に拡がってしまったという事を否定できない。しかもこの他の切っ掛けはどうも見当たらない。だからこれは問題となる。
             〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)135p〉
からである。

〈*1:註〉 これは私のみならず、次のような方々の指摘もある。
 例えば、 Web上でtsumekusa氏が管理されているブログ〝「猫の事務所」調査書〟の平成20年11月16日付「「手紙下書き」に対する疑問」において、次のような疑問が呈されている。
 …この下書きは文中に相手の名前もなく、内容を読んでみれば相手は女性であるらしいことは判りますが、 誰に宛てて書いていたのか全く判りません。
 そんな下書きが「高瀬露宛て」とまで断定できる理由は何なのでしょうか。
1.「特別な愛」「この十年恋愛らしい……」
  「独身主義をおやめに……」等恋愛や結婚に関する話が出てくるから
2.「慶吾さん(引用者注・高橋慶吾氏のこと)にきいてごらんなさい」という一文があるから(252系下書きその1)
3.「「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあげたのが重々私の無考でした。」という一文があるから(252c)
 考えてもこれだけしか理由が挙がってきません。これだけの理由で高瀬露宛てだと断定できるのでしょうか。
     …(筆者略)…
 この下書きを「高瀬露宛て」と断定したのは上記理由のみなのか、それとも他に「高瀬露宛て」とできる決め手となった理由があったのか、そういったことを今からでもきちんと公表して頂きたいと思います。
 あるいは、signaless5氏が管理されているブログ〝りんご通信〟の平成21年8月25日 付「書簡 252a,b,c について」においては、
『新校本宮澤賢治全集・第14巻』掲載の書簡252a,252b,252c は、【あて名不明】の下書きであり、昭和52年発行の校本によって初めて高瀬露宛てと判断されたものです。
 252aには他に5点,252cには他に15点の比較的短い下書き群があり本文とされたものと合わせると計22点にも及びます。
 しかし、私はこれらの下書きが、「高瀬露あて」と断定されていることに大いに疑問を持っています。
 新校本に於いてもこれらは、「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と書かれているだけでその根拠はひとつも述べられてはいません。
と指摘している。つまりこのお二方とも、「判然」などしておらず、その根拠も明らかでないと断じている。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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