不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『土に叫ぶ』の出版

2019-02-19 10:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》

 さて、「松田家の経済が危うくなり、父から強く家業を継ぎ、これに専念するように要請された」甚次郎は、昭和12年8月、万やむを得ず村塾を一時閉鎖、11月に村塾を辞して鳥越の生家に戻ったという。そしてその頃のことを甚次郎は、
 薄暗い我が家でつめたい世評を受けながら訪ねる人もない沈思の日が続いた。その間十年間黙って働けと申し渡された、宮澤先生の言葉と過去十年間生活が思ひ出されて毎日煩悶し続けた。
             <『続 土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)より>
と振り返っている。
 ところで、この「宮澤先生の言葉と過去十年間生活が思ひ出されて毎日煩悶し続けた」だが、これはおそらく、『土に叫ぶ』の原稿作成に格闘していた事も意味しそうだ。そのへんの経緯については、安藤玉治によればこうだ。
 昭和十二年春、農地調整法案が衆議院に上程されるというので上京していた松田が、国会議事堂内で羽田嗣郎と会った。
 そのとき羽田が、松田のこれまでの「十年間の生活記録を是非書いてくれ」と頼んだのである。羽田は…(投稿者略)…農村問題に情熱を傾ける若き政治家だった。…(投稿者略)…
 そのたっての頼みを受けた松田は…(投稿者略)…さんざん迷った末に…(投稿者略)…昭和十三年、「旧正月元日、吹雪を外にして、沈思黙考の後、筆を執り、全生命を打込んで書いた」<*1>。

 羽田から依頼を受けてから、筆を執るまで半年以上の月日がたっているのだが…(投稿者略)…その半年以上の月日は彼にとっては苦悩に満ちたときでもあった。
 実家の経営悪化にともなう塾の一時休止、体調をこわしての病臥静養の日々は松田にとって初めての試練の日々であった。
            〈143p~〉
 こうして、昭和13年5月に出版されたのが『土に叫ぶ』である。 
【Fig.1 『土に叫ぶ』の表紙と箱】

【Fig.2 奥付】

を見てみると、出版社は「羽田書店」、発行者は当時の代議士でもあった羽田武嗣郎であることが判る。
 かつては製本上の都合により本は袋とじだったというが、まさしくこの本もそのようにして作られたようで
【Fig.3 袋とじが一部残っていた】

当然、読む度にその袋とじをペーパーナイフで一頁ごとに切り開きながら読んでいったわけである。
 興味深いことの一つが
【Fig.4 本文最終頁】

である。一番最後
    (完)
の直後に
    昭和拾八年四月五日
というスタンプの押印、および
    警戒警報発令中
の墨書があることである。
 この本の所有者は警戒警報発令下、外部に電灯の光が漏れないように気を使いながらも一心不乱に読んでいたことであろう。ペーパーナイフで頁を一々切り開きながら、このベストセラーの迫力に引き込まれてしまって一気呵成に読み終え、その満足感に浸ったのではなかろうかということがこの最終頁から想像される。

 なお、安藤玉治も、
 宮沢賢治の弟子、働いて働いて辛苦の労働自分の農魂錬成のかてとし、大地をしっかりと歩み続ける松田の体験記録は読者の共感を呼び、当時としては驚異的なベストセラーになった。
             〈『宮澤賢治精神の実践』(安藤玉治著、農文協)145p〉
と、手ばなしで賞嘆している。

 そして注目すべきは、この『土に叫ぶ』の巻頭である。それは次の様に、
【Fig.5 本文一頁】

【Fig.6 本文二頁~三頁】

となっていて、
      一 恩師宮澤賢治先生
 先生の訓へ 昭和二年三月盛岡高農を卒業して歸鄕する喜びにひたつてゐる頃、每日の新聞は、旱魃に苦悶する赤石村のことを書き立てゝゐた。或る日私は友人と二人で、この村の子供達をなぐさめようと、南部せんべいを一杯買ひ込んで、この村を見舞つた。道々會ふ子供に與へていつた。その日の午後、御禮と御暇乞ひに恩師宮澤賢治先生をお宅に訪問した。…(投稿者略)…。
と書かれていたからである。当然、このベストセラーの読者は「恩師宮澤賢治先生」という人はとても凄い人だろうなということはこの巻頭からわかっても、当時宮澤賢治は全国的には殆ど知られていなかったので逆に、宮澤賢治って誰か、どんな人なのかとということを知りたいと思った人が沢山いたであろう事が容易に想像できる。

 なお、このようにして始まる彼の10年間の実践を綴った『土に叫ぶ』の目次はつぎのようなものである。
 一 恩師宮澤賢治先生
 二 郷土・鳥越
 三 村芝居
 四 隣保館
 五 婦人愛護運動
 六 精神鍛錬の実修
 七 我家と私
 八 私の農業経営主義実績
 九 最上共働村塾
一〇 日本協働奉仕団の結成
一一 農村啓蒙行脚
一二 来訪者を語る
一三 良き父と良き友を語る
一四 農村最近の動向と時局

<*1:註> このことについては、松田甚次郎自身は『土に叫ぶ』の序で、
 本春、農地調整法案が衆議院に上程の日、帝國議事堂で敬愛する羽田書店主と會つた。…(投稿者略)…その時、私に十年の生活記録を是非書いてくれとのことである。けれども私は筆の人ではない。…(投稿者略)…書くことも、まとめることも出來ないと思つたが、羽田氏の農村の行末を思ふ切ない熱意に動かされ、歸鄕後に熟考して、私のやうなものが書いたものでも皇國と農村の彌榮にいくらかでも役立つならばと、最善をつくして書くことを心に決めた…(投稿者略)
 出羽の國の山村のわが家にて、舊正月元日、吹雪を外にして、沈思默考の後、筆を執り、全生命を打込んで書いた。今日ではや五十日目である。
   昭和十三年春
                      出羽國鳥越邑にて
                          農 松田甚次郎
と述べている。謙虚で控え目、律儀で真面目な松田甚次郎を偲ばせる序だ

 続きへ
前へ 
 ”「甚次郎と賢治の違いは何、何故」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高村光太郎の随筆『獨居自炊』 | トップ | ちゑと賢治の見合いが昭和2年... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

甚次郎と賢治」カテゴリの最新記事