みちのくの山野草

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座談(安易に公表してしまったことの罪?)

2019-01-29 12:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 安易に公表してしまったことの罪?
鈴木 それにしても、「私的事情を慮って公表を憚られていた」という釈明はあるものの、私が言うのも憚られるけども、それこそ逆に露のことなど全く慮っていない、あまりにも露をないがしろにした公表だった。
吉田 そうだよ。それまでは森だって、儀府だってその女性の名前を明示にせずに「彼女」「女の人」などという表現とか仮名(かめい)「内村康江」とかを用いているから、少なくとも露に対して慮っていなかったわけではない。なおかつ、『宮澤賢治と三人の女性』や『宮沢賢治 その愛と性』はそれほど部数が出回ったわけでもなかろう。ところがこれが、他でもない『校本全集第十四巻』上でその女性の名は露であると検証不十分なままで「初めて活字化され」て公表されてしまった。まさしく『同第十四巻』は全国的に<悪女伝説>を流布させた最大の功労者だ。
荒木 皮肉?
吉田 そのようなつもりはないが、同巻が行ったあのような公表によってかの伝説は全国に流布してしまった。しかもその女性が露であるとは全く言えそうもないのにもかかわらずだ。
 その実態を知ればなおさら、「相手の女性のイメージをも、これまでの風評伝説の類から救い出し云々」とはよく言えたものだ。そして最後に取って付けたように、「高瀬はのち幸福な結婚をした」と述べているがのあまりにも白々しい。
 また、「これらの書簡は、賢治の苦渋と誠実さをつよく印象づける」とあるが、賢治に「苦渋」があることは手に取るようにわかるが、どこに「誠実さをつよく印象づける」部分があるというのか僕には全く見つけ出すことができない。それどころか、そこからは「誠実さ」の対極にある「不実さ」や「責任転嫁」の方を強く印象づけられる。
荒木 それにしても、筑摩は「判然」としていないものをなぜ安易に決めつけて本名を公表し、その結果、謂われ無き<悪女伝説>を全国に拡げてしまう片棒を担いでしまったのか。全く罪なことをしてしまったものだ。もしこの公表が露の帰天前だったならば、露はどのように思ったんだべ?
鈴木 そうそう、それを教えてくれそうな格好の書簡がある。
荒木 えっ、そうなんだ。じゃあそれを見せてくれよ。
鈴木 これがその伊藤ちゑの「藤原嘉藤治宛書簡」<*1>だ。何年のものかは判らないが、嘉藤治が在京して『宮澤賢治全集』(十字屋書店版)の編集委員をしていた頃のある年のものであろう10月29日付の書簡のコピーだ。この中に、
 宮澤さんが私にお宛て下すつたと御想像を遊ばしていらつしやる御手紙も先日私の名を出さぬからとの御話しで御座居ましたから御承諾申し上げたやうなものゝ 実は私自身拝見致しませんので とてもビクビク致して居ります 一応読ませて頂く訳には参りませんでせうか なるべくなら くどいやうで本当に申訳け御座居ませんけれど 御生前ポストにお入れ遊ばしませんでしたもの故 このまゝあのお方の死と一緒に葬つて頂きたいと存じます
というちゑの切実な懇願がある。
吉田 まさに露の〝一連の「書簡下書」〟の場合と全く同じ構図じゃないか。しかし、このような書簡はあまり世に知られていないはずだが。
鈴木 それはそのとおりで、以前、伊藤ちゑの生家の現当主から頂いたこれはコピーだ。
荒木 確かに同じ構図だな。嘉藤治らが全集に「伊藤ちゑ宛と思われる書簡下書」を載せるということのようだからな。
吉田 それでそのことに対してちゑがどうしたかというと、
・「伊藤ちゑ宛と思われる書簡下書」の中身を自分は知らないのでビクビクしている。せめてそれを見せてもらえないか。
・確かに、ちゑという名前を出さないという約束だったから一応了承してみたものの、なるべくならばそれは止めてほしい。くどいのですがそれは賢治さんが実際には投函しなかったものだからです。どうかその反古はそのまま葬り去ってください。
と懇願したというわけだ。
荒木 う~む。共に自分に宛てられたと言われている手紙の反古、ちゑも露も当時の女性、そのどちらも相手の男性は賢治。ということは二人は同じような状況下に置かれていたわけだ。
 すると、筑摩の担当者から露に対して、
「露さん宛と思われる書簡下書」を今度『校本全集』に載せたいのですが…
という打診が露の帰天前に露に対してなされていたならば、露はちゑと同じような心境におかれて同じような懇願を、いやそれ以上で、拒絶したということさえも十分考えられる。
吉田 なるほどな、露が事前にそのような打診をされた場合にどう対応するであろうか、ということをこの「伊藤ちゑの書簡」が示唆しているということか。そして、ちょっと想像力を働かせれば、露やちゑと同じような状況下におかれた女性はこの時のちゑのように対応する可能性があるだろうということは容易に想像できることだ。だから、もしかするとそのことを恐れた筑摩は、露が帰天する前にこれらの公表をすることを避けたという可能性すら逆に浮かび上がってくるぞ。
荒木 そっか、そうすると中には、
 その〝一連の「書簡下書」〟が「内容的に高瀬あてであることが判然として」いなかったからこそ、そうした。
などと皮肉る人もあるベな。
吉田 そうよ。この「新発見書簡下書」公表のタイミングが不自然だと感じた人の中には、『慮ったのは露に対してではなくて、自分たちに対してだ。このよう公表の仕方はまさに「死人に口なし」を悪用したものである』などと皮肉る人だっていないわけではなかろう。
荒木 おっ、吉田もとうとう喋ったな。しかもそれって、お前の本音だべ。
吉田 いやあ、まさか。客観的に見てその一つの可能性を言っただけだ。
鈴木 何はともあれ、我々はこれだけの問題提起ができた。だから例えば、ちゑのこの嘉藤治宛書簡の存在を知った人たちがその意味するところを読み取り、〝一連の「書簡下書」〟の公表の仕方には大いに問題があったという我々の主張を支持してくれることなどを願いつつ、そろそろ次に移ろう。

<*1:註> この書簡は、平成19年4月21日第6回「水沢・賢治を語る集い「イサドの会」」 における千葉嘉彦氏の発表「伊藤ちゑの手紙について―藤原嘉藤治の書簡より」の資料として公にされたものでもあり、それは以下のようなものだ。
 「10月29日付藤原嘉藤治宛伊藤ちゑ書簡(抄)」
秋晴れの良いお日和が続きます。先日は失礼申し上げました その後御家族ご一同様には御変わりも御座居ませんか 謹んで御伺ひ申し上げます
宮澤さんの御本、色々とありがたう存じました 厚く厚く御礼申し上げます
又、御願ひで御座居ます この御本の後に御附けになりました年表の昭和三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいましたやうに出て居りますが宮澤さんはあのやうに いんぎんで嘘の無い方であられましたから 私共兄妹が秋 花巻の御宅にお訪ねした時の御約束を御上京のみぎりお果たし遊ばしたと見るのが妥当で 従つて誠におそれ入りますけれど あの御本を今後若し再版なさいますやうな場合は何とか伊藤七雄を御訪ね下さいました事に御書き代へ頂きたく ふしてお願ひ申し上げます。尤も大島に兄を御訪ね下さいました事などは年表に御入れなる程の必要も無い小さい事故どうでもよろしゆう存じますが 昨日落手いたしました奉天に居ります兄の知人の便りに宮澤賢治氏の御本にあなたが出て来るが色々と妻と話し合つている云々とあり ギクツとしてしまひました 多分あの年表を御覧になつたのかと存じます 宮澤さんが私にお宛て下すつたと御想像を遊ばしていらつしやる御手紙も先日私の名を出さぬからとの御話しで御座居ましたから御承諾申し上げたやうなものゝ 実は私自身拝見致しませんので とてもビクビク致して居ります 一応読ませて頂く訳には参りませんでせうか なるべくなら くどいやうで本当に申訳け御座居ませんけれど 御生前ポストにお入れ遊ばしませんでしたもの故 このまゝあのお方の死と一緒に葬つて頂きたいと存じます能 御承知の通り草野心平氏も御書き遊ばして居られましたけれど □□の詩の中の雲の種ゝ相のスケッチすらも 完全に□□とらへ歌ひすてゝ 再びは決してお取り上げならなかつたらしく それにあの方は御心の祈り傾くまゝに吾々凡人の思ひもよらぬ大きな願望を持つて居られて その世界に眞向ひ火華を散らしての激しいひたむきな御精進の道以外にお有りならなかつたらしゆう御見受けいたします 仮に厚かましく私に御書き下さつた御手紙と思つて見ましても あの方の御残しなつた□□の心象詩の一行にも当らぬ程の途上の一瞬の関心を 御永眠後世に発表遊ばしたら きつとあの優しいお目を きらりとおさせになつて 止めてくれやめてくれと仰言ると存じられます 私宛のものでしたら私だけ読ませて頂いて終ひにさせて下さいませ こんな事を申し上げるのもお恥ずかしいのですけれど 私事は仰臥天井を眺めて病床に五年も居りますのに まだ尚も凡悩迷低その上□□の代者で御座居ますので 立派なあの方の御本のどの頁にも 私如き者の名を入れて汚したくは御座居ません能 考へれば考へます程とてもつらくなつてしまひます どうぞどうそお判り下さいませ あのお方が御生前ふれ合ふ凡ての人々に対して惜しみなくあたへられた あの親しい眞実な微笑と底なしの友情は 遠くの方から少し私も分けて頂き 残る半生をつつましく迎へたいと存じ居ります。…(筆者略)…御多忙の中を誠におそれ入りますけれど 花巻の御宅へどうぞよろしくおとりなし下さいませ どんな御手紙を御残し下さいましたか 謹んで拝見させて頂きます …(筆者略)…少し遅れましたが 見事な果物本当に本当にありがたう御座居ました 美味しくみんなで頂きました だんだんお寒くなります折から どうぞみな様御風邪など御召し遊ばしませぬやう 末筆で大変おそれ入りますが 奥様にくれぐれもよろしくお伝へ下さいませ                         あらかしこ
  十月二十九日                      ちゑ
    藤 原 嘉 藤 治 様

  彼岸花見つゝ史跡をめぐりたる大和の秋の旅をし想ふ
  大和路の秋をめぐらん日の有りや病みこもる身の儚きあくがれ
                       お笑ひ草までに

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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