みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

「粗雑な推定」はどの部分か?

2019-02-14 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 一週間後三人はまた集まった。
鈴木 知ってのとおり、昭和42年に生活文化社から『雨ニモマケズ手帳』の複製版が出たわけだが、その解説書『宮沢賢治『手帳』解説』において、
 拙著研究では、この詩のテーマになっていると思われる一人の女性について粗雑な推定を敢えてした。しかしその後思うところあり、右の推定は取消(ママ)にする。
              <『宮沢賢治『手帳』解説』(小倉豊文著、生活文化社)39頁より>
と小倉は妙なことを述べていた。
荒木 俺も『「雨ニモマケズ手帳」新考』を調べていたら、やはりそれと似たような内容の、
 私は本書初版で森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して述べたが、私の行文が不備だった為に高橋氏から批難を受けたので、その後手帳複製版解説では一応全面的に取消した。
             <『「雨ニモマケズ手帳」新考』115pより>
が気になった。
吉田 やはりな、僕もそうだった。
鈴木 それではまず、
    「拙著研究」=『宮澤賢治の手帳 研究』
ということは決まりでいいだろ。そして、おそらく次のような顚末だったということになろう。
(a) 小倉は最初に出版した『宮澤賢治の手帳 研究』において、森・関両氏の著によって件の大略をこの詩のテーマと推考して述べた。
(b) ところが、この「大略」は「行文が不備だった為」に高橋慶吾から強く批難された。
(c) そこで、次に出版した『宮沢賢治『手帳』解説』において、先の「大略」では「一人の女性について粗雑な推定を敢えてした」ということを公に認め、かつその「粗雑な推定」を「取消し」た。
荒木 そこまでは納得。ただし小倉が「取消し」たというところのその中身そのもの、つまり「粗雑な推定」が見えない。
鈴木 それなんだが、私にもこの先がよく見えてこない。ただ、小倉は『宮澤賢治の手帳 研究』の中で、例の詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕をまず取り上げ、「この詩を讀むと、すぐに私はある一人の女性のことが想い出される」と前置きして、続けてそれこそ「大略」を述べているということなのでその部分がどこかということだけがわかっただけだ。
 この部分が小倉が言っているところの「大略」だろう。が、そのうちのどの部分が「粗雑な推定」に該当するのかわからん。
荒木 どれどれちょっと見せてくれ。……やっぱりだめだ。これじゃちょっとやそっとのことではどこが「粗雑な推定」なのかわからん。
吉田 そこでだ、実は僕は今回その「大略」の分析をしてみたからこのプリントを見てくれ。
    …プリント始まり…
 大正十五年四月、花巻郊外の櫻で自耕自炊の獨居生活をはじめた賢治は…(略)…農業技術の指導講話をしたりしはじめた。その頃、協會員の一人の紹介で、花巻の西の方の村で小學校教師をしている若い一人の女性が賢治の家に出入りするようになつた。彼女はその勤めている學校で賢治が農業の指導講話をした時に、はじめて彼を見たのである。當時田舎には珍しいクリスチャンであつたと言う彼女であるから、①恐らく新しい科學や藝術にあこがれていた女性であり、それ故に、賢治のはじめた仕事にも深い關心を抱いたであろうことは當然であろう。更に想像をたくましくすれば、當時田舎には數少ない高等教育を受けていた賢治であり、田舎はもとより都會を含めて日本にも珍しい科學と藝術の天才であり、世界でも珍しい仕事をはじめた賢治であり、當時三十一歳の獨身生活者であつた賢治であるから、彼女の關心は賢治の仕事よりも賢治その人にあつたのであるかも知れない。
 とにかく、②クリスチャンらしい「聖女」として、新しい科學や藝術を探究する「弟子」として、賢治と彼女との交渉ははじまつたのである。男だけの集まる協會であるから、一人の女性のいることは室内の整備にも、劇の出演者に女の必要な場合にも便利であつた。賢治もはじめは「しつかりした人だ」と協會員にも語つてよろこんでいたらしい。ところが、この女性は來る每に花や食物やいろいろの品物を持賢治もつて來るようになつた。賢治は他人に物をやつたり御馳走したりすることは好きだが、他人からそうした心配をされることは大きらいであり、そうした行為には必ず過分の返禮するのを忘れなかつた。こうした賢治の片意地と思われる程の「義理堅さ」については、實に多くの逸話があるが、こゝでは割愛する。とにかく賢治はこの女性に對してもその都度何かしらきつと返禮していた。しかし、③彼女の贈物と訪問は加速度に激しさを加え賢治の寢ている内に訪ねて來たり遠いところを一日に二度も三度もやつて來たりするようになつた。賢治はほとほと困つてしまつた。「本日不在」と貼紙をしたり、顏に墨を塗つて會つたりしたこともあるという。だが、こうした賢治の態度は益々彼の女の彼に對する思慕愛戀の情を燃えさからすばかりであつた。賢治は返禮の品物に行きづまつたのであろう。ある時は布團をお返しにおくつたこともあるという。こうしたことは、賢治にとつては全く他意のあることではなかつたのであるが、常識的にそうは思われない。彼女はその勤めている村に新しい家を借り、世帶道具を調えて、いつでも彼との結婚生活がはじめられるように設計もしていたという。
 ある時、近郊の村の人々が數人、賢治の家―羅須地人協會―を訪ねた。賢治はその人たちを二階に招じて談笑していた。その時、この女性はすでにそこに來ていて、しきりに台所で何か體を動かしていた。間もなく彼の女はその手料理のライスカレーを二階の客の前に運びはじめた。全く新家庭の新婦人振りである。賢治はほとほと困つてしまつて「この方は○○村の小學校の先生です」と人々に紹介した。人々はぎこちなく默つて彼と彼の女とライスカレーをぬすむように見まわした。そして、とにかくライスカレーを食べはじめた。しかし賢治だけは食べない。彼女は勿論彼にもたつてすゝめた。だが彼は「私にはかまわないで下さい。私には食べる資格がありません」と答えて頑として箸をとらなかつた。彼女は④ヒステリックに身體をふるわせ、顔面蒼白になつて物も言わずに階下にかけ下りてしまつた。と間もなく、荒れ狂う野獸の⑤咆哮のような、オルガンの音がきこえはじめた。賢治が注意深く外に音のもれないように工夫し、毎夜人がねしずまつた頃を見計らつては練習していたオルガンを、その女性が無茶苦茶にやけに鳴らしているのである。彼は急いで下に降りて行つて言つた。
   「みんなひるまは働いているのですからオルガンは遠慮してください。止めて下さい。」

 賢治にしては珍しく高くてするどい叱聲であつた。しかし、オルガンの⑥「狂想曲」は中々やまなかつた。再び二階に上つて來た賢治の顏の表情は押え切れない怒りに燃え、蒼黑くさえ見えて人々はどうにもならぬ困惑を感じたということである。
 この事件は、昭和三年の八月、彼が病氣で倒れたのを機會に自然に終末をつげたが、熱中した戀愛が成就しなかつたこの女性は、その後、賢治について惡口をいろいろ觸れ廻つたらしい。
⑦無理もないことであろう。「外面菩薩内面如夜叉」と言う佛教のいい古された格言がかなしく思い出される。
 この事については賢治もながく隨分氣にかけていたらしい。その最期の一年間ばかり前、一時病氣が輕くなつていた頃、彼は關登久也氏を訪ねて、知人が自分をいろいろ中傷することについて、事のいきさつを語り、了解を求めたと言う。
こんな、自分の言動について他人に了解を求めるようなことは、賢治の生涯には絶えてなかつたのに――。

 以上の事件に關しては、私は森荘已池氏の「宮澤賢治と三人の女性」及び關登久也氏の「宮澤賢治素描」の記事、乃至兩氏の實話によつてその大體を述べただけである。この女性が果たして「聖女のさましてちかづけるもの」であつたかなかつたか。それは神のみぞ知ることであろうが、この詩を讀む度に思い出されるまゝに記しておく。<『宮澤賢治の手帳 研究』(小倉豊文著、創元社)101p~より>
…プリント終わり…

荒木 それで、この文字の色の違いや傍線部の意味は何だ?
吉田 それは、僕が分析してみようと思って勝手に付け足したもので、もちろん原典に傍線等は付いてはいない。
 具体的には、小倉が述べているように、
    森・関両氏の著によって以上の件の大略をこの詩のテーマと推考して
ということだから、小倉が引用したであろうと思われる個所にそれぞれ次のように出典の違いによって、
   ・『宮澤賢治と三人の女性』から: 〝橙色文字部分
   ・ 森と関の両著から      : 〝ライム色文字部分
と区別して文字に色付けしてみた。なおその結果、関の『宮澤賢治素描』が単独で引用されている個所はないということも同時に判った。
鈴木 するとそのことからは逆に、関の『宮澤賢治素描』(協榮出版)の出版は昭和18年で、森の『宮澤賢治と三人の女性』(人文書房)の出版が昭和24年ということも併せて考えれば、『宮澤賢治素描』に出てきている証言等の多くが『宮澤賢治と三人の女性』において引用されている、ということになりそうだね。
吉田 そう、確かにそうだった。
荒木 いずれこれで、小倉がしてしまった「粗雑な推定」個所が絞られてきたということだべ。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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