みちのくの山野草

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「高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か」

2019-12-27 16:00:00 | 「羅須地人協会時代」の真実
〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉
【米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より】

 米田は、このようなことも論じていた。
 高瀬露、賢治の知り合った女性のうち最も大切な人とわたしには思われるこの人にあてた(と見られる)手紙の下書が幾つか残されている。何故大切かといえば、「賢治をめぐる四人の女性」などといわれるが、初恋の看護婦はその名前さえ特定できず、いわば跡かたもなく、伊藤チヱ自身があの人は「結婚などの問題は眼中に無い方」と言った通りで、淡い気持ちはあったかもしれぬが全く問題にならず、妹トシは近年発見されたというその「自省録」によれば、高等女学校時代音楽の男性教師に憧れた普通の女の子であって、そこには兄という語も賢治の名も一度も出来ない。賢治の妹への愛は彼女の死を契機に溯って作られたもの、とこう考えてくると、賢治と愛を語ったのではないが、少なくとも愛について語り合った唯一の女性、高瀬露の存在は非常に重要な意味を持つ。
 …(投稿者略)…
 それにしてもこの手紙(書簡252a<*1>のこと)は何年に、誰にあてて書かれたものか。新修全集では昭和四年置かれている。病状からすると、三年八月に倒れてしばらく後の四年がふさわしい。しかし高瀬露が下根子桜の地人協会に賢治を足しげく訪ねたのは、ずっと前だ。…(投稿者略)…青年たちが集まって来た羅須地人協会の盛時でなければならない。
 …(投稿者略)…
 やはり高瀬露の来たのは、大正十五年か昭和二年頃であろう。だが、その頃は賢治の最も元気頃で、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か。それに高瀬はクリスチャンなのに、ここは〈法華をご信仰〉とある。以上疑問としておく。
             〈『駒沢女子大学「研究紀要」創刊号』(平成六年十月)71p~〉
 そこで私は、そうだそうだと頷きながら、米田のこの論考を読み進めた。そして、高瀬露宛であることが判然としていると言い切ってはいるものの、その典拠も示さずに
   新発見の「書簡下書」がいくつかあり、その中の4通については「露あて」と思われるものもがあった。
  →とりわけその中の1通は高瀬露宛てのものであることが判然としている。そこでその1通に〔252c〕という番号を付けた。
  →同時に見つかった他の3通もこれと関連があるので「露あて」のものと推定し、〔252b〕などの番号を付けた。
  →従前の「不5」も〔252c〕にかなり関連しているのでこれも露のものであると推定し、〔252a〕の番号を付けた。
  →併せて従前の「不4」や「不6」なども露ものだと推定した。
  →新発見の4通に、従前不明だったものを合わせた計23通の書簡下書は露宛てのものであると推定した。
  →これらの23通は昭和4年末に書かれたものであると推定した。
という推定だらけの賢治書簡下書を、露が帰天するのを見計らったかの如きタイミング<*2>で活字にした出版社に対して、私は改めて異議申し立てをしたい。それは、私たち一般読者にとっては、確たるものはほぼ何もないものを、だからである。

 なお、これでこのシリーズは終えたい。

<*1:註> 昭和四年
    書簡252a (不5)〔日付不明 高瀬露あて〕下書

お手紙拝見いたしました。
法華をご信仰なさうですがいまの時勢ではまことにできがたいことだと存じます。どうかおしまひまで通して進まれるやうに祈りあげます。…(投稿者略)…けれども左の肺にはさっぱり息が入りませんしいつまでもうちの世話にばかりなっても居られませんからまことに困って居ります。
私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。さういふ愛を持つものは結局じぶんの子どもだけが大切といふあたり前のことになりますから。
  尚全恢の上。
            <『校本全集第十三巻』(筑摩書房)454p~>
<*2:註> 堀尾青史が、
 今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね。
             <『國文學 宮沢賢治2月号』(學燈社、昭和53年2月)、177pより>
と境忠一との対談で語っている。また、天沢退二郞氏も、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。
            〈『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415p〉
と述べているからである。

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************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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