みちのくの山野草

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「新発見」と嘯いたことの意味と罪

2024-02-10 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露













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《補足》
 どうして筑摩書房は、こんならしからぬことをしてしまったのか。私はその原因や理由を探し回ったのだが、それは昭和52年に同書房が引き起こした、「絶版回収事件」と同じ構図があったからだということを私なりに明らかに出来たので、後に『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(ツーワンライフ出版、令和3年)や『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(録繙堂出版、令和5年)で世に問うた次第だ。

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 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
 「新発見」と嘯いたことの意味と罪
 では、〝一連の「書簡下書」〟について振り返って見たい。
◇「新発見書簡下書」仮説の反例とならず
鈴木 それではそろそろ、〝一連の「書簡下書」〟のまとめに入っていいかな。
荒木 それは俺に任せろ。
 え~とだな、昭和52年発行の『校本全集第十四巻』は、
「新発見」の「書簡下書」がいくつかあり、その中の4通については〔露あて〕と思われるものもがあった。
→とりわけその中の1通は露宛のものであることが判然としていると判断した。そこでその1通に〔252c〕という番号を付けた。
→同時に見つかった他の3通もこれと関連があるので〔露あて〕のものと推定し、〔252b〕などの番号を付けた。
→従前の「不5」も〔252c〕にかなり関連しているのでこれも〔露あて〕のものであると推定し、〔252a〕の番号を付けた。
→併せて従前の「不4」や「不6」なども〔露あて〕のものだと推定した。
→「新発見」の4通と、従前不明だったものとを合わせた計23通の書簡下書は〔露あて〕のものであると推定した。
→これらの23通は昭和4年末頃に書かれたものであると推定した。
ということを活字にして公にした。
吉田 今、荒木が挙げた事柄はどれをとっても皆「推定」ばかりだ。しかも、筑摩は「判然としている」とは主張しているものの全く判然としていない。
鈴木 そう、そのとおり。私もそう思っているし、後で話題にせねばならないが tsumekusaという方もそう主張している。
吉田 いずれの事柄も検証されたものでもなく確たる裏付けがあるものでもない。まあそれでも、同一のある事柄に対してこんな「推定」もあんな「推定」もあるというならばそれらの「推定」の数が増えれば増えるほどそれらの組み合わせで「ある事柄」の生起する蓋然性は加法的に増してゆく。
 しかしだ、今回の『同第十四巻』の場合はこれとは全く違う。検証もせず確たる裏付けもないままに単に「推定」をしたものを一つ土台にして、その上にさらに推定を重ねていくことの繰り返しだから、それをすればする度に信憑性はどんどん薄まってゆく。
荒木 例の確率の乗法定理と同じっていうやつだな。繰り返せば繰り返すほどその信憑性はどんどん薄まってゆく。となれば、〝一連の「書簡下書」〟の総体は砂上の楼閣か。
鈴木 そう、それは否定はできないね。具体的には、我々がこの〝一連の「書簡下書」〟について検討してみたところ、
  ・果たして「新発見」だったのか
  ・果たして「露宛」のものなのか
  ・果たして「昭和4年」のものなのか
等々、これらのどれ一つとっても皆危うい。
 自ずから、
・〝一連の「書簡下書」〟に関してどれだけの裏付けを取り、検証したのか。
・露は本当に一時「法華教信者」になったのか。
・極めて賢治らしからぬ文体のものある。
・対応する賢治宛ての露からの来簡はあるのかないのか。
・なぜ露が亡くなった後にたまたま「新発見」があったと嘯いたのか。
等々、いくつもの疑念や問題点等が浮かび上がったからな。
吉田 そして実際、僕らがこれらについて検証してみたところ、
 現時点では、〔252c〕等を含む〝一連の「書簡下書」〟は「露宛」であるとも「昭和4年」のものであるとも共に断定できない。確たる理由も根拠もないからだ。また、『同第十四巻』では「新発見」と銘打ってはいるが、実は「新発見」などではなかった。
ということがわかったからな。
鈴木 さて、今回の場合の最大の問題点は、同巻が書簡下書〔252c〕は〔露あて〕であるとしてしまった点だ。しかし、我々が検証した限りにおいてはその宛先は露以外の女性である可能性の方が大であることがわかった。
吉田 そもそも筑摩は、この〝一連の「書簡下書」〟は極めて重要な資料となり得るのだから、しっかりとした裏付けをとったり検証をしたりせねばならぬ代物だったのだ。
 ところがそんな基本的なことも為さずに、「内容的に高瀬あてであることが判然としている」とかたってしまった〔252c〕は、現時点ではあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎて信頼性に著しく欠けているので今回の検証のための資料としては使えない。
 しかも、この「判然としている」とかたる〔252c〕を大前提として〝一連の「書簡下書」〟を「昭和4年〔日付不明 高瀬露あて〕下書」であると推定しているのだから、大前提があやふやならば他も推して知るべしだ。
荒木 でもさ、このことに関しては、
 けれども露とのつき合いは、それだけでは終わりませんでした。昭和四年には手紙のやりとりがあり、その中には結婚についての記述もあります。
というように実際にある作家が資料として使っていたりもしていたはずだぞ。
鈴木 それはほとんどの人はそうするのじゃないかな。いま荒木が挙げた作家のように、「書簡 252aは昭和4年に高瀬露に宛てたものである」と思い込んだり、そのあげくには、「下書」ではなくて「書簡そのもの」、あるいはそれはポストに投函されたものであるとさえ受けとめる人だって少なくなかろう。
吉田 その危惧は全くそのとおりで、あの境でさえも
 賢治が高瀬露にあてた事がはっきりしている下書きの中から問題の点だけをしぼってここに紹介してみたい。
<『宮沢賢治の愛』(境忠一著、主婦の友社)156pより>
と記しているくらいなのだから。まして一般の読者ならばなおさらにだろう。
荒木 確かに。『同第十四巻』にあのような記述がなされていればこのような流れになるのは当然だと思う。ということは、俺たちだけが〝一連の「書簡下書」〟を疑問視していることになるのだべが…。
鈴木 いやそうでもないから安心してくれ。そりゃあ現時点では極めて少数派だとは思うが、先ほど挙げたtsumekusa 氏もご自身が管理している同氏のブログ〝「猫の事務所」調査書〟の中の「「手紙下書き」に対する疑問」という投稿において、
   …高瀬露宛てだと断定できるのでしょうか。
と疑問を投げかけているし、先に引用したように米田利昭も、「ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か」という疑問を呈しているから、我々の判断だけが孤立しているわけではない。
鈴木 では最後に〝一連の「書簡下書」〟による<仮説:高瀬露は聖女だった>の検証の件だが…
荒木 もはや結論は明らかで、
<仮説:高瀬露は聖女だった>は「昭和4年の〔高瀬露あて〕書簡下書」による検証に耐えている。
 なぜなら、〝一連の「書簡下書」〟は「露宛」であるという確たる理由も根拠もなく、その記述内容の信憑性が極めて危ぶまれるものばかりだから、検証用の資料としての必要条件を欠いているからだ。もはや検証以前の話だ。
 ほにほに、このような危うい反古を基にしてある人の人格や尊厳を貶めるような<悪女>呼ばわりすることが許されていいはずねえべ。誰だこんなことをしたのは! と怒鳴りたいね。
吉田 ほんとだよな。普通は破り棄ててしまうような「紙きれ」によって、理由も根拠もあいまいなままに一人の女性が〈悪女〉にされたのではたまったものではない。しかもそれが大手の出版社によってだぞ。
 それにしてもこの非対称な構図、そしてそれゆえの理不尽…なぜこれは由々しきことなのだという声が今まで起こらなかったのだろうか。このような不条理を許さず、それを排除することこそがまず宮澤賢治研究家の為すべき最たるものの一つだろうに。
鈴木 そうだよな。吉田の言うとおりだ。
 さてそれはそれとして、昭和4年で問題となるのはこの〝一連の「書簡下書」〟だけだから、昭和4年においても<仮説:高瀬露は聖女だった>は棄却しなくてもいいということになったわけだ。
吉田 ただし、〝一連の「書簡下書」〟に対応する露からの賢治宛来簡が今後もし見つかったりしたならば別の可能性もあり得るかもしれないが。
荒木 ともあれ、俺たちがここまで調べてきた限りにおいては〈仮説:高瀬露は聖女だった〉を棄却する必要は現時点ではないということになる。いやあ嬉しいね。
鈴木 うん、確かに。
◇示し合せて帰天するのを待っていた
荒木 それにしても不思議なんだが、どうして『校本全集第十四巻』はなぜ安易に「新発見」の「書簡下書」として公表してしまったのだろうか。
吉田 そもそも、それを「新発見」と銘打って『校本全集』に載せるのであれば、筑摩は他のもの以上にその反古を徹底して検証等せねばならなかったはずだ。そうそう、それこそ例の「マンドリン」の場合と全く同じように厳しく。
荒木 うん? それってどんな意味だっけ?
吉田 ほら前にも言った、鈴木がぼやいたやつ。千葉恭だけは他の人の証言がないからという理由で「宮澤賢治年譜」には載せられていないという、例のやつのことだよ。
鈴木 でも、「一人の証言だけとか、一つの資料だけとかに基づいて賢治の伝記研究をしてならない」という「賢治年譜」の姿勢は立派だと思うし、それは当然だと思う。
吉田 とはいえ、鈴木は自分が絡むから控えめに言っているだけのことで、「ならば、なぜ『同第十四巻』はそのような厳しい姿勢でこの〝一連の「書簡下書」〟に対しても臨まなかったのか!整合性に欠けるじゃないか」と内心頗る怒っているのだ。
荒木 えっ、そうなのか。
鈴木 いえいえとんでもないことでございます。
吉田 いや、僕自身も深刻に受けとめている、恣意的な証言や資料の使い分けはするなと言いたい。とりわけこの「新発見」の場合にはもっともっと厳然と対処すべきだったと。ところがそれも為さずに露が帰天するのを手ぐすね引いて待っていて、帰天したならば急遽『同第十四巻』の「補遺」に「新発見」と銘打って載せた。だからこんな中途半端なことになってしまったのだと揶揄されかねないことを僕は危惧している。
荒木 確かにそうだよ。しかも冷静に考えてみれば、仮に〝一連の「書簡下書」〟が正真正銘露宛であるとするならば、その中に記されている賢治のいくつかの言動は残念ながらとても褒められたものではなく、よりダメージを受るのは女性の方ではなく、遙かに男性の方であるという見方も当然あり得るしな。
鈴木 だから、もし仮に〝一連の「書簡下書」〟は賢治が本当に露に宛てて書いた際の反古だったとしても、露一人だけが悪者にされることは全くアンフェアなことであり、まさしく父政次郎の厳しい叱責どおりで、気の毒なことではあるがその全ての責めを負わねばならなくなるのは賢治の方である、ということになってしまう。ところがこのことに気付いているのかいないのか、賢治研究家の誰一人としてそこのところを指摘も批判もしていない。
吉田 まあそれも、〝一連の「書簡下書」〟が本当に露宛だったという仮定の下での話だけどな。
 とまれ、〝一連の「書簡下書」〟について筑摩書房は早急に徹底した検証作業を必ずやる義務と責任があるということだ。
鈴木 そう、それだけは最低限是非やって貰いたい。
 では次は昭和5年だ。これが難題なんだよな。
荒木 えっ、そうなのか。ところでどうした吉田、何か言いたそうだな?
吉田 実はそうなんだ、言おうか言うまいか迷っているんだ。
荒木 ならばはっきり言えよ。お前らしくもない。
吉田 そうだな、そろそろ次へ移るということなのでやはりここで白状しておくか。実は、「こと」の真相を宮澤賢治研究の大御所の一人が明らかにしてるんだ。
荒木 それは誰だよ。
吉田 その人に迷惑がかかるとまずいと思って今まで二人には黙っていたのだが…。え~と鈴木、その『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』を見せてくれ。その中にほら、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。高瀬露は、昭和二年夏頃、羅須地人協会を頻繁に訪れ、賢治は誤解をおそれて「先生はあの人の来ないようにするためにずいぶん苦労された」(高橋慶吾談)という態度をとりつづけた。公表されたこれらの書簡は、賢治の苦渋と誠実さをつよく印象づけるのみならず、相手の女性のイメージをも、これまでの風評伝説の類から救い出しているように思われる。高瀬はのち幸福な結婚をした。
<『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415pより>
とあるだろ。
荒木 じゃじゃじゃ、「救い出している」だって。そんな見方などできるわけねえべ、実態はその真逆だ。誰がそんなことを言ってるんだ。
吉田 それは僕の口からは言えない。ここを見てくれ。
荒木 えっ、大御所の彼がこんなことを言ってるのか。
鈴木 まずい、そこにそんなことが書いてあるなんて気付いていなかった。それにしても、愕然とするな。でもこの大御所がこうまで言っていたというのであればこれでその真相は確定だな。皆が示し合せて露が帰天するのを手ぐすね引いて待っていた、ということなのかやっぱり。
荒木 ひでぇ、皆がぐるになって露が死ぬのを待っていたのか。ということは、実は始めっから書簡下書〔252c〕などを隠し持っていたってわけだ。そして、露が亡くなったならばしれっとして「新発見」と嘯いていたのか。やり方が汚い!
鈴木 そうか、これが「新発見」の意味であり、「新発見」は筑摩の方便だったのか。卑怯だ!
吉田 そう来るだろうと思っていたから言わない方がいいかなと思っていたのだが……正直、白状してほっとした。
 それから、そこには大きな問題がもう一つある。露が帰天するのを待っていて、実際、露が亡くなったらあのように「新発見」と銘打って公にしたわけだが、あれだけ杜撰な状態で発表したのだから、隠し持っていたそれらを事前に真面目に検証などしていなかったということが自ずから導かれるからだ。
鈴木 検証や裏付けを取ろうという気持ちと意志があればいくらでもそのための時間と機会はあったのに、それを為さなかったという大問題があったということか。
荒木 ということは、やはり誰かの思惑と下心があってしかも周りの多くの人がその彼に引きずられたということだべ。
吉田 いやあ、それは憶測になるので僕から何とも…。
◇安易に公表してしまったことの罪
鈴木 それにしても、「私的事情を慮って公表を憚られていた」という釈明はあるものの、私が言うのも憚られるけども、それこそ逆に露のことなど全く慮っていない、あまりにも露をないがしろにした公表だった。
吉田 そうだよ。それまでは森だって、儀府だってその女性の名前を明示にせずに「彼女」「女の人」などという表現とか仮名(かめい)「内村康江」とかを用いているから、少なくとも露に対して慮っていなかったわけではない。なおかつ、『宮澤賢治と三人の女性』や『宮沢賢治 その愛と性』はそれほど部数が出回ったわけでもなかろう。ところがこれが、他でもない『校本全集第十四巻』上でその女性の名は露であると検証不十分なままで「初めて活字化され」て公表されてしまった。まさしく『同第十四巻』は全国的に<悪女伝説>を流布させた最大の功労者だ。
荒木 皮肉?
吉田 そのようなつもりはないが、同巻が行ったあのような公表によってかの伝説は全国に流布してしまった。しかもその女性が露であるとは全く言えそうもないのにもかかわらずだ。
 その実態を知ればなおさら、「相手の女性のイメージをも、これまでの風評伝説の類から救い出し云々」とはよく言えたものだ。そして最後に取って付けたように、「高瀬はのち幸福な結婚をした」と述べているがのあまりにも白々しい。
 また、「これらの書簡は、賢治の苦渋と誠実さをつよく印象づける」とあるが、賢治に「苦渋」があることは手に取るようにわかるが、どこに「誠実さをつよく印象づける」部分があるというのか僕には全く見つけ出すことができない。それどころか、そこからは「誠実さ」の対極にある「不実さ」や「責任転嫁」の方を強く印象づけられる。
荒木 それにしても、筑摩は「判然」としていないものをなぜ安易に決めつけて本名を公表し、その結果、謂われ無き<悪女伝説>を全国に拡げてしまう片棒を担いでしまったのか。全く罪なことをしてしまったものだ。もしこの公表が露の帰天前だったならば、露はどのように思ったんだべ?
鈴木 そうそう、それを教えてくれそうな格好の書簡がある。
荒木 えっ、そうなんだ。じゃあそれを見せてくれよ。
鈴木 これがその伊藤ちゑの「藤原嘉藤治宛書簡((註十一))」だ。何年のものかは判らないが、嘉藤治が在京して『宮澤賢治全集』(十字屋書店版)の編集委員をしていた頃のある年のものであろう10月29日付の書簡のコピーだ。この中に、
 宮澤さんが私にお宛て下すつたと御想像を遊ばしていらつしやる御手紙も先日私の名を出さぬからとの御話しで御座居ましたから御承諾申し上げたやうなものゝ 実は私自身拝見致しませんので とてもビクビク致して居ります 一応読ませて頂く訳には参りませんでせうか なるべくなら くどいやうで本当に申訳け御座居ませんけれど 御生前ポストにお入れ遊ばしませんでしたもの故 このまゝあのお方の死と一緒に葬つて頂きたいと存じます
というちゑの切実な懇願がある。
吉田 まさに露の〝一連の「書簡下書」〟の場合と全く同じ構図じゃないか。しかし、このような書簡はあまり世に知られていないはずだが。
鈴木 それはそのとおりで、以前、伊藤ちゑの生家の現当主から頂いたこれはコピーだ。
荒木 確かに同じ構図だな。嘉藤治らが全集に「伊藤ちゑ宛と思われる書簡下書」を載せるということのようだからな。
吉田 それでそのことに対してちゑがどうしたかというと、
・「伊藤ちゑ宛と思われる書簡下書」の中身を自分は知らないのでビクビクしている。せめてそれを見せてもらえないか。
・確かに、ちゑという名前を出さないという約束だったから一応了承してみたものの、なるべくならばそれは止めてほしい。くどいのですがそれは賢治さんが実際には投函しなかったものだからです。どうかその反古はそのまま葬り去ってください。
と懇願したというわけだ。
荒木 う~む。共に自分に宛てられたと言われている手紙の反古、ちゑも露も当時の女性、そのどちらも相手の男性は賢治。ということは二人は同じような状況下に置かれていたわけだ。
 すると、筑摩の担当者から露に対して、
「露さん宛と思われる書簡下書」を今度『校本全集』に載せたいのですが…
という打診が露の帰天前に露に対してなされていたならば、露はちゑと同じような心境におかれて同じような懇願を、いやそれ以上で、拒絶したということさえも十分考えられる。
吉田 なるほどな、露が事前にそのような打診をされた場合にどう対応するであろうか、ということをこの「伊藤ちゑの書簡」が示唆しているということか。そして、ちょっと想像力を働かせれば、露やちゑと同じような状況下におかれた女性はこの時のちゑのように対応する可能性があるだろうということは容易に想像できることだ。だから、もしかするとそのことを恐れた筑摩は、露が帰天する前にこれらの公表をすることを避けたという可能性すら逆に浮かび上がってくるぞ。
荒木 そっか、そうすると中には、
 その〝一連の「書簡下書」〟が「内容的に高瀬あてであることが判然として」いなかったからこそ、そうした。
などと皮肉る人もあるベな。
吉田 そうよ。この「新発見書簡下書」公表のタイミングが不自然だと感じた人の中には、『慮ったのは露に対してではなくて、自分たちに対してだ。このよう公表の仕方はまさに「死人に口なし」を悪用したものである』などと皮肉る人だっていないわけではなかろう。
荒木 おっ、吉田もとうとう喋ったな。しかもそれって、お前の本音だべ。
吉田 いやあ、まさか。客観的に見てその一つの可能性を言っただけだ。
鈴木 何はともあれ、我々はこれだけの問題提起ができた。だから例えば、ちゑのこの嘉藤治宛書簡の存在を知った人たちがその意味するところを読み取り、〝一連の「書簡下書」〟の公表の仕方には大いに問題があったという我々の主張を支持してくれることなどを願いつつ、そろそろ次の、難題の昭和5年に今度こそ移ろう。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

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 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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