みちのくの山野草

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果たして「露宛」か?

2024-02-10 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露









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 〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
 果たして「露宛」か?
鈴木 それでは、とは言っても〝一連の「書簡下書」〟が露宛のものだという可能性はあまりなさそうだが検討してみるか。
◇〔252a〕〔252b〕についての疑問
吉田 まずは〔252a〕についてだ。
鈴木 この〔252a〕、またの名「不5」は以前も話題にしたように、その中には「法華をご信仰なさうですがいまの時勢ではまことにできがたいことだと存じます」という一文があり、この「法華をご信仰なさうですが」という一言から、果たしてこれは賢治が実際に露に宛てて書こうとした「書簡下書」であるかどうかについては疑問に思っている人がいるだろう。
吉田 確かにそのとおりで、実際、 
 ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か。(愛について語っているのだから男性ということはない。当時男は愛などは口にしなかった。)それに高瀬はクリスチャンなのに、ここは<法華をご信仰>とある。以上疑問として提示しておく。
<『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店)223pより>
という疑問を米田利昭は投げかけている。
鈴木 それから今のこと程は重大な問題でないのだが、前掲の「新発見」の書簡下書〔252b〕についても私は多少疑問がある。もしこれが露宛であるとすれば、賢治は少なくとも「南部様と仰るのはどの南部様が招介((ママ))くだすった先がどなたか判りませんが」などというようなつっけんどんな書き方はしないと思うからだ。
荒木 それはなんでまた?
鈴木 というのは、羅須地人協会員の一人伊藤與蔵の、
 ただ先生が病気で休んでいる時、お見舞いに行ったことがありますが、何の話をされた時でしたか覚えていませんが「法華経について知りたかったなら高瀬露子さんが良い本を持っていますからお借りして読んでみなさい」と言われたことがあります。その本の名前は忘れましたが「日蓮宗の何とか」というような気がします。私は高瀬さんへ行ってその本をお借りして読み、先生に言われた農学校前の南部さんのお寺へ返しました。
<『賢治とモリスの環境芸術』(大内秀明編著、時潮社)42pより>
という証言からは、賢治は「法華経に関するある本」を露に又貸しし、與蔵はさらにそれを露から又借りし、結局最終的には與蔵が本来の持ち主の「農学校前の南部さんのお寺」に返したということがわかるからだ。
荒木 そうか、賢治と露との間には少なくとも共通に認識していた「南部」が一つはあったと考えられるから、そんなつっけんどんな言い方をする訳はない、ということになるのか。それにしても、ということはやはりある時期賢治と露は案外良好な関係にあったんだ。
鈴木 あっそういうことか。賢治が「南部さんのお寺」から借りた本を露に又貸しするくらいだから、二人の間にはかなり信頼関係があったと確かに言えるからな。
吉田 しかしさ、つっけんどんだったのは露を拒絶するためにわざとそう言い放ち、とぼけたということかもしれんぞ。
荒木 でも賢治はそんなとぼけ方をするか。がもしそうであったするならば、少なくともある時期までは露と親密で良好な関係にあった賢治が、その相手露に対してこんな言い方をしていたということになるので正直がっかりだな。俺の尊敬する賢治がそんなことをするはずはない…。
 そうだわかった。もしかすっと、この「書簡下書」はだれかが偽造したものかもしれんぞ。そもそも前から感じてたのだが、〔252c〕を読んでみるとその文章表現の仕方はとてもじゃないが賢治のイメージからはほど遠い、と。
吉田 おいおい物騒なことを言うなよ。確かに賢治のイメージからはほど遠いが、よりによって偽造はないだろう。
鈴木 いずれ、〔252a〕にせよ、はたまた〔252b〕にせよ、それらが露宛のものであると断定するためにはまだまだ乗り越えなければならないハードルがあるということだ。とりわけ、米田も指摘しているところの「ここは<法華をご信仰>とある」という疑問は必ず解消せねばならないそれだ。それができなければ、いくら「露宛書簡下書」だと断定したところで客観的な説得力は持ち得ないだろう。
荒木 それじゃ、俺もそれに異議がないから現時点での俺たちの結論は
 あやふやな点が少なからずある書簡下書〔252a〕及び〔252b〕については「露宛書簡下書」とは断定できない。
ということで決まりだべ。
◇検証用資料としては使えない
鈴木 ではいよいよ次は本丸の、『校本全集第十四巻』が「内容的に高瀬あてであることが判然としている」ときっぱりと断定している「新発見」書簡下書の〔252c〕について考えてみよう。
吉田 いやっ、鈴木が見つけたように〔252c〕と「新発見の下書(一)」は続き物であることはまず間違いないから、それらを繋げて先に名付けた
 〔改訂 252c〕
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。…(筆者略)…一つ充分にご選択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。…(筆者略)…さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外へお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれる為に書いたもので、あとのは正直に申し上げれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざなものをあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目においでになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあげたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝではだんだん間違ひになるからいまのうちはっきり私の立場を申し上げて置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申し上げませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでになすってゐるものだと存じてゐた次第です。どんな人だってもにやにや考へてゐる人間から力も智慧も得られるものでないですから。
その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。これぐらゐの苦痛を忍ばせこれ位の犠牲を家中に払はせながらまだまだ心配の種を播く(いくら間違ひでも)といふことは弱ってゐる私にはできないのです。誰だって音楽のすきなものは音楽のできる人とつき合ひたく文芸のすきなものは詩のわかる人と話たいのは当然ですがそれがまはりの関係で面倒になってくればまたやめなければなりません。
で検討すべきだ。
鈴木 そうか、じゃあそうしようか。では荒木、この中身についてどう思う。 
荒木 うん? 俺がか。賢治を尊敬している俺にとっては言いづらいところもあるが、寄ってたかって弱い者虐めをされているが如き露に味方して…正直に言う。はっきり言って賢治らしからぬ点が多すぎる。
 まず、文章構成がめためただべ。またその表現の仕方が、
  ・などといふから悪いですな
  ・(よくお読みなさい)
  ・(この手紙を破ってください)
  ・私みたいなやくざなものをあてにして
  ・もっとついでですからどんどん申し上げませう
  ・あゝいふことは絶対なすってはいけません 
というような露悪的な表現などからは、今まで抱いていた賢治のイメージとは真逆の印象しか受けないんだな、これが。
吉田 そう、これはあまりにも賢治らしからぬ文体の「書簡下書」なので、極めて違和感がある。誤解を恐れずに言えば、他の書簡とは違ってこの〝一連の「書簡下書」〟、とりわけ〔改訂 252c〕からは、尊大さ、軽薄さ、高踏的、露悪的、お為ごかしなどさえも感じられて、正直やりきれない。
鈴木 私もこれらに対しては、『えっ! 賢治ってこんな文体の手紙を書くことがあるのか』とがっかりしたものだった。
 そして同時にがっかりしてるのが、〔252c〕のことを『同第十四巻』が「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」と述べてはいても、ここに至っても私には一体それはどこからそう判断ができるのか全くわからないからだ。二人はどうだ?
荒木 例えば、
(1) それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし
とか、
(2) あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので…(著者略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。
というようなことを実際に露がしていたという、他の証言や資料があればそうと言えるかもしれないが…。
吉田 まずは前者(1)については、いくら賢治の発言とはいえ「ただならぬ物言い」だ。こんなことが書かれているとこれを素直に読んだ読者は皆、
・露には前の婚約者があった。
・しかも露はその人との婚約を破棄して、新たな相手と結婚しようとしている。
・賢治はそのような露に対して前の婚約者からはちゃんと了解を求めなさいとアドバイスした。
と、次に後者(2)からは、
・露は賢治に三日続けて手紙をよこしたり、
・夏から三べんも写真をよこしたりもした。
とそれぞれ受け取るだろう。
荒木 果たして本当に露にはそんなことがあったというんだべが。この部分を真に受ければ、露にとっては分が悪いところが少なくないぞ。
鈴木 とはいえ、上田哲は『七尾論叢 第11号』において、いま吉田が挙げたようなことについてどころか、そのような噂があったということさえも一切述べていない。もちろん一般にもそんなことがあったなどとは言われていない。
荒木 となれば、この「ただならぬ物言い」はなかなか厄介者だな。
鈴木 そこなんだ。そのような数々のことが露にあったということを筑摩は検証した上で、「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定したのであればいいのだが、ここまで調べてみてほぼ判るようにそうとは思えない。
 実はかつてこんなことがあった。『拡がりゆく賢治宇宙』の中に
 楽団のメンバーは
    第1ヴァイオリン 伊藤克巳
       …(略)…
    オルガン、セロ  宮澤賢治
 時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
<『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)79pより>
という記述があったので私はこれを見つけて喜んだ。それは、例の楽団に時に千葉恭も加わっていたことをこの記述から知ることができたからだ。
荒木 どういうこと?
吉田 それはさ、約2年4ヶ月の「羅須地人協会時代」、賢治は一般には「独居自炊」といわれているが、実は少なくとも半年間はこの千葉恭と一緒に暮らしていた。そのことをほら、鈴木は以前自費出版した『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』で実証したわけだが、そのことを裏付けてくれるからだ。
鈴木 そうなんだ。その原稿を書きながら不思議に思い続けたのが、賢治も含めて周縁の人たちの誰一人として千葉恭という人物が賢治と一緒に暮らしていたという証言や資料を残していなかったことだ。
 ところが、この『拡がりゆく賢治宇宙』にこのように記載されてあったから、誰かが千葉恭はあの楽団のメンバーの一人だったということ、つまり、下根子桜の賢治の許に千葉恭が時に来ていたということを実質的に証言していると思ったのだ。
 そこで私は、出版元にこの出典はなんですかと問い合わせた。するとその答えは『あれは間違いです』というものだった。
 ならばと、この部分の執筆者を探し出して訊いてみたところ、
 あれは、私が平來作から直接聞いたことです。ところが、千葉恭については他の人の証言がないからということで、『賢治年譜』には載っておりません。
<平成26年11月14日、阿部弥之氏より>
ということであった。そこで私は思った。そうか、流石「賢治年譜」、資料として載せるか否かの判断は厳しいんだと。ちなみに『新校本年譜』を見てみると、
 しかし音楽をやる者はほかにマンドリン平来作、木琴渡辺要一がおり、時によりふえたり減ったりしたようである。
<『新校本全集第十六巻(下) 年譜篇』(筑摩書房)314pより>
となっていた。平や渡辺の場合にはどんな他の人の証言等があって載せたのかを筑摩は明示していないがそれはさておき、確かに肝心の千葉恭の名前だけは抜け落ちている。
 そこで私もその徹底した筑摩の態度を見習って、「一人の証言だけとか、一つの資料だけとかに基づいて賢治の伝記研究をしてならないのだ」と改めて自覚した。
荒木 ということは?
吉田 千葉恭の場合にそれほどまでに徹底しているのであれば、先ほど僕が列挙した事柄についてもちゃんとその他の証言や資料を基にして検証しろと鈴木は怒っているのさ。
荒木 そりゃそうだべ。そうでないと筑摩はダブルスタンダードだ。
吉田 ということは、もしかすると何らかの理由があって千葉恭は意識的に無視されているのかもしれんな。
鈴木 うん、それは十分にあり得る。なお、千葉恭のご子息から直接聞いた(平成22年12月15日)ことだが、『父はマンドリンを持っていました』ということだったから、先の『拡がりゆく賢治宇宙』の件の記載内容はまず間違いないと判断できる。したがって、千葉恭は時に下根子桜に確かに来ていたということを平來作は正しく証言していたことになるだろう。
吉田 だからこそ、この「新発見の252c〔高瀬露あて〕」を活字にして公にしようとした筑摩は、これに対応する露からの賢治宛来簡を見つけ出すなどして、その裏付けを取る最大限の努力をせねばならなかったのだ。
 しかるに現時点でもこの出版社は、賢治に来た書簡はいまだ一切載せておらず、賢治が出した書簡ばかりを載せている。しかも、来簡を一切載せていないというのにかかわらず、賢治の書いた書簡下書、手紙の反古さえも載せている。これはあまりにも不公平なことだ。
荒木 そりゃそうだよ。賢治からの往簡だけではその書簡の内容の信頼性は担保されているとは言い難い。まして反古であればなおさらにだべ。
鈴木 だから不思議なんだよな。あれだけの膨大な全集をあの出版社は何度も出版しているのに、
  なぜ賢治宛来簡が一通も公になっていないのか。
という大問題について、私の知る限り同社出版の全集のどこを開いて見ても全く論じられていない。一体この大問題を同出版社は究明する気があるのだろうか。また、関係者も同様にだ。
荒木 そうなのか、俺はついつい「書簡集」には往簡も来簡もどちらも載っているものとばかり思ってた。来簡が一通も存在しないというのは極めて不自然だべ。
吉田 確かにある雑誌に、著名な賢治研究家の『来簡があるのは公然の秘密みたいな((註八))云々』という発言が載ってたな。とはいえ、賢治宛来簡は何らかの事故があって一切なくなってしまったというのならばそれはそれでやむを得ないとことだと僕は思う。しかしあれだけの膨大な『校本全集』を二度にわたって出しているのだから、それならばそのことについて究明した論考や納得のいく説明を『同全集』に載せてしかるべきだ。
荒木 そうだよな。来簡があるならば公開すべきだ。そうしないと、賢治からの往簡やその下書だけが公開されたことによっ不利益を受けた人も当然いたべ。
 実際、「露あてであることが判然としている」と言い切って〔252c〕などの「書簡下書」が公にされたがために露はすこぶる不利益を被っているのだから。
鈴木 したがって、先ほど荒木が挙げた(1)や(2)に関してはそれを裏付けるものを当事者は提示すべきだし、もしそれができなければ、こんな書簡の反古など公開するなと私は抗議したい。あまりにもアンフェアな行為だし、安易だ。
吉田 はっきり言って、〝一連の「書簡下書」〟を露宛のものであるなどとかたってその根拠も理由も明示せずに安易に活字にした筑摩の出版行為は詐欺行為みたいなものだ。
鈴木 おいおい、流石にそれは言い過ぎだよ。
吉田 いや、少なくとも僕はそう思っている。露にはもはや為す術がないのだから……
鈴木 では次に行くとするか? 私は次のような、
 その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。
という賢治の発言部分にも看過できない問題点があるということを言いたい。この部分からは、賢治が下根子桜にいた当時のことについて、
 私(賢治)には品行上でいろいろな事があった。それも女性問題でもだ。わたしは買い被られているだけで、それが疑問だと思うならば慶吾はそのいろいろな事を知っているから訊いてみるといい。いまは、女性問題のことでもう両親を苦しませたくないのです。
と書簡の相手に対して告白しているとも読み取れる。
 ということになれば、この時の書簡の相手とは露でない女性であろうと考えられる。なぜなら、その頃の出来事についてはしばしば賢治の所に出入りしていた露なのだからかなりの程度のことは知っていただろうし、露と慶吾は以前から懇意だったのだから、慶吾からある程度のことを露は聞き知っていたと考えた方が自然だと思えるからだ。
 また一方で、当時下根子桜に出入りしていた女性としては露以外にもいるという関登久也の証言「協会を訪れる人の中には、何人かの女性もあり((註九))」や、賢治の教え子の簡 悟の似たような内容の証言( (註十))もあるからだ。
 そうすると、そのような露に対して、このような状況下にあったとも考えられる賢治がこのような手紙を書こうなどとすることはあまり考えられず、その相手は少なくとも露以外の女性だと考える方が妥当だろう。
吉田 僕は、この〔改訂 252c〕については時期的な点での疑問もある。それは、次の
 あなたが根子へ二度目においでになったとき私が『もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、』と申しあげたのが重々私の無考でした。…(略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。
におけるものだ。
 例えば、この中の「あなたが根子へ二度目においでになったとき」とは、もしこれが露宛のものだとすれば、露が二度目に下根子桜を訪れた時期は大正15年頃のことであることはほぼ間違いない。ところが賢治はよりによってその頃の出来事を、それから約3年以上も経った昭和4年末にまたぞろほっくり返したということになる。
鈴木 そうだよな。「今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになった」の部分に注目すれば、下根子桜に出入りしていた露がその頃に「三べんも」寄越したことになる写真の話を、同じような長期間を経てこれまた昭和4年末になって再び持ち出して、この期に及んで「あゝいふことは絶対なすってはいけません」というように手紙で賢治が諭したということになるのだが、そんな間延びしたことが果たしてあり得るか?
吉田 下根子桜であれだけ世話になった露に対して、かなり時間が経ってしまった昭和4年末になってから弁解がましく言い訳をし、しかも最後にしれっとして、「あゝいふことは絶対なすってはいけません」というようなお為ごかしみたいなことなどは、僕には絶対言えん。
荒木 そう言われてみると、時期的、時間的な無理があるということがよくわかった。だからそんな無理な解釈、つまり〔252c〕は露宛のものだというよりは、少なくとも露を除いた女性であると解釈した方がはるかに説得力があるべ。
鈴木 とすれば我々三人の結論は、〔252c〕の相手の女性は露以外の女性である可能性が大である、だ。また、〝一連の「露宛書簡下書」〟はいずれもこの〔252c〕を基にしてさらに推定されたものであるから、「新発見」と言うところの〔252c〕を含む〝一連の「書簡下書」〟の宛先は露以外の女性である可能性が大である、ということでいいよな。
吉田 ということだ。
荒木 それからいま俺は思ったのだが、さっき吉田が取り上げた部分と一部重複するけど、「あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)…(略)…その前後に申しあげた話をお考へください」の部分は、他にも問題を孕んでいる。
 例えば、もしこの内容が事実だったとすれば、この女性が下根子桜に来た2回目で賢治は早くも「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども」ということを軽はずみに言ってしまったことになるからだ。
吉田 だから、この賢治の発言がもし事実であったとしたならばそれは取り返しのつかない一言となっただろうな。そしてその続きの弁解の仕方だって言い方がきついが、「さもしい」と言えなくもない。
荒木 確かにそれはきついな。とはいえ、だからこそ思うのだ、もしかするとこの〔252c〕はやっぱり賢治が書いたものではないと、偽造だとまではもう言わないけれども。
 だってさ、さっき俺は「露にとっては分が悪いところが少なくない」と言ったけど、もしこれが正真正銘賢治が書いたものだとすれば、それどころか遙かに賢治の方が分が悪いことになるだろう。
吉田 これはまずい。僕もいつの間にか荒木の考えがもしかするとあり得るかなと思い始めている。いやいや、…でもそれはないな。この時賢治が下書に書いた内容は事実だったのだ。だからこそ賢治は父政次郎から厳しい叱責を受けたのだと、こう考えれば辻褄が合う。
荒木 う……よっしゃ。もはや事ここに至ってしまっては俺も腹を括るしかない。俺が、賢治が書いたものではないかもしれないなどとつい妄想してしまうのは、俺が抱いている賢治像を基にして考えているからだ。これからは、このような分の悪いこともあるのが賢治だと思えばいいのだ。うん。
鈴木 どうやらこうしてみると、〔252c〕にはあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎるから、現時点では賢治の伝記研究上では資料たり得ない。これに対応する露からの賢治宛書簡等の客観的な資料が見つかったりしたならばその時には資料になり得るかもしれないが。
荒木 だから俺たちの現時点での結論はこうだ、
〔252c〕を含む〝一連の「書簡下書」〟にはあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎて、信頼性に著しく欠けているので今回の検証における資料としては使えない。
吉田 裏返せば、〔252c〕は「内容的に高瀬あてであることが判然としている」と言われても、どこが判然としているのかそれが全く判然としない、と結論せざるを得ないということだ。
鈴木 それでは、これで〝一連の「書簡下書」〟についての検討はほぼ終えたのでまとめに入ろうか。
吉田 いや一言だけ、それは従前の「不6」、つまり〝252c下書(十六)〟についてだ。その中に
 なぜならさういふことは顔へ縞ができても変り脚が片方になっても変り厭きても変りもっと面白いこと美しいことができても変りそれから死ねばできなくなり牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなるで((ママ))す。大いにしっかり運命をご開柘( (ママ))なさいまし。
<『新校本全集第十五巻 書簡校異篇』(筑摩書房)146pより>
という箇所があるが、賢治が「牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなる」などということを普通言うか? 「…ははは、…」と。
鈴木 そうなんだよな、私も気になっていたところだ。後でまた話題にせねばならぬところだが、まるで昭和7年の中舘武左衛門宛書簡下書〔422a〕中の猛烈な皮肉「呵々。妄言多謝」を彷彿とさせる。まさかこんな言い方を賢治がするとはな。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

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 そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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