令和5年10月31日(火)
先週土曜日、裾野市民文化センターで公演(昨年に引き続き再演)された、市民参加型の演劇「一枚の絵」を鑑賞させていただきました。久しぶりの感動に、涙を流しながら最後までじっくりと堪能させていただきました。

(舞台が終わって撮影タイム)
この物語は、約2時間の公演中、舞台の真ん中に掲げられた「一枚の絵」に描かれた、裾野市から見た富士山と4人の家族の波乱に満ちた人生を題材にしており、「一枚の絵」に物語の全てが凝縮されています。
内容の一部を紹介すると、裾野市で生まれ育った夫が家族とともに移り住んだ満州で終戦を迎え、混乱の最中に日本に引き揚げてくるところから始まります。戦争により全てを失った家族に唯一残されたのは「一枚の絵」であり、富士山と家族3人が描かれ、いつも富士山と向かい合っている姿は、遠く離れた異郷にあって心の支えでした。
戦後といっても命に関わる危険な状況は続いており、間もなく帰国のための船が待つ港に向けて発車する汽車の時刻が迫っています。その時、混乱に乗じて誰かが「一枚の絵」を持ち去り、夫はすぐ戻るといって絵を取り戻すために後を追いかけていきました。
しかし、発車時刻は迫り、妻とこどもは汽車に乗ることができましたが、夫は間に合いませんでした。それ以降、生き別れとなり、その後の母子の生活は大変厳しい状況が続き、息子は「一枚の絵」にこだわった父親を許せず成長しました。
夫は、犯人を追いかけた後、着ぐるみを剥がされ、絵を抱えたまま線路脇で息絶えていました。その姿を忍びなく思った中国人の女性は、富士山が描かれたこの絵を見て日本に帰すべきと考えましたが、その手段は見つかりませんでした。その後、日中国交が樹立し、その後に出会った日本人に絵を託して日本に渡り、富士山が描かれた絵の構図は、裾野市あたりから見たものであることから、市内の施設に飾られました。
市内に飾られた絵は、ある日、3人家族だったはずが、娘が加わり4人になったことが、この後の物語の中心となります。ミステリアスな雰囲気がありますが、この後の展開が涙なしでは語れません。物語紹介はここまでとします。
演出者の松尾朋虎氏の解説を引用させていただくと、「裾野市を舞台とした物語は、海と時を超えた愛と哀しみ、人と人とのすれ違い、富士山の宝永火山という共通の記憶を描きました。演出では人間の不器用さと優しさを感じてもらえるように心掛け、ダンスや裾野を描いた歌、そして中国の香を加えました。」と伝えています。
何よりも、市民が演じていることとは思えないほどの出来映えで、子ども達の活躍には目を見張りました。
「一枚の絵」は、ふじのくに芸術祭2021(第61回静岡芸術祭)戯曲・シナリオの部で芸術祭賞を受賞した竹島秀子氏の作品です。演出の松尾朋虎氏はSPAC(静岡県舞台芸術センター)の経験者でもあり、この方々の力が市民参加型の演劇を最高のものに仕上げています。また、これに関わった多くの市民の方々の熱意とご苦労が、再演という形で実現しています。

(脚本の竹島氏:私の隣と、「一枚の絵」を描いた杉本氏:竹島氏の隣と)
折しも、今年は静岡県が「東アジア文化都市2023」に選ばれ、今回の開催はこれに関連した地域連携プログラムの一つになっています。
公演後、演出した松尾氏や脚本の竹島氏のほか、実行委員会の北條委員長、題名となった「一枚の絵」を描かれた杉本秀子氏とも意見交換させていただき、私からは素晴らしい公演を見させていただいた感想とお礼を申し上げました。
裾野市が舞台ではありますが、富士山が主役といっても過言ではなく、富士山一週ぐるりと、各地から眺めた富士山の姿は異なり、それぞれの富士山に対する思いや物語が生まれているようにも思えます。私も富士市から見た富士山に特別なこだわりを持ち、生まれた時からこの姿と接し励まされてきました。
「一枚の絵」は、改めて富士山の魅力とそこに生活する人々との結びつきの深さと、実物を見たことがない人にとっても誰もが憧れる山であることを誇りに思い、それを気付かせてくれた裾野市民の皆様に感謝申し上げたいと思います。