みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「写しの詩句を躊躇なく、字配りもそのまま揮毫」

2020-01-03 14:00:00 | 虫の眼だけでなく鳥の眼にも
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉

荒木 ところで、どうしてYさんはこうも、
と一方的に決めつけるんだべ。
吉田 そうなんだよ。Y氏はこの本でこうも言ってるからな。
 賢治が昭和八年九月に亡くなり、それで開かれた新宿のモナミ会合が昭和九(一九三四)年二月一六日。そのあとになって、光太郎の墨書、碑を作るための下書きを書いたのが昭和十一年八月から十一月の間だろうといわれています。…(投稿者略)…
 だから、その手帳に「ヒドリ」と書いてあるのは見たはずですよ。ところが、なぜ光太郎は見たときから二年足らずの間に墨書を頼まれたときに「ヒデリ」にしてしまったのかということですね。
             〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)26p~〉
荒木 そうか、ここでもまた「なぜ光太郎は見たときから二年足らずの間に墨書を頼まれたときに「ヒデリ」にしてしまったのかということですね」とYさんは決めつけているのか。参ったな。
鈴木 しかもここで気をつけねばならぬのは、「その手帳に「ヒドリ」と書いてあるのは見たはずですよ」という推定をY氏は前提条件としていることにだ。
吉田 だから、これは「研究」というよりは「評論」だと言われてもしようがないかろう。
荒木 どうゆうことだ。
吉田 極論すれば、これは彼の単なる「個人的見解」にすぎず、いわば「評論」。とりわけ、これは光太郎の名誉に関わることなのにもかかわらず、実証的でもないし論理的でもない。おのずから、このような決めつけ方では普遍性に乏しいし、検証不能だから少なくとも「研究」とは言えんだろう。
荒木 そうだよな。これは「推定」を基にしてそう決めつけているわけだから、この「推定」が間違っていればこの論理は成り立たんからな。
鈴木 そして、この「推定」に関しては後で私は説明をするつもりだが、どうも心許ない代物だ。
荒木 もしかするとYさん自身は賢治と同じように記憶力抜群で、一度見ればそれを一言一句間違いなく覚えられる能力があるから他人もそうだと思ってるのかもしれんな。だが、それは常識的には無茶な話だべ。
吉田 そうそう、Y氏がそう「推定」するのはもちろんご自由だが、かといって光太郎がそこまでは覚えていないからといって責めるのはあまりにも酷な話だ。そんなに厳しく問いたければ、そこに同席していた他の人たちも責めるべきだが、それはしてはいない。つまり、恣意的な決めつけ方をしているということになる。
鈴木 一方で、そもそも「ヒドリ」は賢治の間違いであり、正しくは「ヒデリ」であったという蓋然性が高い。それは、先の〝決めつける前に為すべきことが〟や〝鳥の眼になれば対偶法で成り立っていることも〟で話し合ったように、「ヒドリ」は二つの条件
    標準語であり対句法
を満たさねばならぬものだからだ。
荒木 そしてまた、光太郎が墨書した際は、モナミの会合の際に見た手帳を思い出しながら墨書したわけでもなかろうに。
鈴木 まさにそうなんだ。光太郎自身は「清六さんが写し取った詩句の原稿小生はその写しの詩句をうけとりました、躊躇なく、字配りもそのまま揮毫した次第であります」と言ってるんだ。
 ちなみに以前、拙ブログ上で投稿した〝高村光太郎の名誉のために〟において、

 私(鈴木)は次のように主張した。
 Y氏が言うところの
のようには決め付けられないと思う。そう決め付けられたのでは光太郎があまりにも気の毒であり、とんだ濡れ衣だと思う。『地元の事情があまりわかっていなかった』と責められるのは光太郎ではなく、別の人であろうと思うのだが如何なものだろうか。
と。
 そして過日、この件に関して、石川朗氏より
 『高村光太郎 書の深淵』のp.110に昭和11年のナマの詩碑の写真があってさらに昭和18年の光太郎の書簡のコメントが載っている。それによると清六の原稿の間違い、光太郎の書き違いの事情が書いてある。ヒデリについては貴殿の言うとおりだ。
ということをご教示いただいた。
 早速私は同書を手に入れて当該の頁を見てみると、それは次のようなものであった。

 ちなみに、前後を文字に起こしてみると、
 詩碑は結局「雨ニモマケズ」の後半、「野原ノ……」以下の部分に決まり、光太郎に依頼した書は十一月はじめ、花巻に届いた。花巻の石工近藤清六の手で彫り上げられ、除幕されたのは十一月二十三日のことである。のびのびと明快な楷書で認められた詩文は、謹厳な内にも温かく見るものを含む。しかし揮毫された詩には若干の脱落があった。その事情を光太郎は書いている。
 令弟宮沢清六さんから詩碑揮毫の事をたのまれ、同時に清六さんが写し取った詩句の原稿をうけとりました、小生はその写しの詩句を躊躇なく、字配りもそのまま揮毫いたした次第であります、/さて後に拓本を見ると、あの詩を印刷されたものにある「松ノ」がぬけていたり、その他の相違を発見いたし、もう一度写しの原稿を見ると、その原稿には小生のバウがボウであった事をまた発見しました、/つまり清六さんが書写の際書き違った上に、小生がまた自分の平常の書きくせで、知らずにかな遣いを書き違えていた事になります、       (昭和18 川並秀雄宛)
             <『高村光太郎 書の深淵』(北川太一著、高村規写真、二玄社)111p>
となっている。
 よってもちろん、この光太郎の書簡に従えば、Y氏の
 『とにかく光太郎はヒデリと直したわけでしょう。ヒドリの言葉を削ってね。結局、光太郎がやったことですね。地元の事情があまりわかっていなかった』
という発言は全く当たらないということになり、この発言は光太郎に濡れ衣を着せていると言える。
 だからその真実は、
 光太郎がヒデリと直したわけでもなければ、
 光太郎がヒドリの言葉を削ったわけでもなく、
 「結局、光太郎がやったことですね」というのはとんでもない濡れ衣であった。
ということだ。

というように、高村光太郎の名誉のために私は反発したことがあった。
荒木 そっか、光太郎に責任があるわけではなく、光太郎が受け取った「写し取った詩句の原稿」そのものが間違っていたという可能性が頗る大だということか。
鈴木 そういうこと。光太郎自身が「清六さんが書写の際書き違った」とはっきり言っているんだ。したがって、「とにかく光太郎はヒデリと直したわけでしょう」とは言い切れないのだから、こう断定することは光太郎の名誉に傷つけかねない。しかもY氏は著名なお方なのだから、そのようなお方がこんなことを仰っると、多くの読者はそれが真実だと受け止めてしまうだろう。
荒木 だから、よくよくお調べになった上でご発言をお願いしたい、というわけだな。ということは、光太郎自身が、「清六さんが書写の際書き違った」と明言しているということをYさんは知らないのかな。光太郎を一方的に責めるのではなくて、光太郎の立場にもなって例えば『高村光太郎 書の深淵』における光太郎の証言を見てみるべきじゃなかったのかな。
吉田 そこで僕は、あの事件の場合と同じようなことをY氏はここでもなさっておられるのではないですかと詰られかねないことを、つい懸念してしまう。ひいては、このような「評論」をY氏がし続けていれば、実は光太郎のこの「明言」を知ってはいるのだが逆にここでもまた「素知らぬふり」をしているのではないですかと揶揄されかねないことを危惧してしまう。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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