みちのくの山野草

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バイアスをかけるのはもう止めよう

2019-12-26 16:00:00 | 「羅須地人協会時代」の真実
〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉
【米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より】

 米田は、昭和2年の幾つかの賢治書簡を引いて、それぞれ次のようなことを述べていた。
 まずは、昭和2年1月30日付伊藤清一宛書簡を引いて、
 伊藤清一に、地元での農業講話の講師を引き受ける件をことわっている。「只今の仕事が学校や役所へ挑戦的でありますので……不遜の譏りを免れません」と。自分でも知っていたのだ、村=農村共同体ことに地元の人々との違和感を。それと、この時期は米作り農業以外の別のことに興味があったのだろう。
            〈駒沢女子大学「研究紀要」創刊号 平成六年十月、68p〉
とである。私は米田のこのような見方を今まで一度もしたことがなかったのでハッとした。少なくとも、直後の昭和2年2月1日の新聞報道、
【昭和2年2月1日付 『岩手日報』】「農村文化の創造に努む

がなされるまでの賢治が、「米作り農業以外の別のことに興味があった」という見方を。
 具体的には、その前の月である昭和2年の1月には、
一月一〇日(月) 〔講義案内〕による羅須地人協会講義が行われたと見られる。
一月二〇日(木) 羅須地人協会講義。参会者に「土壌要務一覧」のプリントを配布し、図解を示しつつ土壌学要綱を講じる。
一月三〇日(日) 羅須地人協会講義「植物生理学要綱」上部。午前一〇時より午後三時まで。
              <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)より>
ということだから、羅須地人協会で土壌についてなどの講義が熱心に行われていたことになるからである。しかし米田はそうは見ていなかった。「この時期は米作り農業以外の別のことに興味があったのだろう」と見抜いたのかもしれない。「「只今の仕事が学校や役所へ挑戦的でありますので……不遜の譏りを免れません」」は、実は興味がなかったので、それを断るための口実だったのだと。
 また米田はこうも言っていた。
 一月中に教え子の斎藤貞一に、病身の君にあうこんな仕事を見つけた、「外国の例で勘定係り(Counnter)というもの」で耕地の面積を計算し施肥量などを計算する仕事で…(投稿者略)…というのだが、これなども賢治が日本の百姓の実情を知らない、ハイカラ坊ちゃんである一例だろう。
             〈同68p〉
 あるいは、
 十月のレコード交換会の紹介状を書く。
「何分レコードも年々大量廉価に出来るようになりまして…(投稿者略)…聴かないで蔵って置くよりは古いもの同士或は相当の割合で交換した方が得かと思われます。」
 昭和二年という年、花巻という東北の田舎町に一体何枚のレコードがあるか、凡そ見当がつこうに、レコード交換会が事業として成立つと考える賢治は相当浮き上がっている。
             〈同〉
とである。
 おっ、ここまで言うかと思ったが、たしかに冷静になって判断すれば、米田の言うとおりだろと肯うしかない。例えば、賢治は「日本の百姓の実情を知らない」という指摘については、当時農家の約6割もあった小作農家の実情を賢治は知っていていたとは言えないからである。そしてそれは、あの大正15年の隣の紫波郡の大旱害の際に賢治は何一つ支援をしなかったと言わざるを得ないことがその一つの証左となろう。
 そこで、米田に見習って私も覚悟した、客観的に導かれる結論に対しては臆することなく堂々と主張してもいいのだ、と。賢治だからということで、バイアスをかけるのはもう止めよう、と。

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************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
 本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。

〈はじめに〉




 ………………………(省略)………………………………

〈おわりに〉





〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間)   143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと   146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等   152
《註》   159
《参考図書等》   168
《さくいん》   175

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813
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