みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

大迫の氷筍出来(2/14、予告編)

2019-02-14 18:00:00 | 花巻周辺
 前回(2/5)訪ねた際には全然出来ていなかったのだが…… 《1 さて今回は》(平成31年2月14日撮影) 《2 》(平成31年2月14日撮影) まだまだ細っこいけど、約20本はあるかな。なお、詳報は後ほど。  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と . . . 本文を読む
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福寿草紀行(2/14、胡四王山)

2019-02-14 16:00:00 | 胡四王山とその周辺
 胡四王山にもフクジュソウが咲いた。 《1 》(平成31年2月14日撮影) 《2 》(平成31年2月14日撮影) 《3 》(平成31年2月14日撮影) 《4 》(平成31年2月14日撮影) 《5 》(平成31年2月14日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明 . . . 本文を読む
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甚次郎等による農村劇上演

2019-02-14 14:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》  次は、いよいよ例の第一回目の農村劇「水涸れ」についてだ。  甚次郎は次のようなことを『土に叫ぶ』の中で述べていた。  水涸れ 私は六反歩の小作農になり、粗衣粗食で家の仕事に從事しながら、自分の田を耕し、やがて田植も終らうとして、寄手苗餅も明日にひかへた頃から水が不足しだした。それからといふものは、毎 . . . 本文を読む
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たしかに小倉には「粗雑な推定」があった

2019-02-14 12:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》 吉田 それでは小倉自身が「粗雑な推定を敢えてした」と言っている部分はどこか。それはもちろん、少なくとも橙色やライム色が付かなかった残りの部分にあることになる。そこで、残りの部分の中で僕からすれば「粗雑」と思える個所に下線と番号を付けてみると下線部分~の計7個所があった。  まず驚くのが下線部分だ。「外面菩薩内面如夜叉」という痛烈で辛辣 . . . 本文を読む
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甚次郎は深慮遠謀の人であった

2019-02-14 10:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》  さて、では「農村劇をやれ」と「訓へ」られた甚次郎のその後はどうであったであろうか。  このことに関しては、『土に叫ぶ』の「三 村芝居」という章に次のようなことが先ず書かれている。  團結へ 宮澤先生に誓つた「芝居をやる」の一言は愈歸鄕して、實現となると容易なことではない。先づ第一に同志を得ることだと . . . 本文を読む
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「粗雑な推定」はどの部分か?

2019-02-14 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》  一週間後三人はまた集まった。 鈴木 知ってのとおり、昭和42年に生活文化社から『雨ニモマケズ手帳』の複製版が出たわけだが、その解説書『宮沢賢治『手帳』解説』において、  拙著研究では、この詩のテーマになっていると思われる一人の女性について粗雑な推定を敢えてした。しかしその後思うところあり、右の推定は取消(ママ)にする。    . . . 本文を読む
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