鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

子供の頃遊んだ海岸で

2017年05月04日 | 議会活動

平成29年5月4日(木)

 

 久しぶりに仕事を忘れ、子供の頃釣りに行った鈴川海岸を一人で歩いてみました。

 

 世間は5月の大型連休で、国内外に出かけた人や高速道路の渋滞のニュースが伝わってきますが、お天気も良くこのゆったりとした時間を何に使おうかと考えていた時に、近くを散歩してみようと思いついたのですが、いっそのこと海岸まで足を運び、青空と大海原、富士山と松原の全てが味わえる景色を求めて、田子の浦港の東側にある駐車場に車を止め、約二時間の散歩を楽しみました。

 

 仕事では、田子の浦港浚渫や海浜公園整備、富士海岸の浸食対策、松食い虫や台風被害で枯れたり折れてしまった松林の再生などで時々訪れています。しかし、もう長い間、この海岸にはプライベートで訪れていません。かつて、富士市と沼津市の堺付近ではこの時期は地引き網が行われていましたが、10年ほど前に地元の網元がいなくなり、その頃が最後ではなかったかと記憶しています。今では沼津市の片浜地区まで行かなければ地引き網は見ることができません。偶然会った知人が、明日の早朝、仲間達と一緒に沼津市の片浜で地引き網を行うので、参加しないかとのお誘いを受けました。これも、散歩していたからこそのご縁としかいいようがありません。

(松林の枯れた場所には新しい苗木が植えられていた)

 

 沼津市から田子の浦港を通り、富士川までの海岸を富士海岸と呼びます。その中で、田子の浦港の東側に位置する部分を鈴川海岸と呼んでいます。子供の頃は、自宅から自転車で駆けつけ、海岸の砂浜から投げ釣りをして楽しんだ経験があります。大きな獲物の記憶はありませんが、海底にいるコチという魚が良くかかりました。時にはアジなどがかかることがあります。豚の白身を大きな引っかけバリに結びつけて、タコを捕ったこともありました。

 私が子供の頃は、海岸浸食もさほどひどくなく、場所を選ばず波際でこのような釣りを楽しむことができましたが、今では、砂浜よりも浸食を防ぐためのテトラポットが幾重にもならび、わずかな隙間の砂浜で、釣りを楽しむしかありません。

(海岸浸食を防ぐために設置されたテトラポット)


(高潮などでテトラポットは削られ砂浜に沈んで行く)

 

 この海岸は昔から高潮の被害が多く、この地域が元吉原地区と呼ばれているのは、高潮の被害で東海道の宿場が二回に渡り、沿岸部から内陸部へ移った歴史があるからです。富士海岸には沼津市にある千本松原が富士市まで続いており、防潮林・防風林として機能していて高潮や暴風から住民を守ってきました。昭和41年頃には、台風による高潮で13人の住民が亡くなり、富士海岸には国内でも屈指の海抜17mを誇る防潮堤が建設されました。

(防潮堤の高さを示す標識)


 今では、この防潮堤の上部がマラソンやサイクリングロードとして名を馳せ、多くの愛好家や地元の人達が利用しています。今日も、グループや家族連れがサイクリングやジョギングなどを楽しんでいました。

(防潮堤の上でサイクリングを楽しむ親子連れ)


(砂浜から富士山を見上げる)

 

 波打ち際近くの砂浜では、磯釣りを楽しみながらバーベキューや砂遊びを楽しんでいる人達も見かけました。子供のはしゃぐ声も聞こえ、のどかな海辺はかつて私が子供の頃体験した光景を思い出します。

(テトラポットの隙間にある砂浜で釣りやバーベキューを楽しむ人達)

 

 堤防の上から東は沼津市市街を、そして南に目を向けると伊豆半島の山々と、西伊豆海岸特有の山から急激に海に崩れ落ちる断崖が見えてきます。続けて西方面まで目を移動すると、駿河湾の開口部から水平線が見え、やがて、三保の松原、日本平、清水港のコンテナ埠頭の大型クレーン、そして帰港した地球深部探査船「ちきゅう」の高い櫓、急峻な由比海岸、富士川の河口とその手前に広がる化学工場のプラントや煙突が一望できました。さらに、田子の浦港の紅白の灯台、北に目をやれば、手前に松林と製紙工場の煙、そのずっと先には雪を頂いた富士山、愛鷹山連峰と続きます。

(伊豆半島を望む)


(駿河湾の開口部)


(遠くに日本平や清水港、手前には田子の浦港の紅白灯台)


(工場群と富士山)

 

 こんなに素晴らしい郷土の景色を、久しぶりに感動とともに見ることができました。命の洗濯とはこのようなことをいうのでしょうか。ただ、一つだけ気になることを思い出しました。ちょうど一週間前、仙台市荒浜地区の防潮堤の上に立って、周辺を見渡した時の光景です。東日本大震災で大きな被害を受け、その厳しい現実を目の当たりにしてきたことです。あの大災害の爪痕が6年を経過した今も広範囲に残されたままの中で、海を見渡すと大災害を起こした海とは思えない静かな海を思い出しました。今、私達が住むこの場所も、近い将来、大きな災害が間違いなくやってくるだろうという現実は、この目前の穏やかな海からは想像がつきません。自然の偉大な力に、ただただひれ伏すのみです。

(この現実を忘れてはならない)

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