みちのくの山野草

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余談(「賢治の墓」)

2019-02-20 08:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 先の〝新国劇で上演、大当たり〟において、
 実際、甚次郎は『村塾建設の記』(松田甚次郎著、実業之日本社)の中の「一、宮澤先生の墓に詣でて」で、(昭和13年)「十一月十三日夜行列車で山形から花巻に向かい、黎明の六時半に花巻駅に着いた」と述べており、「今は亡き先生の碑前にて拙著『土に叫ぶ』の報告をなし」とも述べていた。
と私は紹介した。
 よって、このタイトル「一、宮澤先生の墓に詣でて」の「」という表記から、甚次郎はこのいわゆる「賢治詩碑」を「賢治の墓」と認識していたということがわかる。実際、ここの次の案内板、
《1 》(平成31年2月19日撮影)

《2 》(平成31年2月19日撮影)

には「詩碑の下には遺骨、経文が納められ」と書かれているから、甚次郎がそう認識していたとおり、一般的にもここを「賢治の墓」と思うだろう。そして私の知る限りでは、ここを実際そう思っている人も多い。

 ところがどういうわけか、少し前から「賢治の墓」は身照寺にあると喧伝され始めている。ちなみに、旧奥州街道から「賢治詩碑」に来る途中にある、いわゆる
《3 「おくら」》(平成31年2月19日撮影)

《4 》(平成31年2月19日撮影)

の傍には、かつてはなかったのに、今はこんな
《5 案内「賢治墓所 身照寺」が建てられている》(平成31年2月19日撮影)

 ちなみに、次が
《6 今から10年前の同地》(平成20年12月15日撮影)

であり、こんな案内などなかったことを納得してもらえるだろう。

 このような変化を懸念していたのだろうか、以前〝五輪供養塔は賢治の墓にはあらず〟でも報告したように、小倉豊文も「供養塔である多宝塔を「宮沢賢治の墓」と誤解する者が多くなった」と、つまり、あの身照寺の五輪供養塔を「宮沢賢治の墓」と誤解する者が多くなった、と嘆いていたという。

 なお、甚次郎の遺骨も分骨されて賢治詩碑の横に埋められている、という。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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