みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

岩手国民高等学校開設

2015-04-02 09:00:00 | 大正15年の賢治
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 ところで、岩手県には大正15年に最初にして最後の唯一の国民高等学校が開設され訳だが、それは他でもない同年1月~3月の期間、花巻農学校に開設された岩手国民高等学校であるという。したがって大正15年の始め頃は、賢治はその国民高等学校の講師も兼ねていたから本来の農学校の仕事ももちろんあったから何くれと多忙であったであろう。

国民高等学校開校の新聞報道
 大正15年1月16日付『岩手日報』には次のような記事が載っている。
 本縣國民 高等學校開校式 花巻農學校に擧行
縣教育會縣農會等聯合主催に係る本縣國民高等學校開校式は既報の如く十五日午前十一時より縣立花巻農學校に於て擧行された来賓は瀬川貴族院議員金子縣會議員菊池稗貫郡長久保川女師校長高日花巻高女校長中野花巻農学校梅津花巻川口町長瀬川花巻町長其他郡内町村長有志等二十餘名高野社會教育主事擧式の辭を述べ君が代二唱の後校長坂本内務部長の教育勅語捧讀あり關學務課長より「最近成人教育の必要が叫ばれ又教育の都市集中が行はれ農村の荒廢を來してゐる爲地方中心人物を養成する必要がある」と開校の趣旨を述べ坂本校長は三十二名<*1>の生徒に對し「國民高等學校は本縣に於ける最初の試みで御當地の有志の援助と生徒諸子の熱烈な御希望とに依り滿足すべき狀態の下に開校するに至つたのは感謝に堪えぬ都會の商工業に於ては相當の利潤を得てあるが農村の疲弊困憊は極めて憂ふべき状態にある其の開發と農村藝術の發達を圖り地方文化向上のために粉骨碎身奮闘を希望する」と訓辭をなし次いで來賓金子縣會議員菊池郡長久保川女師校長の祝辭あり生徒總代の答辭の後高野主事より閉式の挨拶あり同一時閉式した
どうやらこの新聞報道によれば、式典は午前11時~午後の1時迄行われたようだから、当日行われていたというところの下根子桜の別宅の改修に賢治が付き合うことは無理があり、どちらも大正15年1月15日に行われたということにはちょっと不安は残るものの、それはそれ程本質的なことでないから深入りはせずに、ここではこの式典に於ける關学務課長及び坂本校長のそれぞれの発言内容
關學務課長:「最近成人教育の必要が叫ばれ又教育の都市集中が行はれ農村の荒廢を來してゐる爲地方中心人物を養成する必要がある」……①
坂本校長:「都會の商工業に於ては相當の利潤を得てあるが農村の疲弊困憊は極めて憂ふべき状態にある其の開發と農村藝術の發達を圖り地方文化向上のために粉骨碎身奮闘を希望する」……②
に注目してておきたい。なぜならば、このような趣旨のことは当時あちこちで唱えられていたような気がするからだ。

国民高等学校開設の目的
 先の〝①〟や〝②〟から国民高等学校開設の目的については大体推測できるが、菊池忠二氏は、賢治の同僚で同じく国民高等学校の講師でもあった阿部繁の
 一体国民高等学校は疲弊した県下の農村を如何にして更正するかを論議した結果、丁抹の国民高等学校を例にして開設したので…
という発言を紹介し、この当時の時代背景について、
 産業開発による増産計画の実施によって、経済不況や農村の窮乏か問題を解決しようとする、県当局の施策があった反面、大正末年には県民の自覚を促すために、成人の社会教育の拡充や、農村青年の人材育成の必要性が叫ばれ、その風潮が次第に高まってきていた。
と自身の著書『私の賢治散歩 上巻』の中で説明している。そして、菊池氏自身は
 (開設の)目的は、疲弊した農村を厚生するために、まず農村青年の社会教育を充実し、あわせてその精神的奮起をうながそうとするものであった。
と結論づけている。
 したがって、これらのことから
 国民高等学校開設の目的」は、当時、都会に比して農村は疲弊の極みにありこれは憂うべき状態だから、農村青年の社会教育を通じて農村芸術・地方文化の向上を図り、農村を厚生するためであった。
といえそうだ。

国民高等学校の中身
 次に国民高等学校の中身についてだが、伊藤清一は、「岩手国民高等学校と宮澤賢治」という論考<*2>において国民高等学校開設の中身等について、
 岩手国民高等学校は大正15年1月10日~同年3月27日まで、花巻農学校に開設された。
 生徒の資格は高等小学校以上の能力を有し、満18歳以上で将来地方自治に努力すべき抱負ある者など。生徒は全て寄宿舎に入舎して自治的共同生活をした。寄宿舎費、食費、日用品、学用品等は自己負担。このとき参加した生徒は県下から35名で優秀な者ばかりだった。
 この学校はデンマークの国民高等学校に見習って、農村青年の訓練計画を立案、社会教育の一環として試みられたとのことで、時局柄県は大した力の入れようだった。
 校長は坂本県内部長、生徒の指導は県社会教育主事高野一司(かつじ)が当たった。高野主事は筧克彦や日本国民高等学校長加藤完治から薫陶を受けた直系で、宮澤賢治とは特に親しかったようだ。
 日課は
  起床(6時)
  点呼・洗面・掃除
  国民体操
  やまとばたらき
  心の力
  朝食(7時)
  講義(9時~12時)
  昼食
  講義と研究(13時~16時)
  夕食(18時)
  課外講演意見発表、音楽会、夜の集いなど(夕食後随時)
  消灯(21時)
 日課の皇国運動(やまとばたらき)は、後に六原道場などに持ち込まれた。目的は皇国精神を発揚することにあり、県当局にとっては国策に沿った主要な訓練であったろう。
 この学校の開設時期は真冬であり、手足が冷たくて困ったことを覚えているが、宮澤賢治は寒い中厳しい行事を率先して生徒と共に実行した。。
             <『校本 宮沢賢治全集 第十二巻(上)の月報』(筑摩書房)』より>
と述べているという。

<*1:註> この他に2名の聴講生もあり、その中の一人に八重樫賢師がいたことをAN氏から教わった。
<*2:註> 実際に『校本 宮沢賢治全集 第十二巻(上)の月報』を見てみると、 
 岩手国民高等学校は大正15年1月10日~同年3月27日まで、花巻農学校に開設された。
 生徒の資格は高等小学校以上の能力を有し、満18歳以上で将来地方自治に努力すべき抱負ある者など。生徒は全て寄宿舎に入舎して自治的共同生活をした。寄宿舎費、食費、日用品、学用品等は自己負担。このとき参加した生徒は県下から35名で優秀な者ばかりだった。
 この学校はデンマークの国民高等学校に見習って、農村青年の訓練計画を立案、社会教育の一環として試みられたとのことで、時局柄県は大した力の入れようだった。
 校長は坂本県内部長、生徒の指導は県社会教育主事高野一司(かつじ)が当たった。高野主事は筧克彦や日本国民高等学校長加藤完治から薫陶を受けた直系で、宮澤賢治とは特に親しかったようであります。
 岩手国民高等学校の講師
 担当科目
  農村経営法   社会課長  福士 進
    …(投稿略)…
  近世文明史   花巻高等女学校教諭  八木 栄三    
    …(投稿略)…
  生理衛生  花巻農学校教諭  阿部 繁
  文学概論  花巻高等女学校長  高日 義海
  農民芸術  花巻農学校教諭  宮沢賢治
  農民美術  花巻高等女学校教諭  中井弥五郎
  音楽概論  同右         藤原嘉藤治
 課外講演  
    …(投稿略)…
  緯度観測  水沢緯度観測所長理学博士  木村 栄
  花卉    花巻農学校長  中野新佐久
  植物病理  花巻農学校教諭  堀籠文之進 
  理想論   花巻農学校教諭  白藤慈秀 
    …(投稿略)…
 日課
  起床(午前六、〇〇)
  点呼、洗面、掃除
  国民体操
    …(投稿略)…
  やまとばたらき
    …(投稿略)…
  心の力
    …(投稿略)…
  朝食(七、〇〇)
   (炊事当番二名ずつ服務)
  講義(九、〇〇-一二、〇〇)
  昼食
  講義と研究、見学等(午後九、〇〇-四、〇〇)
  夕食(午後、六、〇〇)
  課外講演意見発表、音楽会、夜の集いなど(夕食後随時行われました)
  消灯(午後九、〇〇)
    …(投稿略)…
 この日課による期間中に模擬村議会を開会して我が村の在り方を考えたり、産業組合(現在の農業組合)の組織、運営について討論会をしたり、実際に模範組合(徳田産業組合)も見学、又、見聞を広めるため県庁、町村議会、測候所、裁判所の公判、刑務所などの見学も行いました。
 ところで毎日の日課の中の皇国運動は、後に六原道場などに持ち込まれましたが、目的は皇国精神を発揚することにあり、県当局にとっては国策に沿った主要な訓練でしたろう。
    …(投稿略)…
 国民高等学校の開設中は真冬でありますので毎日寒い日が続いて、手や足が冷たくて困ったことを覚えています。その時につくづく感心されたのは、それらの寒いはげしい行事を宮沢先生は率先して、私達生徒とともに、実行されましたことです。
    …(投稿略)…
 先生は、おとまりの夜、よく独特の音譜で、オルガンやセロをひかれ、又竹針で蓄音機でレコオドをかけられ解説して下さいました。
    …(投稿略)…
              <『校本 宮沢賢治全集 第十二巻(上)の月報』(筑摩書房)』より>

 続きへ
前へ 

 “『大正15年の宮澤賢治』の目次”に移る。

 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。
                       【『宮澤賢治と高瀬露』出版のご案内】

 その概要を知りたい方ははここをクリックして下さい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北上市相去のとある丘(3/31) | トップ | 花巻周辺の野面等の片栗開花... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大正15年の賢治」カテゴリの最新記事