みちのくの山野草

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五 イーハトーヴの人たちが求めるもの(たたかわずに)

2018-12-20 10:00:00 | 賢治渉猟
《『宮澤賢治』(國分一太郎著、福村書店)》

 さて、前の「四 ブドリのおこない、賢治のねがい」を、
 それでは、このような考えかたは、はたして、正しいものでしょうか?
 それについては、つぎのところで、よく考えてもらいたいとおもいます。
            〈『宮澤賢治』(國分一太郎著、福村書店)64p〉
と國分は締め括っていたから、今度はその「つぎのところ」である「五 イーハトーヴの人たちが求めるもの」に入りたい。
 そこでは國分は次のように、
 よく考えてみてください。米や麦のような作物を少しでもよけいにとって、それを売ってお金をとる以外には、お金を手に入れることのできない農家では、なんとかして一粒でもよけいなとりいれをしたいのです。…(投稿者略)…それには、だれでも、よい肥料をなるべくたくさん入れたいものだと思います。…(投稿者略)…
 昭和七年に、岩手県の農家で使った肥料は、自分の家でつくったこやし(堆肥その他)が七〇%、お金を出して買ったこやしが三〇%となっています。一軒の農家で一年間に買った肥料代が、平均二十一円十九銭です。ところで、同じ年に、岩手県の百姓のうち、小作人の一家が一年間につかった食物の代金は、平均二十二円なのです。肥料代と食物代がほぼ同じくらい。これをみても、どんなんこやしを買うことを大切にしていたかがわかるでしょう。
と説明していた<*1>。こうして具体的な数値を挙げて説明されると説得力がある。だから、やはり小作や自小作農などの貧しい農民たちにとっては、金肥(お金を出して買ったこやし)はそう簡単には買えなかったのだということが改めてすんなりと納得できる。
 そして國分は、これも岩手県の例だと前置きして、
 あんなに苦労して肥料を買って、いざそれを田畑に入れて作物をつくっても、農家の一年間の現金収入は一戸あたり三百五十二円、これに対して、現金支出は四百二十八円で、さしひき七十二円の損は、どこからか借金をしなければならないありさまだったのです。だから、農村問題は肥料の問題ではなくて……
           〈共に同69p~〉
という持論<*1>も展開していて、それは尤もなことだと私も思う。作物を作れば作るほど赤字が増えてゆくわけだからだ。ならば、その負のスパイラルを解消することこそがまず何よりも重要なのだということにもちろん私でも気付かされる。だから当然、國分も問題は奈辺にあるのかを以下に述べていくのだった。
 それは端的に言えば、國分は、「土地を働く農民のものにすることこそ、まっさきに考えなければならないこと」だったのだが、賢治はそれができなかったと指摘する。さらに、
 賢治が、ほんとうに、人間をだいじにする考えかたのもちぬしであったら、こういう人間の自由をしばりつけているようなことがらとは、もっと、ほんきになってたたかわなければならなかったのではないかとの批評もできるのです。ところが賢治は、ひとりひとりの、「人間の自由」を主張することよりも、「じぶんをころす」ことを説教する佛教の信者になってしまい
           〈同75p〉
というように、「ほんきになってたたかわなければならなかったのでは」、とやんわりと批判し、賢治の対応の仕方を悔やんでいるのだった。
 そこで私は、たしかに國分の指摘するとおりであったでろうとは思いつつも、賢治が「ほんきになってたたかわずに」仏教の信者になったという解釈には多少違和感を抱く。それは例えば、法華経信者(日蓮主義者)で社会主義者の妹尾義郎について理崎啓氏は、
 日蓮主義者の妹尾義郎は左翼である。…(投稿者略)…悲惨な農民の生活を知って「新興仏教青年同盟」を結成して左翼運動、労働運動に没入していったのである。
            〈『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)58p〉
と述べているからである。妹尾義郎は仏教の信者(日蓮主義者)だったが、農民や労働者のために闘い抜いたというのである。ということは言い換えれば、賢治が「ほんきになってたたかわずに」の理由は宗教によってだけだったのではなくて、賢治の育ちが良いが故の脆弱性等も案外影響していたのではなかろうか、とも私には思えてしまうのである(そうなると、有島武郎の農地解放に対する私のいままでの解釈に矛盾が生じてしまいそうだなと悩みつつも)。

<*1:註> このように定量的な考察もするという國分の姿勢は、他の多くの賢治研究者と際だって異なっているように見えるのだが、本来はこうあるべきだと私は思っている。それは、多くの賢治研究家は、定性的な考察に留まっているから可能性を論じてはいてもそこに留まっていて、その蓋然性の高さを追究しようという姿勢が窺えないからである。極論すれば、可能性であったならば何とでも言える。おのずから、中身の薄いものとなってしまう。だから、中身を濃いものにするためには、蓋然性の高さを追究することが不可欠なはずだ。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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