みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

残念ながら秘密には迫れなかった

2020-01-08 10:00:00 | 虫の眼だけでなく鳥の眼にも
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉

荒木 そこでまず吉田に訊きたいのだが、『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』の中で、Yさんはこの論文「宮沢賢治の『ヒドリ』と高村光太郎の『ヒデリ』」に対して、どんな評価していたんだっけ?
吉田 Y氏は、同論文は、 
 なぜ高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤ったのか。あるいは、知ったうえで、承知のうえで書いたのかという秘密にまで迫ろうとしている。
              〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)19p〉
と評していて、次に、
 …(投稿者略)…なぜ原文の「ヒドリ」を見ていたにもかかわらず「ヒデリ」と書いてしまったのかという問題、その原因を和田さんは四項目挙げています。
             〈同31p〉
と前置きした上で、その四項目とはこのようなものだとY氏は紹介している。
 第一がモナミに呼んだ人の記憶力が曖昧だった、会合の状況をきちんと覚えていなかったということ。記録をとっていた人がいたと思いますが、しかし、これ記憶力の問題。
 二番目が方言が都会人に理解されていなかった。ここですよ、ここが非常に重要な問題だったと私も思う。だから、方言の「ヒドリ」(あるいは、独り)を単純に標準語で解釈してしまった可能性があるという、それを二番目に挙げているんですね。
 三番目が、不況の時代に入って、とくに東北で飢饉が発生し、農村がしだいに窮乏状態に追いつめられていた。そういうことを忖度して、それをあからさまに描くこと、つまり、「ヒドリ」を日銭を稼ぐという貧窮、飢饉のときに出稼ぎにいくという状況に注意をうながして、農村の疲弊したそのような状況をなんとなく隠すという、そういう意図が一つあったのではないかと。
 四番目が農村、農家、農業に関する東京人の基本的な理解が不足していた。その辺の時代への洞察が非常に不足したためではないか。
 それで、「ヒドリ」を「ヒデリ」(日照り)と直して対句の形にしたということですね。
             〈同31p~〉
荒木 じゃこのことに関して、一方の和田氏自身は同論文でどう論じているのだ。
吉田 これと全く同じ記述は見つからないが、おそらく同論文の次の記述に当たると思う。
 したがって、モナミで回覧された詩句にそれを見た一人ひとりの記憶と一部の人が活字にしたことがこの不幸の連続となってしまった。それらのおおかたの原因は
 ア モナミで読んだ人の記憶
 イ いわゆる方言が都会人の多く特に東京人の理解が得られないとしたこと
 ウ すでに戦争景気に入っているとき飢饉不況、農村窮乏などわざわざ宣伝する必要はないの不名誉意識の潜在したこと
 エ 農村、農家、農業などへの理解不足とその時代考証が十分なされなかったこと
 オ 「ヒドリ」「ヒデリ」を安易に対句とした軽率さによること
 カ 作者賢治の生活の変化把握不足と時間的経過への認識が不足していたこと。
 …(投稿者略)…
             〈『続・宮沢賢治のヒドリ――なぜ賢治は涙を流したのか』(和田文雄著、コールサック社)213p~〉
鈴木 これって変だと思わないか。
荒木 たしかに。
 「なぜ高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤ったのか。あるいは、知ったうえで、承知のうえで書いたのかという秘密にまで迫ろうとしている」とYさんは言ってるが、その原因だというこれらの「四項目」は光太郎だけに起因するものだとは言えないべ。
吉田 そうさ、おかしいだろう。たしかに、光太郎も一部関わってはいたかもしれないが、光太郎独りにそれがあるわけではなく「モナミで読んだ人」たちや当時の時代背景にもにあるだろう。そして実際、和田氏はそう言っているではないか。
 そしてそのおかしさは、「モナミで読んだ人の記憶」と述べていた箇所が、Y氏になると「モナミに呼んだ人の記憶力」と変わっていることが端的に象徴していそうだ。
荒木 たしかに、そう言われてみれば変わっている。まさに、前回〝用語を正しく引用していないのでは?〟で危惧したようなことがここでもまた起こっているということか。
吉田 たとえば、「四項目」と言ってるが、これだってもしかすると「ア~カ」のことなんだろう。
鈴木 ここでも出典を正しく引用しているのか私はますます不安になってきた。これじゃ、弘中綾香アナから叱られそうだな。
荒木 ちなみに、俺はさっきこの論文を一読したのだが、振り返ってみても「なぜ高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤ったのか。あるいは、知ったうえで、承知のうえで書いたのかという秘密にまで迫ろうとしている」という「秘密」の核心には気付かなかったな。
鈴木 私だって、そのようなことが書かれているばそのことは心に留めておいたはずだが、それがなかったからこそ、先に私は「この論文「宮沢賢治の『ヒドリ』と高村光太郎の『ヒデリ』」を見てみたいのだが、私は読んだことがないんだよな」と言ってしまったんだよ。
荒木 それはちょっと弁解がましいべ。
吉田 単なる老化現象だな。
鈴木 じゃじゃ、手厳しいな……。
吉田 まあ、そんなに落ち込むな。
 それよりは、この論文によって「高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤った」などということは実証できないということが僕らのここまでの考察によってほぼ明らかとなったのだから、よかったではないか。
 また、同論文はたしかに「さらに深い掘削」をしてはいるが、それらを用いて実証的に論じているわけではなく、それらの「掘削」をあれこれ関連付けて「私見」を述べているようにしか僕には見えない。
荒木 だから俺には、無理矢理こじつけているようにしか思えなかったのか。そういえば、先に吉田が
    とまれ、「さらに深い掘削」という言葉に僕らは惑わされる必要はない。
と言ったのは、このことだったんだな。
鈴木 たしかに吉田の言っていたとおりだな。
 和田氏は本当にいろんなことをよくお調べになっているので私は期待しているのだが、残念ながら、同論文によってはその秘密には迫れなかった。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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