みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

新国劇で上演、大当たり

2019-02-19 18:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》  さて、『土に叫ぶ』は「当時としては驚異的なベストセラーになった」ということだが、同じく安藤玉治によれば、  発売直後から、松田のところには全国各地から連日にわたって、はげましの手紙がとどいた。ということだし、  出版から三ヵ月もたたないうちに新国劇のとりあげるところとなり、八月三日から東京有楽座で華 . . . 本文を読む
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本日の「賢治詩碑」(2/19)

2019-02-19 16:00:00 | 下根子桜八景
《1 》(平成31年2月19日撮影) 《2 》(平成31年2月19日撮影) 《3 》(平成31年2月19日撮影) 《4 》(平成31年2月19日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』              〈平成30年6 . . . 本文を読む
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切っ掛けは、光太郎の『獨居自炊』出版?

2019-02-19 14:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男
《千葉恭》(昭和10年(28歳)頃、千葉滿夫氏提供)  では、前回、     この昭和26年の随筆集『獨居自炊』が〝この変化の切っ掛〟だったのではなかろうか。 と述べたのだが、ここではそのことについて説明したい。  そこで、まずは、「下根子桜時代」のことをはたして「独居自炊」と修辞しているかどうか調べてみた。その結果を、主な賢治関連図書等について発行年順に並べてみる。 ************* . . . 本文を読む
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ちゑと賢治の見合いが昭和2年10月?の意味

2019-02-19 12:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》  その後、私は賢治研究家B氏から、  「伊藤七雄・ちゑが花巻を訪れた時期は昭和2年の10月であった」、と宮澤清六が直接B氏に証言した。ということを教えてもらった(平成27年9月20日、花巻F館にて)ので、これと先のちゑの藤原嘉藤治宛書簡の記述とを併せて考えれば、     伊藤兄妹が賢治との見合いのために花巻を訪れたのは昭和2年10月で . . . 本文を読む
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『土に叫ぶ』の出版

2019-02-19 10:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》  さて、「松田家の経済が危うくなり、父から強く家業を継ぎ、これに専念するように要請された」甚次郎は、昭和12年8月、万やむを得ず村塾を一時閉鎖、11月に村塾を辞して鳥越の生家に戻ったという。そしてその頃のことを甚次郎は、  薄暗い我が家でつめたい世評を受けながら訪ねる人もない沈思の日が続いた。その間十 . . . 本文を読む
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高村光太郎の随筆『獨居自炊』

2019-02-19 08:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男
《千葉恭》(昭和10年(28歳)頃、千葉滿夫氏提供)  さて、高村光太郎の随筆『獨居自炊』             〈『獨居自炊』(高村光太郎著、龍星閣)〉 だが、その発行は昭和26年6月だった。したがって、光太郎は昭和20年花巻に疎開しているから、いわゆる「自己流謫」していた時の出版となる。  そして、この随筆集の巻頭を飾るのが、まさに「獨居自炊」という随筆であった。    獨居自炊  ほめられ . . . 本文を読む
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