平成30年4月17日(火)
今日から二泊三日で県議会世界遺産富士山保存管理推進議員連盟の視察が始まり、山口県と福岡県を訪れています。
初日の今日は、県内韮山の反射炉が世界産業革命遺産に登録され、その遺産群の一つである山口県萩市にある世界遺産ビジターセンターとなっている、明倫学舎と萩城下町を視察させていただきました。
(近代産業発祥の地、明倫館”明倫学舎”)
(説明いただいたNPOの方)
(伊能忠敬が使用した天文儀)
(伊能忠敬が測量した静岡県)
(西洋の医学)
(武器も大きく変化)
(明治維新の背景には各地での戦いも避けて通れず)
(長州藩の戦)
(小学校の校舎を世界遺産センターとして活用)
(長州の工業化に尽力された5人衆)
(明倫学舎正面入り口)
萩市には、長州藩に所属し日本の工業改革の源となった5人の足跡を示す、世界遺産ビジターセンターの明倫学舎があります。長州藩といえば、吉田松陰を筆頭に伊藤博文や、山尾庸三、井上勝、井上馨、遠藤謹助など、近代日本の工業技術の発展の基礎を築くために、海外に出向いて経験を積みあげた先駆者の生誕地であり、世界遺産産業革命遺産となった遺構なども存在する特別な地域です、
明治維新の推進役としてこの地域である長州藩が果たした役割は大きなものがあります。
萩藩校「明倫館」は、享保3年(1718年)に第5代藩主吉元が毛利家家臣の子弟教育のために、萩城三の丸に建てた藩校です。その後、旧明倫小学校舎が建築され、平成26年まで授業が行われていましたが、平成29年に世界遺産センターとしてオープンしました。
施設は、由緒ある明倫小学校の歴史的価値観を残す展示室のほか、幕末ミュージアムや世界遺産ビジターセンターがあります。幕末ミュージアムには、日本の工業技術の源流となった展示コーナーがあり、天文、地理、医学、技術の各テーマに分かれ、それぞれの背景を示す実物の展示あり、長州藩との関わりも解説することで、この地が日本の工業技術の発祥の地であることが理解できます。
世界遺産ビジターセンターでは、明治維新の原点・萩 日本近代化への軌跡や、世界文化遺産明治日本の産業革命遺産、19世紀中期の世界と日本工業化、試行錯誤の舞台、製鉄近代化への挑戦・造船近代化への挑戦など、萩だけではなく日本の工業近代化の足跡が理解できる展示内容となっています。
萩の特色は、ハードについて触れることはもちろんのこと、その原点となった真に日本の工業化の礎をつくった賢人達の活躍が最大の強みと感じました。その意味では、韮山の反射炉は萩を核とした日本近代化の足跡の一部としての存在を感じざるを得ません。とはいえ、日本の製鉄業の歴史では、萩で成し得なかった反射炉を韮山で実現できたことは、一定の評価に値するものといえます。
産業革命遺産は富士山世界遺産とは位置づけが異なり、明治維新で国を挙げて各地で改革が進んだ証と言えるのかもしれません。
その後は、幕末に日本が産業化を目指した当時の地域社会における政治・行政・経済を表す資産が点在する萩城下町を視察しました。
(高杉晋作と伊藤博文ゆかりの地)
幕末の若き獅子たちが工業化という視点で取り組んできた歴史は、私の地元富士市がものづくり、製紙業の発祥の地といわれながらも、萩(長州)の取り組みがその原点であることを再認識しました。
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