みちのくの山野草

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甚次郎等による農村劇上演

2019-02-14 14:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 次は、いよいよ例の第一回目の農村劇「水涸れ」についてだ。
 甚次郎は次のようなことを『土に叫ぶ』の中で述べていた。
 水涸れ 私は六反歩の小作農になり、粗衣粗食で家の仕事に從事しながら、自分の田を耕し、やがて田植も終らうとして、寄手苗餅も明日にひかへた頃から水が不足しだした。それからといふものは、毎日毎晩休む日も眠る時もなく、人目を避け忍んで、二里ほど餘りある石ばかりの道を眞夜中に往復。それでも我が田に水が引かれず、もう早苗は枯れんばかになつた。雨は降るがそれこそ焼石に水だ。…(投稿者略)…村の人々はこの並大抵ならぬ苦行を、何年も體験して居る。鬪って居る。その偉さに敬虔の氣持ちに打たれた。
 …(投稿者略)…そして水掛けも終りとなり、わが田も八分作位に止まりさうになつて、村には樂しいお盆が近づいたのだ。それで或日の倶樂部で「今年のお盆かお祭に、お互いで作つた劇をお互いでやつて見ようではないか」とすゝめたら、幸ひなるかな、一同快く賛成してくれた。それから一ヶ月間餘暇を盗んで、初體験の水掛けと村の夜の事を脚本として書いて見た。…(投稿者略)…何だか脚本として物足りなくて仕樣がないので困つてしまつた。「かういふ時こそ宮澤先生を訪ねて教えを受くべきだ」と、僅かの金を持つて先生の許へ走つた。先生は喜んで迎へて下さつて、色々とおさとしを受け、その題も『水涸れ』と命名して頂き、最高潮の處に篝火を加へて下さつた。この時こそ、先生と最後の別離の一日であつたのだ。
           〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)27p〉
 なお、この「最後の別離の一日」 とは、昭和2年8月8日のことであった

 そして紆余曲折はあったものの、同年9月10日に鳥越村の村社である八幡神社境内に土舞台を作ってこの『水涸れ』は上演されたという。それも、「たつた十六歳から一九歳迄の(二十餘名の)少年が自発、自治、一円八十銭の経費で、六百名の前で演じた」というものであり、しかもこの「事が、その後十年目に二萬餘圓の大貯水池<*1>築造の目的を達成せしむる基礎と動機を與えようとは誰も想像しなかったであらう」〈共に同35p〉ということである。
 ちなみに、『水涸れ』の第4幕については、
 村の重立つた人の對策協議會だ。川原だ、盛んに議論が出るが、次第に協調へと話がはずんで行く。結論は――お互に水盗みをやり、水番をやり、喧嘩をやる力と時間で、水源近くに貯水池を築造して、春先の雪融け水を貯へておいて、水涸れの季節に流せば問題はない。要は、お互が利己主義で相殺するか、協同で互助するかの精神問題である。お互に幸福をのぞむ以上は、互助協同の旗の下に、貯水池築造に邁進すべきだ――これで最後の幕が静かに下りる。
             <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)より>
というものであったと甚次郎は綴っている。
 なお、安藤玉治によれば、
 この劇がきっかけとなり、貯水池築造の計画がまとまり、一〇年後の昭和十三年五月に完成をみている。
 村からは以後水掛けによるけんかは姿を消したのであった。
             〈『「賢治精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)64p~〉
という。つまり、『水涸れ』の第4幕が正夢となったわけである。

 そして、甚次郎はその後も賢治の「訓へ」どおりに農村劇に取り組み続けた。その農村劇の公演リストは以下のとおりである。
昭和2年4月25日   鳥越倶楽部を結成する
   〃 9月10日   農村劇「水涸れ」公演
昭和4年       農村劇「酒造り」公演
昭和5年9月15日   農村劇(移民劇)公演
昭和6年9月     農村劇「壁が崩れた」公演
昭和7年2月     農村劇「国境の夜」公演
昭和8年2月     農村劇「佐倉宗吾」公演
昭和9年       農村喜劇「結婚後の一日」公演
昭和10年12月     「ベニスの商人」公演
  〃  暮     選挙粛正劇「ある村の出来事」公演
昭和11年4月     農村劇「故郷の人々」「乃木将軍と渡守」公演
昭和12年1月10日  「農村劇と映画の夕」公開
            (実家の都合により塾一時閉鎖)
            (昭和13年5月18日  「土に叫ぶ」出版)
昭和13年      農村劇「永遠の師父」公演
昭和14年8月15日  農村劇「双子星」公演
昭和15年       二千六百年奉祝の舞踏と奉祝歌公演
昭和17年2月     農村劇「勇士愛」公演
昭和18年3月21日   「種山ヶ原」「一握の種子」公演
昭和18年8月4日   松田甚次郎逝去(享年35歳)
             <『土に叫ぶ』及び『宮澤賢治精神の実践』(安藤玉治著、農文協)の年譜より抜粋)>

<*1:註>【転坂(うとざか)堤】

 この堤は第1回目(昭和2年)に上演された農村劇『水涸れ』が切っ掛けでその約10年後、昭和13年5月に二萬余円を懸けて築造した貯水池である。
            <『新庄市報H4,7,7号”土を愛し、土に叫んだ人”』より>

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