みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

賢治は厳しく私たちに問うているはず

2020-01-09 10:00:00 | 虫の眼だけでなく鳥の眼にも
〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社)の表紙〉

吉田 そうなんだよな、和田氏は本当にあれこれとよく調べていると僕も思う。
 ならば、『続・宮沢賢治のヒドリ――なぜ賢治は涙を流したのか』(和田文雄著、コールサック社、2015年)を出版したということは、『続』とタイトルに冠していることから、先の『宮沢賢治のヒドリー本当の百姓になる』(和田文雄著、コールサック社、2008年)を受けてとなるわけだが、はたしてそうなっているのかということだ。
鈴木 そこなんだよ。私が一番気になっていたのは故入沢康夫氏から揶揄された例の「このなにやら詐術めく引用」に関してなんだが、『続・宮沢賢治のヒドリ』の中では、このことに関して言及している箇所をいくら探してみても、残念ながら私には見つけられなかった。
 つまり、和田氏が典拠であるとした森嘉兵衛の『新田開発の奨励』(『南部藩の百姓一揆の研究』)の方になくて、和田氏の方(『宮沢賢治のヒドリ』71pの南部藩の資料)にある、南部藩の指令書のタイトルとそのフリガナこれは典拠を改竄したとも言われかねないことなのだが、このことについての釈明も、反論も『続』の中には見つけからなかった。
吉田 ということは、『宮沢賢治のヒドリ』における和田氏の論拠は崩れたということを自身が認めざるを得なかったということを意味していそうだな。
鈴木 ところがその一方で和田氏はこんなことも『続』の中で言っていた、
 「ド」を「デ」としたのは「改竄」であり、文学遺産の毀損であるとしたが……「ド」を「デ」とすることは許されることではなかろう。
             〈『続・宮沢賢治のヒドリ――なぜ賢治は涙を流したのか』(和田文雄著、コールサック社)15p〉
荒木 えっ、そんなことありかよ。矛盾してっぺ。
吉田 そして今度の『続』では、「南部藩の指令書のタイトル」については素知らぬふりをし、その代わりに高村光太郎にスポットを当てて、「ヒドリ」「ヒデリ」問題の原因を光太郎に負わせようとしているかの如くに見える。
 具体的には、
 高村光太郎はこれらにも厳粛に向き合っている。…(投稿者略)…新宿「モナミ」での最初の見聞者の一人として、やがて「ヒドリ」の中で暮らしている花巻の人たち、農家、開拓入植農家が「ヒドリ」に真っ只中にいる。しかし、わが不明をどのように残し伝えるかそれは誤刻した「ヒデリ」を「ヒデリ」のままにすることでわが身一身に背負う。これを「ヒドリ」とすれば責任は回避できる。しかしそれはできない。それをしない。してはならないと厳粛な行動に出た。そして「たはけ」、田分け者は自分一人でよい。他の関係者を引き込むことを潔しとしないと判じたからであろう。高村がそのままにした「ヒデリ」はその事実を伝え、証明する物証である。また、「ヒドリ」の判りにくさを、有名になるために「ヒドリ」とし媚びを売ったと言われようと、建碑までの関係者に不名誉を背負わせることはできない。
 詮議立てを封じ、「二律背反」するなかでの中世的行為は詩人高村光太郎の面目を顕現する。
             〈同222p~〉
と発言している。
荒木 なんかわかりにくい文章だな。
鈴木 とはいえ、今わかったことがある。
荒木 何が?
鈴木 Y氏もそう言っているように、和田氏の論文「宮沢賢治の『ヒドリ』と高村光太郎の『ヒデリ』」は晦渋だ。だが、少なくとも上掲の発言からは、Y氏が『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』の中で言っている次のようなことなどは導け出せないとうことにだ。
 高村光太郎がなぜ「ヒデリ」という風に書き直したかという問題に切り込んでいるわけです。
             〈『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』(山折 哲雄・綱澤 満昭著、海風社、2019年9月15日)16p〉
 なぜ高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤ったのか。あるいは、知ったうえで、承知のうえで書いたのかという秘密にまで迫ろうとしている。
             〈同19p〉
吉田 たしかに、膨らましすぎだよ。
荒木 でも、和田氏は同論文で「高村光太郎がなぜ「ヒデリ」という風に書き直したか」ということなどに関して他に言及していなかったかな。
吉田 多少ないわけではない。例えば、
 高村光太郎は後に原文「雨ニモマケズ」手帳との不一致を揮毫者としても責任を感じたであろう。
             〈『続・宮沢賢治のヒドリ――なぜ賢治は涙を流したのか』(和田文雄著、コールサック社)212p〉
とか、光太郎の『典型』の序を持ち出しての、
 詩にかかわるすべての人たちに、恥をしのんで「雨ニモマケズ」詩碑の撰文、揮毫そして訂正、追刻の責を負うとしている、と理解したい。
             〈同216p〉
 あるいは、
 高村が、死の床に臥し、遺書と前後してつくられた「雨ニモマケズ」の詩語を誤り、過ちを犯したとの自責、それ以上の恥辱を感じたであろうことは言うまでもない。また宮沢賢治への冒瀆とし、自ら厳粛をたもち続けた。
             〈同222p〉
がある。そして、これらの他にはこのようなものは同論文の中にはほぼない。
鈴木 しかも、これらは「事実」を述べているというわけではなく、和田氏の推定や決めつけあるいは思い込みだ、と言われてもやむを得ないものばかりだろう。
吉田 そういうこと。だから、さっきの「高村光太郎がなぜ「ヒデリ」という風に書き直したかという問題に切り込んでいる」とか「なぜ高村光太郎が「ヒドリ」を「ヒデリ」と書き誤ったのか。あるいは、知ったうえで、承知のうえで書いたのかという秘密にまで迫ろうとしている」という評価には無理がある。
鈴木 そしてこの光景はかつて何度か見てきた気がする。
荒木 じゃじゃじゃ、恐ろしいことがしれっとして行われているんだ。ということであれば、もうこのシリーズはそろそろ終わりにしようよ。これ以上追求してもそこは不毛の地のようだから。
鈴木 うん、私もこの件に関しては、
 「ヒドリ」と「ヒデリ」問題については、標準語と対句法という二つの条件を満たすものであるということを踏まえて論じなければならないのではないですか。つまり、その条件を満たすものでなければ、あるいはクリアできなければ次の段階には進めませんよ。ついては、虫の眼になってばかりいないで、鳥の眼になって全体を俯瞰せねばならないのではないですか。
と訴えて終わりにしたい。
吉田 それがよさそうだな。そして、今になって気付いたことがある。
 それは、あの「いや、何か出てきそうな感じがするな、何かのときに。これは難しい問題であると同時に、きつい、つらい問題ですね」という一言に関してだ。彼は、もしかすると気付いているのかもしれんぞ、と。
鈴木 実は、私ももしかするとそうかもしれない思っていた。思い当たる節がないわけではないからだ。
 だからここは焦らずに、歴史の法廷に委ねてもいいと思っている。
荒木 何のことか、俺にはよくわからんが……
吉田 賢治は私たちに厳しく問うているはずだ、ということだ。
荒木 そんな風に言われても俺はますますはわからなくなってきたが、いずれ、俺たちがここまでの話し合ったきた事柄を彼等に気付いてもらえれば、賢治研究の発展に少しは繋がるかもしれんな。
吉田 畢竟するに、そういうことだ。
鈴木 そうそう、そう期待しよう。
吉田 それにしても、なぜY氏は『ぼくはヒドリと書いた。宮沢賢治』の中で、光太郎独りに責任のすべてを負わせようとしているのだろうか。
 しかも、ご自身がご苦労をなさって一次資料を探し廻ってその上で、裏付けを取ったり、実証したししたわけでもなく、他人の説に乗っかってそれを膨らましているとも言われかねないことを滔々と、だ。
荒木 最後に俺にも一言言わせてくれ。
 それは、和田氏には光太郎に対しての敬意があるということはひしひしと伝わってきたのだが、少なくとも同書からは、光太郎に対するY氏の敬意は微塵も感じられなかった、残念で、あまりにも寂しすぎる……。
ということをだ。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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