みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

曖昧すぎる小倉の記述

2019-02-15 18:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》 荒木 そこで疑問に思うのだが、一体、小倉は慶吾からの批難に対して真摯に対応する気があったんだべが。 吉田 そうあまりにも変なんだよな。どうしてこれ程までに小倉は露のことに関して拘るのか。それも執拗に悪し様に言いたがっているとしか僕には思えん。 鈴木 うん、そうなんだよ。慶吾はなんだかんだ言って、例えば前に引用した「宮澤賢治先生を語る會 . . . 本文を読む
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福寿草紀行(2/14、大迫P1)

2019-02-15 16:00:00 | 花巻周辺
 大迫P1のその後。 《1 》(平成31年2月14日撮影) 《2 》(平成31年2月14日撮影) 《3 》(平成31年2月14日撮影) 《4 》(平成31年2月14日撮影) 《5 》(平成31年2月14日撮影) 《6 》(平成31年2月14日撮影) 《7 》(平成31年2月14日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  賢治の甥の教え子である著者が、 . . . 本文を読む
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賢治は「農村劇をやれ」と言ったものの

2019-02-15 14:00:00 | 甚次郎と賢治
《『土に叫ぶ人 松田甚次郎 ~宮沢賢治を生きる~』花巻公演(平成31年1月27日)リーフレット》  さて、松田甚次郎は昭和2年3月8日に賢治から「農村劇をやれ」と「訓へ」られたとおり、同年9月10日に第一回目の農村劇『水涸れ』を上演した。甚次郎は決断も鮮やかだったし、深慮遠謀もあり、統率力もあったし、固い団結力で結ばれた仲間もいた、と私には見えた。  では一方の、「農村劇をやれ」と「訓へ」た師であ . . . 本文を読む
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氷筍出来(2/14、大迫)

2019-02-15 12:00:00 | 花巻周辺
《1 》(平成31年2月14日撮影) 《2 》(平成31年2月14日撮影) 《3 》(平成31年2月14日撮影) 《4 》(平成31年2月14日撮影) 《5 》(平成31年2月14日撮影) 《6 》(平成31年2月14日撮影) 《7 》(平成31年2月14日撮影) 《8 》(平成31年2月14日撮影) 《9 》(平成31年2月14日撮影) 《10 》(平成31年2月14日撮影) . . . 本文を読む
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誤解を生みかねない小倉の記述

2019-02-15 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》 鈴木 そうか、そういう心理だったのか。だからこそ、その次に出版した『「雨ニモマケズ手帳」新考』で、 ㈠ 賢治のT女史宛の手紙下書によれば、二人の手紙の往復は賢治の発病後も継続しており、クリスチャンのT女史は法華経信者となって賢治の交際を深めようとしたり、持ち込まれた縁談を賢治に相談することによって賢治への執心をほのめかしたりしたが . . . 本文を読む
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大迫の氷筍を見に(2/14)

2019-02-15 08:00:00 | 花巻周辺
 今度こそは氷筍に逢いたいものだと旭の又に向かっていると、道路沿いの崖に 《1 氷柱かな》(平成31年2月14日撮影) 《2 》(平成31年2月14日撮影) 《3 》(平成31年2月14日撮影)  よし、この調子ならば氷筍に逢えるかも  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。  賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実 . . . 本文を読む
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