みちのくの山野草

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「変節」してしまった賢治

2019-02-03 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

吉田 そこでだ、僕はこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕が詠まれるに当たっては、実はある伏線があったと思うんだ。
荒木 それはまたどんな?
吉田 それは佐藤隆房が昭和6年のこととして『宮澤賢治』の中で、
 賢治さんは、突然今まで話したこともないやうなことを申します。
「實は結婚問題がまた起きましてね、相手といふのは、僕が病氣になる前、大島に行つた時、その嶋で肺を病んでゐる兄を看病してゐた、今年二七、八になる人なんですよ。」
 釣り込まれて三木君はきゝました。
「どういふ生活をして來た人なんですか。」
「なんでも女學校を出てから幼稚園の保姆か何かやつてゐたといふことです。遺産が一萬圓とか何千圓とかあるといつてゐますが、僕もいくら落ぶれても、金持ちは少し迷惑ですね。」
「いくら落ぶれてもは一寸をかしいですが、貴方の金持嫌ひはよく判つてゐます。やうやくこれまで落ちぶれたんだから、といふ方が當るんぢやないですか。」
「ですが、ずうつと前に話があつてから、どこにも行かないで待つてゐるといはれると、心を打たれますよ。」
「なかなかの貞女ですね。」
「俺の所へくるのなら心中の覺悟で來なければね。俺といふ身體がいつ亡びるか判らないし、その女(ひと)にしてからが、いつ病氣が出るか知れたものではないですよ。ハヽヽ。」
            <『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房、昭和17年)213p~より>
と記述していて、この中にその伏線があると思っているんだ。なおもちろんこの「三木」とは森荘已池のことであり、ちなみに昭和26年の同改訂版では「森」になっている。
鈴木 これとほぼ同じ内容のことを森自身が「昭和六年七月七日の日記」でも述べているが、こちらの隆房の方がわかりやすいな。
吉田 僕もそう思う。とはいえ、どちらもあの昭和3年6月の「伊豆大島行」から約3年を経て再び持ち上がった賢治とちゑの結婚について、賢治自身の口から森が聞いたということを証言しているということになる。そして、先ほどの「ある伏線」とは再び起こったこの結婚問題のことなんだ
荒木 でもさ、森の「昭和六年七月七日の日記」における露に関する記述はほとんど虚構だということがほぼ明らかになった<*1>ベ。これだってどこまで事実を語っているのか危ういもんだ。
吉田 確かにその危惧はあるけど、森はとりわけ親交の深かった賢治の詩友というだけでなく、直木賞を貰っているだけの実力があったのにもかかわらず、賢治のために自分を犠牲にしたとも言える程の人物だ。しかもその森が、「その日の日記を書きうつそう」と前置きした後で述べているのがいま引用した部分だとも言えるから、この場合は…
荒木 そっか。しかも森荘已池独りのみならず佐藤隆房も同じようなことを書き残しているのならば、吉田の言うとおりこの場合に限っては少なくともそこに虚構はないと思うことにしよう。ここに述べられていることは賢治にとってはどちらかというと不利な内容だから、なおさらにな。
吉田 さて一方、長編詩「三原三部」からは賢治がちゑに好意を抱いていたことは窺えるし、賢治が伊豆大島行を終えて帰花(花巻に帰ること)して後に藤原嘉藤治を前にして、
 あぶなかった。全く神父セルギーの思ひをした。指は切らなかつたがね。おれは結婚するとすれば、あの女性だな。
             <『新女苑』八月号 実業之日本社 昭和16・8>
と述懐していたということだから、賢治自身はちゑとならば結婚してもいいと前々から思っていたことは十分にあり得る。
荒木 この賢治と森とのやりとりからは、賢治はちゑとの結婚についてはまんざらでもなさそうだしな。でもさ、賢治って「独身主義者」じゃなかったのか?
吉田 そこなんだよ荒木、「独身主義」のみならず、昭和6年当時の賢治はかつての賢治ではなくなっていたということが同書で引き続いて述べられて、僕もそれを初めて読んだ時は驚天動地だった。ちなみにそれは次のように、
 どんぶりもきれいに食べてしまうと、カバンから二、三円(ママ)の本を出す。和とぢの本だ。
「あなたは清濁あわせのむ人だからお目にかけましよう。」
 と宮沢さんいう。みるとそれは「春本」だつた。春信に似て居るけれど、春信ではないと思う――というと、目が高いとほめられた。
 …(筆者略)…そして次のようにいつた。
「ハバロツク・エリスの性の本なども英文で読めば、植物や動物や化学などの原書と感じはちつとも違わないのです。それを日本文にすれば、ひどく挑撥的になって、伏字にしなければならなくなりますね」
 こんな風にいつてから、またつづけた。
「禁欲は、けつきよく何にもなりませんでしたよ、その大きな反動がきて病氣になつたのです。」
 自分はまた、ずいぶん大きな問題を話しだしたものと思う。少なくとも、百八十度どころの廻轉ではない。天と地がひつくりかえると同じことぢやないか。
「何か大きないいことがあるという。(ママ)功利的な考へからやつたのですが、まるつきりムダでした。」
 そういつてから、しばらくして又いつた。
「昔聖人君子も五十歳になるとさとりがひらけるといつたそうですが、五十にもなれば自然に陽道がとじるのがあたりまえですよ。みな僞善に過ぎませんよ。」
 私はそのはげしい言い方に呆れる。
「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい。」
という。
「いいでしようね。」
と私は答えた。
「いい材料はたくさんありますよ。」
と宮沢さんいう。
             <『宮沢賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)107p~より>
と述べられているんだ。
荒木 じゃじゃじゃ、こりゃたまげたな。
鈴木 でも実は一番驚いていたのは賢治自身だったかもしれない。というのは、この後で賢治は森に対して、
 石川善助が何か雜誌のようなものを出すというので、童話を註文してよこし、それに送つたそうである。その三四冊の春本や商賣のこと、この性の話などをさして、
「私も隨分かわつたでしよう、変節したでしよう――。」
という。
             <『宮沢賢治と三人の女性』109pより>
と話したということだから。
吉田 なお、「春本」についてはこの時のみならず、この後の昭和6年9月の上京時にも携えて行っていて、ちゑとの見合いの仲介者とも言われている菊池武雄にプレゼントしている。
荒木 そうだったんだ、その当時の賢治は。まあ…まさしく《創られた賢治から愛すべき賢治に》ということだ、とすれば歓迎すべきことなのかもしれんけどな。
鈴木 それにしてもな、「功利的な考へからやつたのですが」はな…確かに賢治は様変わりしてしまった。
吉田 僕とすれば、「なんとそういう打算的な考え方でそれまでやっていたというのか!」ということでがっくりだった。まあでもそれが賢治の生き方なのだから、僕がとやかく言える筋合いのものではないけど。

<*1:註> 『本統の賢治と本当の露』の「7.冤罪とも言える〈悪女・高瀬露〉の流布」の冒頭に、 
 まず少しく振り返ってみれば、これまでの「仮説検証型研究」等の結果、『宮澤賢治と三人の女性』における露に関する記述には捏造の「下根子桜訪問」を始めとして、悪意のある虚構や風聞程度のものも少なからずあることが判ったから、そこで語られている露は捏造された〈悪女・高瀬露〉であり、同書は露に関しては伝記などではなくて、悪意に満ちたゴシップ記事に過ぎなかったとするのが妥当だと分かった。
             〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)133p〉
とある。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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