みちのくの山野草

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佐藤好文の〝県外追放〟と賢治

2019-01-31 08:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 それでは、今回は「社会運動の再建、〝合法政党〟たる岩手無産党を結成す」という項に移る。名須川はこう述べていた。
 昭和三年は、大弾圧の受難の年であった。国内は社会運動の弾圧が、三・一五事件から労農党等三団体解散命令の四・一〇事件へ、そして岩手県では秋一〇月の陸軍大演習と天皇行幸にかかわる社会運動の取締り弾圧と続いたのであった。
 …(投稿者略)…労農党や啄木会で活動していた一人、佐藤好文も昭和三年秋の陸軍大演習の取締りには〝要視察人〟の危険人物とみられて、盛岡警察署から旅費を支給され、〝県外追放〟を受けて、関西方面に旅行し姿をくらまさねばならなかった、と語っていた(一九七七年八月三十日聴取、於盛岡市立図書館)。そのような弾圧の例もあり、あらゆる硬軟とりまぜた追放・弾圧であったといえよう。
            〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)494p〉
 たしかにそうだ、昭和3年は大弾圧が連続して起こっていたのだ。しかも岩手では、岩手県で初めて行われる「陸軍特別大演習」を前にして特高が設置され、凄まじい「アカ狩り」の嵐が吹き荒れたからだ。だからこの前半は驚かなかったが、びっくりしたのは後半だ。それはもちろん佐藤好文に関する記述にであり、このようなことがあったということを私は今まで全く知らなかったからだ。さりながら、「旅費を支給され、〝県外追放〟」はという懐柔策はありだ、と納得した。それはもう既に、八重樫賢師も小館長右エ門もそのような特高等からの策に嵌められたのであろうことは私も覚っていたからだ。同様に、そのような策に佐藤好文も嵌められたのだった、ということになろう。

 そして、この当時、宮澤賢治は農繁期の故里を離れて約3週間も上京していたわけだが、もしかするとこの時の上京もこの類だったのかもしれないという不安が私を襲ってくる。言い換えれば、この時の上京は佐藤竜一氏も主張する「逃避行」であったということが、いよいよ現実味を帯びてきたとも言える。あるいは、もっと切羽詰まっていたのかもしれない。

 そもそも、二人の間をつなぐ、それ以前の事柄はまず見つからないのに、どのような接点があって賢治と伊藤七雄は親交が深まっていったのだろうか。そう考えた場合に、思い浮かぶのは唯一労農党つながりだ。それはまず、大正15年10月31日に午後六時半から「花巻朝日座」で行われた「労働農民党稗和支部発会式」において、中央宣伝部長浅沼稲次郎が「労働農民党の使命」という演題の演説を行ったということだ。そして次に、伊藤七雄は浅沼稲次郎とも親交があったという事実だ(『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜編』(筑摩書房)373pの集合写真より明らか)。しかも、『宮澤賢治イーハトヴ学事典』によれば、
 大正15年11月末日と翌12月1日、労農党員の伊藤七雄(岩手県水沢町出身)が中央の労農党宣伝部長の浅沼稲次郎と一緒に盛岡市や花巻町に来訪したことがある。普通選挙に備え、労農党支部を増やすのが目的だった。
           <『宮澤賢治イーハトヴ学事典』(天沢退二郎・金子務・鈴木貞美編、弘文堂)113p>
ということだから、この時に賢治と七雄は出会ったということが考えられる。

 いずれ、七雄と賢治は実際に親しかったのだから、賢治と労農党員七雄との間における労農党関連の資料等を処分したり、口裏を合わせるためにわざわざ農繁期にも拘わらず遠く伊豆大島まで訪ねて行った(切羽詰まっていたのかもしれない、というのはこれらのことだ)ということも否定できなくなってきた。
 そしてそのことは、七雄の妹ちゑが10月29日付藤原嘉藤治宛書簡<*1>で、
 又、御願ひで御座います この御本の後に御附けになりました年表の昭和三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいましやうに出て居りますが…(投稿者略)…誠におそれ入りますけれど あの御本を今後若し再版なさいますやうな場合は 何とか伊藤七雄をお訪ね下さいました事に御書き代へ頂きたく ふしてお願ひ申し上げます
と書き記していて、賢治の伊豆大島の訪問の目的は(ちゑと会うためではなく)兄の七雄と会うためにだったと強く主張していたことからも、逆に示唆される。

<*1> 未だあまり広く世に知られてはいないのだが、「ある年」の10月29日付藤原嘉藤治宛ちゑ書簡の中に、
 又、御願ひで御座居ます この御本の後に御附けになりました年表の昭和三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいましたやうに出て居りますが宮澤さんはあのやうにいんぎんで嘘の無い方であられましたから 私共兄妹が秋花巻の御宅にお訪ねした時の御約束を御上京のみぎりお果たし遊ばしたと見るのが妥当で 従って誠におそれ入りますけれど あの御本を今後若し再版なさいますやうな場合は何とか伊藤七雄を御訪ね下さいました事に御書き代へ頂きたく ふしてお願ひ申し上げます
            〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)95p〉
 なお、この書簡は、平成19年4月21日第6回「水沢・賢治を語る集い「イサドの会」」 における千葉嘉彦氏の発表「伊藤ちゑの手紙について―藤原嘉藤治の書簡より」の資料として公にされたものでもある。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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