みちのくの山野草

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マックァーサーからの呼び出しを待つ先生

2024-02-07 14:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治著、現代社)〉

『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治著、現代社)の中に、佐藤勝治はこんなことをも書いていた。

   マックァーサーからの呼び出しを待つ先生
 終戦後所謂戦犯問題がやかましくなって、高村先生は文化人の筆頭責任者<*1>だと言われて、一部のひとたちから指弾を受けました。
 もうすぐマックァーサー司令部から逮捕状が出るそうだといううわさは、山の中の私たちのところにも聞こえてきました。(これは虚報でしたが)それについて先生はこう言っておられました。
「戦争中の軍部の発表を信じ過ぎた僕の不明は恥かしい。けれども戦争が始まった以上は負けないために国民の志気を鼓舞するのが僕たちのつとめだった。それに今度の戦争は、今でこそ一方的に惡く言われているが、日本には日本の正義があったのです。僕はマックァーサーが早く呼んでくれればいいと思っている。日本の歴史と正義についてよく話してやり度い」
 国民全体が、今までの天皇に替えて「マックァーサー元帥」を神のように畏怖し賛嘆していた頃、先生は淡淡としてこう語りました。先生への呼び出しはついに来ないでしまいましたが、国内の進歩人からの非難は一時はげしいものでした。あの頃、もし革命が起きていたならば、先生は早速戦犯として処刑されたでありましょう。このことについて先生は、山口に入った最初の一、二年を過去の反省に暮したようで、詩「暗愚小伝」にくわしく心境を書いております。
            〈『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治著、現代社)137p~〉

 私はこのことを知って、あの小林節夫氏の言説、
 歌人斎藤茂吉はアララギ派の総帥で、高村光太郎に似て戦争賛美・戦意昂揚短歌、言わば戦争強力の歌を詠み、その中には東条英機賛歌などもあり、戦争協力を恥じたり、反省するというようなことは全くありませんでした。<『農への銀河鉄道』(小林節夫著、本の泉社)>
を思い出し、さらに、藤沢周平が『ふさとへ廻る六部は』(新潮社)で光太郎と茂吉に関して、
 ともに戦争礼賛の詩や歌を詠んだ2人だが、光太郎は戦争協力した自己点検の詩集『暗愚小伝』を出し「千の非難も素直にきき、極刑とても甘受しよう」というが、一方の茂吉は歌集『白き山』を出し、注意深く読めば低音の懺悔の響きがあるものの、「軍閥ということさえも知らざりしわれを思えば涙しながる」という歌を戦犯をのがれるために詠み、光太郎の自己点検には遠くおよばない。それは2人の戦争協力の認識の有無の違いにあると思われる。<『ふさとへ廻る六部は』(藤沢周平著、新潮社)より>
と語っている事などを思い出し、光太郎は潔い人であったのだと私は改めて思った。
 一方で、あの講演「今日の心がまえ」で賢治を使って、敗色濃厚になった国民に滅私奉公せよと訴えた彼は戦後になって反省するどころか、またぞろ賢治を使って(賢治を聖人に捏ち上げて)純真なけ子どもたちを騙したという虞があると思えてならないのだった。

<*1:投稿者註> 日本文学報国会詩部会会長のことか。

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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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