《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)
前回の〝賢治の指導に素直に頭が下がる〟の続きである。
ただし一方で、
昭和八年二月の久之丞あての書簡のとおり、反収三石二斗以上の増収で農家生活を向上させた。…………②と名須川は断定しているのだが、残念ながらその根拠を私は「昭和八年二月の久之丞あての書簡」の中には見出せなかった。
たしかに、「稲束収穫記帳」によれば、久之丞は賢治の指 . . . 本文を読む
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》
荒木 ところでちゑの方は一体どう思ってたんだべ。
鈴木 それは、ちゑが森に宛てた昭和16年1月29日付書簡の中の次のような一節からほぼ窺える。
皆樣が人間の最高峰として仰ぎ敬愛して居られますあの御方に、御逝去後八年も過ぎた今頃になつて、何の爲に、私如き卑しい者の関りが必要で御座居ませうか。あなた樣のお叱りは良く判りますけれど . . . 本文を読む
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)
そして次に、実際に賢治から肥料設計指導を受けた高橋久之丞を引き合いに出して、具体的には「昭和三年、狼沢、三町三反の肥料設計書」や「稲束収穫記帳」等の資料に基づいて、名須川はその成果を論じていた。
そこでその資料から一部を抜き出してみると以下のようになった。
〇 宮沢賢治の肥料設計・稲作指導による増収(花巻市狼沢・高橋 . . . 本文を読む
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》
吉田 そこでだ、僕はこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕が詠まれるに当たっては、実はある伏線があったと思うんだ。
荒木 それはまたどんな?
吉田 それは佐藤隆房が昭和6年のこととして『宮澤賢治』の中で、
賢治さんは、突然今まで話したこともないやうなことを申します。
「實は結婚問題がまた起きましてね、相手といふのは、 . . . 本文を読む