みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

バターと光太郎と賢治

2024-02-10 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『賢治・啄木・光太郎』(読売新聞社盛岡支局)〉

 先の投稿〝「獨居自炊孤座默念」〟において佐々木一郎の証言を引いたが、『啄木 賢治 光太郎』にはその佐々木の「山小屋通い」についてこんなことも紹介されていた。

 不定期だったが、山小屋へ郵便でバターを送り届けるのも、佐々木の仕事だった。終戦の年の秋、盛岡市の川徳デパートで岩手美術連盟の第一回展覧会が開かれ、その事務局長をしていた佐々木は、山小屋へパンフレットの序文を書いてくれるよう頼みに行った。…投稿者略…その時、光太郎の口から「栄養源がほしい」という言葉がでたのがきっかけだった。
             〈『啄木 賢治 光太郎』(読売新聞社盛岡支局)220p〉
 なお、佐々木は「以来約五年間、山口へバターを送り続けた」ということも上掲書は付言していた。よって、独居自炊をしていた頃の光太郎は栄養に関しては結構心がけていたであろうことを知った。

 一方、菜食主義であったという賢治はどうであったかというと、例えば、千葉恭の講演会(昭和29年12月21日)後の質疑応答で、千葉は次のような質問を受けて、

問 賢治の食生活についての考え方は。
答 賢治は菜食主義ではあつたが、バターや大豆などの脂肪蛋白は摂取していた。しかし魚や肉などは食べなかつた。
             〈「羅須地人協会時代の賢治(二)」(『イーハトーヴォ復刊5号』(宮澤賢治の會)12p)〉
と答えたということだから、菜食主義だったという賢治も、バターは摂っていたことになる。

 よって、光太郎も賢治も共に栄養という観点からバターは特別扱いをしていたということになろう。ただしこの事に関するこの二人の間の違いは大きいし、ほぼ真逆だ。このことに気付いてしまった私は、光太郎の考え方は合理的であるが、賢治のそれには違和感を拭えなくなってしまった。

 続きへ
前へ 
「光太郎太田村山口で独居自炊」の目次へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。"
 
***********************************************************************************************************
☆『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))

 アマゾン等でもネット販売されております
 あるいは、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『羅須地人協会の終焉-その... | トップ | 『昭和五年 短歌日記』は「昭... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

独居自炊の光太郎」カテゴリの最新記事