〈『下根子桜の朝』平成23年11月11日撮影〉
【米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より】
次に米田は、大正14年4月13日付け杉山芳松宛簡205を引いて、
教え子で樺太の王子製紙につとめた杉山芳松にあてて、
〈駒沢女子大学「研究紀要」創刊号 平成六年十月、59p〉『わたくしもいつまでも中ぶらりんの教師など生温いことをしてゐるわけに行きませんから多分は来春はやめてもう本統の百姓になります。そして小さな農民劇団を利害なしに創ったりしたいと思ふのです。』
といった。…(投稿者略)…本当の百姓になることと、いくら職業としてでなくとも農民劇団を作ることとは矛盾しよう。と論じていた。
そして、「本当の百姓になることと、いくら職業としてでなくとも農民劇団を作ることとは矛盾」という米田の指摘はその通りだと私も思った。逆に言えば、賢治の言うところの「本統の百姓」というのは、私たちが普通に思っているところの「本当の百姓」とはかなり乖離しているのではなかろうか、とも私は考えた。まさに、賢治が「本当」を使わずに「本統」を使っていることがそのことを示唆しているのではなかろうか。
つまり、私たちが認識しているような当時の普通の百姓になることが、「本当の百姓になること」と解釈すれば矛盾は生ずるが、賢治はそのような百姓になることなどもともと考えていなかったのだとすれば、それほどの矛盾はない。
実際、賢治が下根子桜でやったことは佐々木多喜雄氏も言っている通り、
開墾した畑には、主に洋菜で当時まだ一般的でなく珍しかったチシャ、セロリ、アスパラガス、パセリ、ケール、ラディッシュ、白菜など、果菜ではトマト、メロンであった。庭の花では洋花を中心としたヒヤシンス、グラジオラス、チューリップなどであった(佐々木2006b)。一部、トウモロコシ、ジャガイモも植えたようである(堀尾1991a)。
このように栽培物の多くが主食に利用できないものであるところに、賢治の農業の特色…(投稿者略)…
〈『北農 第75巻第2号』(北農会2008.4)72p~〉このように栽培物の多くが主食に利用できないものであるところに、賢治の農業の特色…(投稿者略)…
ということであり、これが賢治の言うところの「本統の百姓」であったと考えるのだどうやら妥当なようだ。そしてそもそも、賢治は下根子桜に移り住んでいた2年4ヶ月の間に、自分の田圃で稲を育てたことは一度もなかったし、一粒の米も収穫していないのである。
となれば、当時約6割前後の農家が小作をし、その小作料はほぼ5割以上だったと言われているが、もちろんこれらの農家は貧しく、賢治はそのような貧農になろうと考えていた訳ではなかったようだ。自分が作った米さえもほとんど食べられずに、カデ飯などを食っていたような当時の多くの百姓<*1>、これを私たちは「本当の百姓」と思いがちだが、賢治はそのような「本当の百姓」になろう等とは考えていなかったようだ。つまり、賢治は当時のこのような普通の百姓になろうとしていた訳ではなかったと私は判断せざるを得ない<*2>。
<*1:投稿者註> 佐々木多喜雄氏は当時の貧農の食事の実態を教えてくれる。
自家用としてわずかに残されたコメは貴重で、少量の米にムギ、ヒエ、アワなどの雑穀にダイコンやその葉、イモなどを混ぜて増量したものがカデ飯で、白米のめし銀シャリは、正月や祭などのお祝いのいわゆるハレの日のみの年によって数回のことであった。
〈『北農 第73巻第2号』(北農会2006.4)74p〉<*2:投稿者註>
〝賢治は「百姓」になろうとしたこともなかった〟も是非ご覧あれ。
続きへ。
前へ 。
”〝米田利昭の論文「宮沢賢治の手紙」より〟の目次”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
************この度「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈はじめに〉
………………………(省略)………………………………
〈おわりに〉
〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間) 143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと 146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等 152
《註》 159
《参考図書等》 168
《さくいん》 175
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます