みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

現実をしっかりと見ているか否か

2018-03-02 14:00:00 | 法華経と賢治
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》

 理崎氏は教えてくれる。
 妹尾は、日蓮の思想が、日生や智学のいうような国家主義的なものではなく、民衆中心主義であり、国際主義であると考えていた。こうした思想は、賢治ともよく似ている。賢治は国柱会で活躍した後は、ほとんど日蓮主義と没交渉になっている。信仰は変わっていないとの説もあるが、智学と対照的な思想から考えても、賢治が国柱会を乗り越えたのは明らかである。 
             〈78p〉
と。ということは、賢治はかつては大正9年12月2日付保阪嘉内宛書簡(177)において、
今度私は
  国柱会信行部に入会致しました。即ち最早私の身命は
  日蓮聖人の御物です。従って今や私は
  田中智学先生の御命令の中に丈あるのです。
             <『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡本文篇』(筑摩書房)>
と書いているから、当時の賢治の国柱会と智学に対する傾倒振りが手に取るように判るのだが、後々はそれも冷め、智学から離れていったと理崎氏は見ている訳か。さりとて、昭和6年当時に書かれたであろう『雨ニモマケズ手帳』を見てみると、その冒頭には国柱会会員必携の『妙行正軌』の巻頭にある句が書き記されているし、しかもその後も何度か同手帳には曼荼羅が繰り返し書かれていることから、完全に国柱会から離れていったとは言えなさそうな気も私にはする。

 そして同氏は、
 日蓮主義の思想を、天才というべき智学や日生よりも妹尾の方が深く捉えることができたのは何故か。日蓮思想は、日蓮遺文から法華経、天台教学まで全ての解する必要がる、ということは既に述べた。そうしたものを掌中にしている智学や日生に比べれば、妹尾の理解は十分の一にも及ばないであろう。…(投稿者略)…
 しかし、日生もそうだが、智学などは現実をほとんど見ていないのである。…(投稿者略)…逆に、各地の争議の最先端で苦闘してきた妹尾の現実感覚は研ぎ澄まされていたのである。…(投稿者略)…
 もっと言えば、智学などは日蓮主義を宣揚する意図だけで、日蓮の真意など眼中にないのである。…(投稿者略)…国家神道に阿る傾向が強まっている。
             〈80p〉
と解説してくれる。私はこの言説を読みながら、まさにそのようなことがある学会で今起こっているとしきりに頷いた。
 同学会のお偉方は「現実をほとんど見ていない」と私には思えるし、同じようなことをある著名な研究家が先頃嘆いていたからである。するとどうなるかというと、天才の日生や智学の場合と同様な結末をやがて招いてしまうのではなかろうかということが懸念される。

 そして理崎氏は、次のようにまとめていた。
 ともあれ、妹尾が出現して新興同盟の実践をしなければ、現代の我々は日蓮思想を智学の解釈でしか理解できなかったであろう。日蓮思想は右翼の思想、という常識が現代まで残っていたに違いない。実は遥かに左にまで展開される幅広い思想とわかったのは、まったく妹尾の功績によるのである。
             〈81p〉
私はなるほどと意味は理解し、なおかつ私のいままでの認識は遥かにそれ以前であったことを知らされた。これで少しだけだが解りかけた来たところなのでその感謝は妹尾に対してだけではなく、たまたま理崎氏の『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』に出会えたことにも感謝だ。

 これで私は、「法華経信者の賢治」が労農党のシンパだったり、伊藤与蔵に対して「選挙演説を聞きに行きましょう」誘って「泉国三郎」の演説会に行ったりしていたということも、何等不思議でなくなった。

 たしかに、現実をしっかりと見ているか否か、はとても大切なことのようだ。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
等もその際の資料となり得ると思います。
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