みちのくの山野草

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ちゑの結婚拒否の真の理由は

2019-02-05 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 さてそこで改めて振り返ってみると、ちゑの結婚拒否の真の理由が垣間見えてくる。
 先に引用したように、ちゑからの森宛書簡には、
 この決心はすでに大島でお別れ申し上げた時、あのお方のお帰りになる後ろ姿に向かつて、一人ひそかにお誓ひ申し上げた事(あの頃私の家ではあの方を私の結婚の対象として問題視してをりました)約丸一日大島の兄の家でご一緒いたしましたが、到底私如き凡人が御生涯の御相手をするにはあんまりあの人は巨き過ぎ、立派でゐらっしゃいました。
             <『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)157pより>
と認められているから、ちゑは慇懃にではあるが、賢治との結婚は拒絶したのだと森に伝えていたことが容易に導かれる。それは、括弧書きの「(あの頃私の家ではあの方を私の結婚の対象として問題視してをりました)」が如実に語っている。なお以前にも述べたことだが、伊藤家側では賢治との結婚に反対だったということは、私自身も直接その一人から教わっている。
 これに関しては以前の私ならば、昭和3年6月の「伊豆大島行」の際に賢治の素振りを見たちゑは、花巻を訪ねての「見合い」は「ぬすみ見」が如き行為だったことに気付いて恥じ、良心の呵責に苛まれて賢治とは結婚すべきではないとちゑは自分に誓ったという見方をしていて、例えば、
――あの人の白い足ばかりみていて、あと何もお話しませんでした。――
と森に伝えた一言は、まさにそのちゑのいじらしさの現れだと思っていた。ところが、どうもそうとばかりも言えなさそうだ。なぜならば、一方の書簡では、「ぬすみ見」がごとき行為をしたことに対する良心の呵責がちゑに芽生えて自分は賢治にふさわしくないという論理だったはずだが、こちらの方の書簡の場合には賢治と結婚しないことの理由は賢治の側にあるという本音の論理を垣間見せているからである。

 そして、当時セツルメント活動に献身していたちゑの生き方を知ってしまった今の私からすれば、この「本音」は至極当然であったと思えてくる。それは当時の賢治のことを思い起こせばさらにもっと見えてくる。
 昭和3年6月頃の賢治といえば、佐藤竜一氏も「逃避行」と見ている(『宮沢賢治の東京』(佐藤竜一著、日本地域社会研究所)166p)ように、何もかもが上手くゆかなくなってしまって羅須地人協会から逃避するのための上京であったと見ることができるから、自ずからその頃の賢治からはかつてのような輝きが失せていたであろう。そして賢治自身も、『私も随分かわったでしょう、変節したでしょう』と当時言っていたというくらいだ。
 一方のちゑは、前回〝聖女の如き伊藤ちゑ〟で述べたように、復旧未だしの『二葉保育園』に勤め、スラム街の恵まれない子女の保育の為に我が身を擲っていたが、兄七雄の看病のために一時休職、しかし兄は一時回復したのでまた復職して貧しい人たちのためにセツルメント活動を実践していた。あるいはまた、あの老婆に毎月「五円」を送金し続けていたという。
 となれば、かつてとは違って己を見失っていたいわば「高等遊民」の賢治であり、もう一方は聖女の如く『二葉保育園』でスラム保育に献身していたちゑである。そこにはあまりにも落差がありすぎた。切っ掛けはともあれ、一度は「見合い」をした相手の正体がほぼ見えてしまったであろうちゑからすれば、賢治は自分の価値観とは正反対の人間であると見切ってしまったとしてもそれはやむを得なかろう。
 だからこそちゑは賢治との見合いについて、「私ヘ××コ詩人と見合いしたのよ」と冷たく突き放した一言を深沢紅子の前で漏らした<*1>、と解釈できる。社会的な意識が高くてしかもストイックな生き方をしていたと思われる当時のちゑからすれば、その頃は虚脱状態に近かったであろう賢治が魅力的に見えるはずもなかった、ということが理屈上は考えられる。

 おそらく、ちゑが賢治との結婚を拒絶した真の理由は、スラム街の子女のための保育にひたむきに取り組み、恵まれない人たちのために献身する生き方にちゑは価値観を見出していたし、それを続けたかったからだ。私はそう理解できたし、納得もできた。それはちょうど、同じような想いで徳永恕が岩手県出身の及川鼎平との離婚を決めたのと同じようにだ。

<*1:註> 現時点ではこの発言を活字にする事は憚られるので一部伏せ字にした。
 なおこの『私ヘ××コ詩人と見合いしたのよ』については、私は二人の人から違うルートで聞いている(そのうちの一人は佐藤紅歌の血縁者で平成26年1月3日に、もう一人は関東の宮澤賢治研究家である(ただしその時期はそれ以前なのだがそれが何時だったかは失念した))。

            〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)165p〉

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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