気の向くままに

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皇居清掃奉仕 その2

2014年05月28日 | その他

皇居清掃奉仕に出発する何日か前に、BSプレミアムで江戸城をCGグラフィックで精密に再現し、江戸城内を案内する番組が放送された。

それによると、諸大名の控えの間があり、その部屋の襖絵は、威嚇するように睨みを効かせたトラが数匹描かれている。その絵は、部屋に入った諸大名を威嚇するために描かれたものとのこと。

また徳川将軍が諸大名と謁見するための大広間があり、その大広間は上段、中段、下段とそれぞれに高さ21㎝の段差が設けられている。上段は「床の間」のようなもので将軍の座であり、中、下段並びに廊下には、それぞれの格式に従って諸大名たちが並ぶ。この段差も将軍の威厳を見せつける為に設けられたものらしい。

わたしはその時、「自分がその諸大名の一人だったら」と想像したのだが、気の小さいわたしはそれだけでも圧倒されそうな気がした。そして大名というのは大変だなあと思いながら見ていたのである。

こんなことを書きはじめたのは、徳川幕府の諸大名を威嚇するそのやり方を批判しようというわけではない。むしろ、再び動乱の世にしないためには、それも必要だったと思うし、徳川300年という江戸時代への憧れさえあった。

ただ、皇居清掃奉仕から帰って日が経つにつれて、じわじわと泣きたくなるような有難さの感じが湧いてくるので、今さらながらに、皇室のあり方と武家政治、つまり威嚇との違いを感じさせられているのである。

 

わたしが皇居清掃奉仕に加えてもらった動機は、ただ、かつての江戸城だったところを、そして皇居の中を一度でいいから見てみたい、という単純なものでしかなかった。そして、まず目を見張ったのは伸び伸びと大きく育っている木々の美しさだった。なんと素晴らしい!わたしはそれだけで「来て良かった!」と心が躍っていた。

しかし、家に帰って思い出されるのは、木々の美しさももちろんであるが、天皇、皇后両陛下のご挨拶があった後の、両陛下がその場を離れられる時のご様子である。

5団体ぐらいあったと思うが、土足のまま入る広い部屋の中で、各団体ごとに4列に横に並び、各団の団長はその前に立っている。両陛下がその正面に立たれると、一礼して「○○奉仕団、総勢何名」と報告する。すると「どんなことをされているんですか?」とやさしく質問されたりする。そのようにして5団体すべてが終了する。わたしたちは一番最後に御挨拶をいただいた。わたしは最後の団体の一番端っこの前列に立っていた。そして陛下が何を言われるか下を向きながら聞き耳を立てていた。わたしは団長ではなくその他大勢だから、別に緊張していたわけではないのだが、残念ながらその時に頂いたお言葉はまったく覚えていない。ただ、御挨拶のあと、そこから去られる時の様子だけ妙に印象に残っている。そして今頃になってその様子が思い出されてくるのである。といって、特別変わったものではなく、最後のわたしたち団体に一礼されて、少し下がったところで各団体の全員に一礼され、さらに部屋を出られる時にもう一度一礼された。それだけのことだが、そのシーンが思い出されると悲しく泣けてくるのである。

わたしは、決して忠義面してこんなことを書いているのではない。いくら天皇陛下がありがたいといっても、こんなことはまったく予想していなかったし、第一こんな気持ちになるのは初めてである。それに泣けばいいってもんじゃない。

しかし、かつての日本人が、「天皇陛下万歳」と叫んだのが、なんだか今はわかる気がする。

 

ちなみにわたしたちの隣にいた若者ばかりの団体では、「どんなことをされているんですか?」との陛下のご質問に、若い女性の団長は緊張もせず明るいニコニコ顔で「はい、わたしたちは皆が元気で明るくなるようにと、地域の清掃活動をしています。その中には不登校児たちもいます」と答えると、両陛下はとても興味をもたれた様子で(皇后陛下は小さく半歩前に出られた感じ)、「それで、成績の方はいかがですか?」と聞かれる。団長は「はい、よくなって登校し始めた生徒も結構います」と。その後、陛下は何と言われたか覚えていないが、とてもお歓びになって、最後は「これからも宜しくお願いします」というようなことを言われました。

わたしも小さなことでいいから、とにかく天皇陛下に喜ばれることをしたい、そんな気持ちが湧いてくるのである。

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