気の向くままに

山、花、人生を讃える

人生のさまざまな疑問

2014年05月08日 | 人生

人生ってなんだろう?

人間ってなんだろう?

なんで人間は生まれてくるんだろう?

死んだらどうなるんだろう?

どうしたら人間は幸せになれるのだろう?

なんで人間は不幸になったりするのか?

幸せってなんだろう?

運命ってあるのだろうか?

人生の出来事は偶然なのか、運命なのか、それとも他に何か・・・?

天国や地獄はあるのだろうか、それとも偽りか?

なんであんな良い人が不幸になるのか?

なんであんな良い人が早く死んでしまうのか?

能力や体力に恵まれた人と、そうでない人がいるのはなぜか?

人によって貧乏な国に生まれたり、豊かな国に生まれたりする違いは何か?

そのことに何か意味があるのか?

なにも悪いことしていないのに、船の転覆に巻き込まれたりするのは何故?

神や仏がいるというなら、なんで助けないのか?

勉強し、働くのに意味はあるのか?

そして、これらの疑問に対する答えは、あるのか、ないのか?

 

生きていると、一度はこのようなさまざまな疑問が頭をかすめることが誰にもあると思います。

昔、近所を伝道していた時、以前に学校の先生をしていたお婆さんが、福沢諭吉の「学問のすすめ」を取り出して、わたしに読みなさいと薦めたことがありました。読むと、その本のはじめにはこう書いてありました。「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず」と。この言葉は有名だからそれぐらいはわたしも知っていましたが、その後に続く言葉を読んで、ちょっと驚きました。大体の記憶で書くとこんなふうでした。                                                                                          「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。なのに人には上下(貧富や身分)あり。その上下は何によってそうなるか。それは学問のあるなしによる。だから人は大いに学ぶべきである」と、まあ、こんなふうに書かれていたのです。つまり福沢諭吉は「平等」よりも、「学問をせよ」と言いたかったのですね。

そういえば、フーテンの寅さんが、道で出会った和尚に「学問て何でしょうか」と質問すると、その和尚が「学問というのは、己を知ることだよ」と教える場面があったっけ。

さて、誰もが一度は頭をかするこれらの疑問に対し、「答えはあるかないか?」というと、実はあるんですね。こういうと、「真っ赤な嘘だろう」という人があるかもしれませんが、ほんと、あるんですよ。もしなかったら、こんな疑問も出て来ないはずですし、それにどこかに答えがあると予想するから、知りたいとも思うのでしょう。                           

では仮にこれらの答えがあるとして、それらの答えを、一応頭の中だけでも知って人生を歩むのと、まったく知らずに歩むとではずいぶん人生における姿勢が変わるとは思いませんか。変わるに違いないですよ、きっと。                                                                                   いま後向きなら、前向きになるに違いありません。

では、たまたまこの記事をお読みくださったあなたが、これらの答えがみつけられますよう、ご幸運を祈ります。