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《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》
さて、〝賢治の「訓へ」〟で触れたように、昭和2年3月8日に賢治の許を訪れた松田甚次郎は、賢治から
小作人たれ
農村劇をやれ
と「訓へ」られということだが、このことに関して、甚次郎は後に振り返って、
考へて見れば本當に今の農村の指導者は小作人に成り切つた心持でやつて居る者はない。農村劇など考へもつかぬ<*1>。歌や俳句ばかりが、唯一の農村の藝術と考えるのが一般の認識だ。十年先のことを明察して居られる恩師の偉大さが、故人となられて一入深く感ぜられ、愛慕の念にかられるのである。
先生の詩 故宮澤先生を偲ぶの情にたへず、二つの詩を記すことにする。
農夫の朝(草刈)<*2>
冷いのに刈れと言ふのか
眠いのに刈れと言ふのか
雲の信号
あゝいゝなせいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐる
…(投稿者略)…
〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)5p~〉先生の詩 故宮澤先生を偲ぶの情にたへず、二つの詩を記すことにする。
農夫の朝(草刈)<*2>
冷いのに刈れと言ふのか
眠いのに刈れと言ふのか
雲の信号
あゝいゝなせいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐる
…(投稿者略)…
と述べていた、ということを私は知った。
するとここで気になり出すのが、「本當に今の農村の指導者は小作人に成り切つた心持でやつて居る者はない」、だ。具体的に言えば、甚次郎に「訓へ」た賢治自身がはたして「小作人」になろうとしたか否かを甚次郎は気にかけなかったのだろうか、ということが私は気になるのである。というのは、賢治は小作人にならなかったことは勿論だが、「羅須地人協会時代」の賢治を私が実証的に検証してきた結果からは、賢治は「小作人に成り切つた心持」にさえもならなかったのではなかろうか、と言わざるを得ないからである。
それから、相変わらず私にはすっきりとしないことがある。それは、賢治は松田甚次郎に対してのみならず、八重樫賢師にも小作人になることを勧めたと言えそうだが、少なくとも賢治自身が小作人になろうとしてということを裏付ける資料も証言も共に私は見つけられないことが、である。
とまれ、甚次郎は昭和2年3月、盛岡高等農林学校別科を卒業し、山形の故郷稲舟村鳥越村に帰った。その時のことを甚次郎は、
村へ歸る 靑い北上川、雄々しい岩手山に別れを告げ、歸農の決意を固めて、我が故鄕、鳥越に歸つた。…(投稿者略)…音もなく動搖もなく橇路をすうーすうーと滑つて行く馬橇。ぢつとこれを見つめ乍ら、こうした人生の軌道を! と祈り、希ひ、心に誓いつゝ村の人なつたのだ。
〈同9p〉と綴っている。このさり気ない短い文章を読んでいると、この時の甚次郎の澄み切った心境と固い決意がひしひしと伝わってくるのは、その後の彼が賢治の「訓へ」を素直に、愚直に実践したことを私は知ってしまったからであろうか。
<*1:註> なお、この当時は賢治のみならず、犬田卯等も『家の光』などを通じて『農村劇(農民劇)』の必要性や重要性をしきりに喧伝している。
<*2:註> この詩「農夫の朝(草刈)」に関しては、
〝4130 限りなく賢治が詠んだものであろう詩「草刈」〟
や、
〝賢治の「間接的に伝えられた詩」〟
をご覧いただきたい。
そしてこれは、賢治が甚次郎に贈った『春と修羅』が石川博久氏によって発見されたことと直結していることであり、しかもこのような『春と修羅』が見つかったといういうことを、「賢治学界」は今のところはまだ公には認識していないので、なおさらにご覧あれ。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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