みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

ロウバイの花少しずつ増えて(2/1)

2019-02-01 16:00:00 | 花巻周辺
 我が家のロウバイの花の数が少しずつ増えている。 《1 》(平成31年2月1日撮影) 《2 》(平成31年2月1日撮影) 《3 》(平成31年2月1日撮影) 《4 》(平成31年2月1日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』 . . . 本文を読む
コメント

森の「下根子桜訪問」が虚構であったことの裏付け

2019-02-01 14:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》  〝当時森荘已池は脚気衝心で重篤だった〟の続きである。  ところがこの♦昭和2年6月16日付『岩手日報』の記事以降、森の消息に関する記事はぷっつりと途絶えてしまう(見落としたのだろうか)。一方で、浦田敬三の「森荘已池年譜」における昭和2年8月以降の主な記載事項は以下のとおりである。 ♦8月10日 (劇)愛欲を見る(岩手日報) ♦9月 . . . 本文を読む
コメント

羅須地人協会の大樹朽ちゆくのみ(1/31)

2019-02-01 12:00:00 | 下根子桜八景
 羅須地人協会跡地の大木と雖も、かくの如くあっという間に朽ち果ててしまうのか。 《1 羅須地人協会の大樹》(平成31年1月31日撮影) 《2 センノキは一気に朽ちている》(平成31年1月31日撮影) 《3 皮は剥がれ》(平成31年1月31日撮影) 《4 不様な正体を晒している》(平成31年1月31日撮影) 《5 しかも危険きわまりない》(平成31年1月31日撮影) だからこの大木には、も . . . 本文を読む
コメント

当時森荘已池は脚気衝心で重篤だった

2019-02-01 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》  さて、森荘已池が「一九二七年の秋」と書くわけにはいかなかった理由は、森自身の病状が当時かなり思わしくなかったことが世間に知られていたことにもあったからに違いないと私は直感した。そこでそのことを以下に検証してみたい。具体的には、「一九二七年」すなわち昭和2年の新聞報道等によれば以下のとおりだ。  そもそも、森はその頃、生出仁と共に「 . . . 本文を読む
コメント

合法政党〝岩手無産党〟結成

2019-02-01 08:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)  名須川はこう続けていた。 (昭和3年)一二月二日には改造社版啄木全集出版記念音楽と文芸の夕べが県公会堂に二〇〇〇人を集めて開かれていた。改造社の吉田孤羊や松本政治、佐藤好文、そして横田義重が盛岡中学の社研や「戦旗・文芸読者会」に呼びかけるなど積極的な活動家の努力により岩手芸術協会が結成され、それと啄木会の共催であった。…(投稿者略)…啄木 . . . 本文を読む
コメント