みちのくの山野草

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賢治は「農村劇をやれ」と言ったものの

2019-02-15 14:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 さて、松田甚次郎は昭和2年3月8日に賢治から「農村劇をやれ」と「訓へ」られたとおり、同年9月10日に第一回目の農村劇『水涸れ』を上演した。甚次郎は決断も鮮やかだったし、深慮遠謀もあり、統率力もあったし、固い団結力で結ばれた仲間もいた、と私には見えた。
 では一方の、「農村劇をやれ」と「訓へ」た師である賢治は、農村劇にどう取り組んだのだろうか。 

 まずは、賢治はこのことについては何と言って甚次郎に懇々と説諭したのであろうか。『土に叫ぶ』には、
 次に農村芝居をやれといふことだ。これは單に農村に娯楽を與へよ、といふ樣な小さなことではないのだ。我等人間として美を求め美を好む以上、そこに必ず藝術生活が生れる。殊に農業者は天然の現象にその絶大なる藝術を感得し、更らに自らの農耕に、生活行事に、藝術を實現しつつあるのだ。…(投稿者略)…
 そしてこれらをやるには、何も金を使わずとも出來る。山の側に土舞臺でも作り、脚本は村の生活をそのまゝすればよい。唯、常に教化といふことゝ、熱烈さと、純情さと、美を没却してはいけない。…(投稿者略)…小山内氏の『演劇と脚本』といふ本をくださった。そしてこれをよく研究し、青年たちを一團としてやる樣にと、事こまごまとさとされた。
           〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)4p~〉
とある。たしかにこう説諭されると、おそらく私もただただ素直に頷きながら聴き入ると思う(ならば、「農村劇をやろう」と決意することはないにしてもだ)。そしてもちろん、賢治がこうまで言いきった以上は必ずや賢治も農村劇をやるのだろうと。

 するとこの時に思い出すのが、この日(昭和2年3月8日)より、1ヶ月強前の昭和2年2月1日付『岩手日報』の次の記事だ。
 農村文化の創造に努む 花巻の有志が 地人協会を組織し 自然生活に立返る
花巻川口町の町会議員であり且つ同町の素封家の宮澤政次郎氏長男賢治氏は今度花巻在住の青年三十余名と共に羅須地人協会を組織しあらたなる農村文化の創造に努力することになつた地人協会の趣旨は現代の悪弊と見るべき都会文化のに対抗し農民の一大復興運動を起こすのは主眼で、同志をして田園生活の愉快を一層味はしめ原始人の自然生活たち返らうといふのであるこれがため毎年収穫時には彼等同志が場所と日時を定め耕作に依って得た収穫物を互ひに持ち寄り有無相通する所謂物々交換の制度を取り更に農民劇農民音楽を創設して協会員は家族団らんの生活を続け行くにあるといふのである、目下農民劇第一回の試演として今秋『ポランの広場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐるが、これと同時に協会員全部でオーケストラーを組織し、毎月二三回づゝ慰安デーを催す計画で羅須地人協会の創設は確かに我が農村文化の発達上大なる期待がかけられ、識者間の注目を惹いてゐる(写真。宮澤氏、氏は盛中を経て高農を卒業し昨年三月まで花巻農学校で教鞭を取つてゐた人)
 そして、更に遡って10ヶ月前の大正15年4月1日付『岩手日報の』次の記事のこともだ。
 新しい農村の建設に努力する 花巻農學校を辭した宮澤先生
花巻川口町宮澤政次郎氏長男賢治(二八)氏は今回縣立花巻農學校の教諭を辭職し花巻川口町下根子に同士二十餘名と新しき農村の建設に努力することになつたきのふ宮澤氏を訪ねると
現代の農村はたしかに經濟的にも種々行きつまつてゐるやうに考へられます、そこで少し東京と仙台の大學あたりで自分の不足であつた『農村經濟』について少し硏究したいと思つてゐます。そして半年ぐらゐはこの花巻で耕作にも從事し生活卽ち藝術の生がいを送りたいものです、そこで幻燈会の如きはまい週のやうに開さいするし、レコードコンサートも月一回位もよほしたいとおもつてゐます幸同志の方が二十名ばかりありますので自分がひたいにあせした努力でつくりあげた農作ぶつの物々交換をおこないしづかな生活をつづけて行く考えです
と語つてゐた、氏は盛中卒業後盛岡高等農林学校に入學し優等で卒業した人格者である

 そこでこれらの二つの記事を比べてみれば、4月には「農民劇(農村劇)」については明確には触れていないから、それから10ヶ月後になると賢治の中で「農民劇」の重要性が一気に増していったということであろうか。さりとて、
 先生は「君達はどんな心構へで歸鄕し、百姓をやるのか」とたづねられた。私は「學校で學んだ學術を、充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の範になり度い」と答へたら、先生は足下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を學校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
   小作人たれ
   農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。
             <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)2p~>
とまで賢治が強く勧めた「農村劇(農民劇)」だが、賢治がこの約1ヶ月前に「目下農民劇第一回の試演として今秋『ポランの広場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐるが」と言っていたその農民劇『ポランの広場』を、その後に実際公演したかというと、それを裏付ける証言も資料等もないはずだ。のみならず、「羅須地人協会時代」にこのような劇を上演したということも同様にない。となれば、他人には「同志ではない」とまで言って強く勧めた「農村劇をやれ」だったが、肝心要の賢治本人はまったくそうでなかったと言われても仕方がなかろう。

 言ってしまえば、
   小作人たれ
   農村劇をやれ

であることは賢治の同志であるための必要条件(あるいはこの二つで必要十分条件だったとも思えるが)であるという論理が成り立つのはずが、賢治本人がこの条件を二つとも満たしていない(「小作人」にならなかったことについては、〝小作人となった甚次郎〟で既に実証済み)のである。つまり、賢治は自家撞着や、ダブルスタンダードを案外気にしななかったということになろう。そして、それこそが天才の天才たる所以なのかもしれない、と素直に解釈できそうだ。
 言い換えれば、
 賢治の作品には数多の勝れた作品があるし、これからも『春と修羅 第一集』の詩篇や、童話『なめとこ山の熊』のような作品を創れる人はほぼ現れないだろうが、その一方で、私のような凡人が有する倫理規範では人間賢治をカテゴライズできない。
ということを私はそろそろ受け容れる覚悟をせねばならない、となりそうだ。

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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