みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

誤解を生みかねない小倉の記述

2019-02-15 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

鈴木 そうか、そういう心理だったのか。だからこそ、その次に出版した『「雨ニモマケズ手帳」新考』<*1>で、
㈠ 賢治のT女史宛の手紙下書によれば、二人の手紙の往復は賢治の発病後も継続しており、クリスチャンのT女史は法華経信者となって賢治の交際を深めようとしたり、持ち込まれた縁談を賢治に相談することによって賢治への執心をほのめかしたりしたが、賢治の拒否の態度は依然変らなかったらしい。その結果T女史は賢治の悪口を言うようになったのであろう。この点、高橋氏は否定していたが、私は関登久也氏夫人(賢治の妹シゲの夫岩田豊蔵氏実妹ナヲさん)から直接きいており、賢治が珍しくもこの件について釈明に来たことも関氏から直接聞いている。
            <『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)115pより>
と、またぞろぶり返したのか。
吉田 しかしこの記述は困るんだよな。文中の指示語「この点」が何を指しているかはっきりしていないから。
鈴木 そのとおりで、その後に出版した『解説 復元版 宮澤賢治手帳』<*1>の中でもまた、
㈡ 高橋氏の話によれば、高瀬さんの強引な単独訪問はその後もしげしげ続いたが、賢治のその都度かくれたり、顔に灰を塗ってレプラだと偽ったりするつれなさに、女学校時代の同級生で宮澤家の親戚である関徳弥氏婦人に、賢治を悪しざまに告げ口した。その前に賢治は「自分の悪口を言いに来る者があるだろう」と、関氏と同夫人に話に来たという。このことは関氏と同夫人から私も聞いている。彼女の協会への出入に賢治が非常に困惑していたことは、当時の協会員の青年達も知っており、その人達からも私は聞いた。それらを知った父政次郎翁が「女に白い歯を見せるからだ」と賢治を叱責したということは、翁自身から私は聞いている。労農党支部へのシンパ的行動と共に―。
            <『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉豊文著、筑摩書房)47p~より>
と、似たようなことを記述していてこちらも曖昧なんだな。
吉田 そう、こちらはこちらで肝心の「賢治を悪しざまに告げ口した」には主語がない。
鈴木 さらに注意深く読んでみると、ある微妙なしかし重要な違いにも気付く。それは小倉は、
 ㈠の『「雨ニモマケズ手帳」新考』(昭和53年)の場合
    その結果T女史は賢治の悪口を言うようになったのであろう。……(ア)
と推定表現で述べていたのに、
 ㈡の『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(昭和58年)の場合
    賢治を悪しざまに告げ口した。……(イ)
と断定表現に変えているという違いにだ。それも、
   前者㈠:「悪口を言う」→ 後者㈡:「悪しざまに告げ口した
というように、より印象の悪い「告げ口」という表現に変えている。しかも前者㈠においては出だしに、
    この点、高橋氏は否定していたが、……(ウ)  
と言い添えていたのに、後者㈡にはこの〝(ウ)〟が見当たらないという違いもある。
吉田 さらに小倉は㈡において、「高橋氏の話によれば」と前置きしているので、誰が告げ口を言ったかはさておき、
    「賢治を悪しざまに告げ口した」ということを高橋慶吾が証言した。
ということになるから、小倉の記述は誤解を生みかねない。 
荒木 そうだよな、これじゃ㈡の『解説 復元版 宮澤賢治手帳』の方を読んだ人からは、記されていない主語を「露」と思われて、
    露は賢治を悪しざまに告げ口した。
は事実だったと受けとめられがちだろうし、そのことを証言したのは慶吾だと誤解されて、慶吾も不当に割を食いかねない。
鈴木 しかも、もしその文章表現の曖昧さを問われたとしたならば、小倉は
    「高橋氏の話によれば」と書いているではないか。
と弁解して、慶吾に下駄を預ける気かもしれんが、そうするとそれは〝(ウ)〟に全く反している。

<*1:註> 小倉豊文の「雨ニモマケズ手帳」に関する著書の出版を時系列でならべてみると、
  (1)『宮澤賢治の手帳 研究』(創元社、昭和27年)
  (2)『宮沢賢治『手帳』解説』(生活文化社、昭和42年)
  (3)『「雨ニモマケズ手帳」新考』(東京創元社、昭和53年)
  (4)『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(筑摩書房、昭和58年)
となる。
 したがって、㈠も㈡もともに、『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)でにぎにぎしく「新発見」と嘯いた賢治書簡下書「252c」関連しての、「推定は困難であるが」と言っておきながら実際には推定した一連の註釈と符合していることがわかる。
 言い換えれば、「新発見」でもないのにも拘わらず「新発見」とかたったということが、如何に責任が重大であったかということであり、周囲にとんでもない迷惑を掛けてしまったかということだ。そしてこのことはもちろん許されることではないのだから、いずれ歴史によって断罪されるであろう。

 続きへ
前へ 
 “〝高瀬露は決っして〈悪女〉ではない〟の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大迫の氷筍を見に(2/14) | トップ | 氷筍出来(2/14、大迫) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

濡れ衣を着せられた高瀬露」カテゴリの最新記事