みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

賢治の肥料設計指導の結果は?

2019-02-03 16:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 前回の〝賢治の指導に素直に頭が下がる〟の続きである。

 ただし一方で、
 昭和八年二月の久之丞あての書簡のとおり、反収三石二斗以上の増収で農家生活を向上させた。…………②
と名須川は断定しているのだが、残念ながらその根拠を私は「昭和八年二月の久之丞あての書簡」<*0>の中には見出せなかった。
 たしかに、「稲束収穫記帳」によれば、久之丞は賢治の指導を受けて
    昭和8年 反収3.345石
ということになるから、「反収三石二斗以上」だったのであろう。だが、これだけでは、「反収三石二斗以上の増収で農家生活を向上させた」であることの必要条件とはなり得ても、十分条件たり得ないことは勿論である。つまり、名須川の先の断定〝②〟は説得力に欠けているのである。

 ここは冷静に判断して、賢治の肥料設計指導により、高橋久之丞のように上手くいって増収した場合もあれば、一方で、そのとおりにやったならば稲が皆倒れたという風聞もある<*2>し、しかも、例えば賢治自身は〔もうはたらくな〕<*3> の中で、
   おれが肥料を設計し
   責任のあるみんなの稲が
   次から次と倒れたのだ
     …(投稿者略)…
   どんな手段を用ひても
   辨償すると答へてあるけ 
とも詠んでいるから、どうやら真相は、少なからずうまくいかなかった場合もあったというのが実態であった、というあたりであろう。
 となれば、
    一般論としては、賢治の肥料設計指導によって米の実収高が増した、とは言い切れない。
のではなかろうか。

<*0:註(再掲)> この「昭和八年二月の久之丞あての書簡」を再掲すると、その中身は以下のとおり。 
〔450〕 昭和八年二月四日 高橋久之丞あて 葉書
   稗貫郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   二月四日 花巻町

拝復 御手紙拝誦仕候、本年の稲作肥料のこと別紙の通りにて如何に候や 御覧の上御不審の所は重ねて御申越願上候
次に石灰岩抹は先方へ照会候処、二月廿日頃迄に送荷致すべきとの事、価格共他共節御報可申上組合中へ宜敷御伝願上候                       敬具
〔451〕昭和八年〔二月四日〕高橋久之丞あて 封書
   稗貫郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   花巻町

昭和八年度
  厩肥      二百貫
  硫安       二貫
  魚粕       三貫   この分なれば最間違ひもなく
  大豆粕      十貫    弐石七斗より九斗位まで収穫
  強過燐酸     六貫    を得べくと存候
  骨粉(蒸)     一貫五百
  硫酸加里     一貫五百
更に之に
  アムモホス    三貫  を加ふれば三石二斗迄は得べきも
  硫酸加里(四〇%)一貫  大面積は危険に候
石灰窒素を用ふるとすれぱ
  厩肥      二百貫
  硫安       一貫
  石灰窒素     六貫
  強過燐酸     六貫
  骨粉       二貫五百
   (寧ろアルミナ三貫の方可)
  硫酸加里     一貫五百
とし石灰窒素のみは植付十日以上前に撤布とせらるべく候
但しこの方式は天候によりて甚しく成不成有之、小生としては余り好まず候
〔452〕昭和八年二月九日 高橋久之丞あて 封書
   稗買郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   二月九日 花巻町

拝啓 昨日端書にて申上候石灰岩末、今朝到着、島組倉庫に保管致置候間、何卒可成速かに御引取願上度小売は一袋(十三貫二百)五十七銭(花巻にて)迄は宜しかるべく候。
一車 七拾円四拾銭 十五日迄に代金御取纏被下候はぱ右より参円丈け値引申上べくとの事に御座候間宜敷御取計方奉願候                      敬具
〔455〕 昭和八年二月十九日 高橘久之丞あて 封書
   稗貫郡湯本村狼沢 高橋久之丞様
   二月十九日 花巻町

拝啓 過日は工場の希望通り御取運び被下難有御礼申上候、扨その節御話有之候趣の残分石灰本日十噸車にて島組へ着致し候間御用の数量丈御引取願上度、価格は前同様十三貫二百匁セメント袋包み四十四銭に有之、代金御取纏めの処は必ず前同様の所迄は掛合可申候次に先日の肥料設計、何分にも本年は大豆粕、硫酸加里等割高に候間若し魚粕、石灰等に一部変更せらるるならば計算し直すべく御手紙にても御出での節にても御示し願上候先は御通知ながら                              匇々
              <共に『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡本文篇』(筑摩書房)>

<*2:註> 例えば、『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』の56pに、
 賢治について詳しいある方が、『賢治の言う通りにやったならば、皆稲が倒れてしまった、と語っている人も少なくない』と私に教えてくれたことがあり
とある。

<*3:註> 『春と修羅 第三集』の〔もうはたらくな〕とは、以下のとおり。
一〇八八  〔もうはたらくな〕      一九二七、八、二〇、
   もうはたらくな
   レーキを投げろ
   この半月の曇天と
   今朝のはげしい雷雨のために
   おれが肥料を設計し
   責任のあるみんなの稲が
   次から次と倒れたのだ
   稲が次々倒れたのだ
   働くことの卑怯なときが
   工場ばかりにあるのでない
   ことにむちゃくちゃはたらいて
   不安をまぎらかさうとする、
   卑しいことだ
     ……けれどもあゝまたあたらしく
        西には黒い死の群像が湧きあがる
        春にはそれは、
        恋愛自身とさへも云ひ
        考へられてゐたではないか……
   さあ一ぺん帰って
   測候所へ電話をかけ
   すっかりぬれる支度をし
   頭を堅く縄って出て
   青ざめてこわばったたくさんの顔に
   一人づつぶっつかって
   火のついたやうにはげまして行け
   どんな手段を用ひても
   辨償すると答へてあるけ
             <『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)より>

 続きへ
前へ 
 ”「八重樫賢師と宮澤賢治」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊藤ちゑ自身はどう思っていたか | トップ | 大弾圧後の賢治の稲作指導 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢師と賢治」カテゴリの最新記事