〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉
【米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より】米田は、このようなことも述べていた。
…(投稿者略)…百姓することと劇団を作ることとが、賢治にとっては表裏一つのことだった。
しかしこれにはもう少し内面的な繋がりもあった。百姓をしながら芸術活動をするでは、誰しも大正中期に武者小路実篤の始めた「新しき村」を思い浮かべるだろう。友の保阪が武者小路の心酔者で、彼の口から何度もそれは聞いたろう、その東北版である。
〈駒沢女子大学「研究紀要」創刊号 平成六年十月、60p〉しかしこれにはもう少し内面的な繋がりもあった。百姓をしながら芸術活動をするでは、誰しも大正中期に武者小路実篤の始めた「新しき村」を思い浮かべるだろう。友の保阪が武者小路の心酔者で、彼の口から何度もそれは聞いたろう、その東北版である。
たしかに、賢治の羅須地人協会は「新しき村」の影響はあるなと直感はしていたが、はそれほどの強い影響があるとまでは思っていなかった。そして、「新しき村」ではそれほど演劇は重視されていないと私は思い込んでいた。ところが、先に「武者小路実篤記念館」を訪れてみたならば、秋の特別展「長與善郎と実篤」も開催されていて、その中には演劇に関しても展示されていてあれっと思った。
ちなみに、『新しき村90年』(調布市武者小路実篤記念館)
には、
【「新しい村の為の会」舞台写真 大正11年10月】
【村の芸術活動~演劇・記念祭】
【ゲーテ座公演 大正14年】
【村の会場「だるま」上演 昭和3年4月】
【新しき村演劇部第一回公演ポスター 昭和4年9月24日】
などの写真等が載っており、「新しき村」ではたしかに演劇がしばしば上演されていたことを知ったので、農村劇を上演しようと思っていた「羅須地人協会」でもあるから、はやはり「新しき村」とは少なからず通底いるぞと確信した。そして、たしかに「新しき村」の東北版ともいえそうだ。
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************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈はじめに〉
………………………(省略)………………………………
〈おわりに〉
〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間) 143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと 146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等 152
《註》 159
《参考図書等》 168
《さくいん》 175
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