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〈「雪白く積めり」の詩碑》(平成22年7月29日撮影)
前回、「そこで気になって、所有している高村光太郎の本を探してみたのだが、いずれにも『暗愚小伝』は載っていなかった」と述べてしまったのだが、その後よくよく調べてみたならば、所有していた『昭和文学全集22 高村光太郎 萩原』の103p以降に、連詩「暗愚小伝」が載っていた。ちなみにそれはこんなタイトルの詩から構成されていた。
暗愚小傳
家
土下座
ちよんまげ
郡司大尉
日清戦争
御前彫刻
建艦費
楠公銅像
轉調
彫刻一途
パリ
反逆
親不孝
デカダン
蟄居
美に生きる
おそろしい空虚
二律背反
協力會議
眞珠灣の日
ロマン ロラン
暗愚
終戦
爐辺
報告
山林
〈『昭和文学全集22 高村光太郎 萩原朔太郎』の目次より〉家
土下座
ちよんまげ
郡司大尉
日清戦争
御前彫刻
建艦費
楠公銅像
轉調
彫刻一途
パリ
反逆
親不孝
デカダン
蟄居
美に生きる
おそろしい空虚
二律背反
協力會議
眞珠灣の日
ロマン ロラン
暗愚
終戦
爐辺
報告
山林
そこで今回はこれらの中から、次の二篇を転載させてもらう
暗 愚
金がはいるときまつたやうに
夜が更けてから家を出た。
心にたまる膿のうづきに
メスを加へることの代りに
足は場末の酒場に向いた。
――お父とうさん、これで日本は勝てますの。
――勝つさ。
――あたし昼間は徴用でせう。無理ばつかし云はれるのよ。
——さうよ。なにしろ無理ね。
――おい隅のおやぢ。一ぱいいかう。
――歯ぎり屋もつらいや。バイトを買ひに大阪行きだ。
――大きな聲しちやだめよ。あれがやかましいから。
――お父さん、ほんとんとこ、これで勝つんかしら。
――勝つさ。
午前二時に私はかへる。
電信柱に自爆しながら。
終 戦
すつかりきれいにアトリエが燒けて、
私は奥州花巻に来た。
そこであのラヂオをきいた。
私は端坐してふるへてゐた。
日本はつひに赤裸となり、
人心は落ちて底をついた。
占領軍に飢餓を救はれ、
わづかに亡滅を免れてゐる。
その時天皇はみづから進んで、
われ現人神にあらずと説かれた。
日を重ねるに從つて、
私の眼からは梁が取れ、
いつのまにか六十年の重荷は消えた。
再びおぢいさんも父も母も
遠い涅槃の座にかへり、
私は大きく息をついた。
不思議なほどの脱却のあとに
ただ人たるの愛がある。
雨過天青の靑磁いろが
廓然とした心ににほひ、
いま悠々たる無一物に
私は荒涼の美を滿喫する
〈ともに、『昭和文学全集22 高村光太郎 萩原朔太郎』108p〉金がはいるときまつたやうに
夜が更けてから家を出た。
心にたまる膿のうづきに
メスを加へることの代りに
足は場末の酒場に向いた。
――お父とうさん、これで日本は勝てますの。
――勝つさ。
――あたし昼間は徴用でせう。無理ばつかし云はれるのよ。
——さうよ。なにしろ無理ね。
――おい隅のおやぢ。一ぱいいかう。
――歯ぎり屋もつらいや。バイトを買ひに大阪行きだ。
――大きな聲しちやだめよ。あれがやかましいから。
――お父さん、ほんとんとこ、これで勝つんかしら。
――勝つさ。
午前二時に私はかへる。
電信柱に自爆しながら。
終 戦
すつかりきれいにアトリエが燒けて、
私は奥州花巻に来た。
そこであのラヂオをきいた。
私は端坐してふるへてゐた。
日本はつひに赤裸となり、
人心は落ちて底をついた。
占領軍に飢餓を救はれ、
わづかに亡滅を免れてゐる。
その時天皇はみづから進んで、
われ現人神にあらずと説かれた。
日を重ねるに從つて、
私の眼からは梁が取れ、
いつのまにか六十年の重荷は消えた。
再びおぢいさんも父も母も
遠い涅槃の座にかへり、
私は大きく息をついた。
不思議なほどの脱却のあとに
ただ人たるの愛がある。
雨過天青の靑磁いろが
廓然とした心ににほひ、
いま悠々たる無一物に
私は荒涼の美を滿喫する
そこで私は、この二篇の詩を何度か読み直してこんなことなどを感じた。前者からは、光太郎と雖も「聡明」であったとは確かに言えなかったかもしれないなと。後者からは、戦意昂揚に与した自分を悔い、己を恥じていたとは思いのほか読み取れないので、あれっ本当に自己流謫していたのかなという不安も一瞬過った。
が、冷静になって考えてみれば、当時は殆どの文化人等が国威発揚や戦意昂揚に協力したわけで光太郎だけをあげつらうのはアンフェアだろう。ちなみに、藤沢周平は『ふさとへ廻る六部は』(新潮社)で光太郎と茂吉に関して次のようなことを語っているからである。
ともに戦争礼賛の詩や歌を詠んだ2人だが、光太郎は戦争協力した自己点検の詩集『暗愚小伝』を出し「千の非難も素直にきき、極刑とても甘受しよう」というが、一方の茂吉は歌集『白き山』を出し、注意深く読めば低音の懺悔の響きがあるものの、「軍閥ということさえも知らざりしわれを思えば涙しながる」という歌を戦犯をのがれるために詠み、光太郎の自己点検には遠くおよばない。それは2人の戦争協力の認識の有無の違いにあると思われる。<『ふさとへ廻る六部は』(藤沢周平著、新潮社)より>
しかも、茂吉は光太郎のように自己流謫をしたわけでもない。
もちろんだからといって、茂吉を責めるのは酷だろう。当時の文化人は、小林多喜二以外の人物は殆ど、国威発揚に協力したのだから。そうではなくて、戦意昂揚に与した人物がどれだけ自己流謫したかということではなくて、あの小さな小屋で七年間も独居自炊をしたというところに、光太郎の見事さを見いだし、そのことを私は評価したい。それは、賢治の「独居自炊」と較べてみるとなおさらにである。
【参考資料】
・賢治の場合の「独居自炊」の使われ方
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